聞こえない声で
さて久しぶりに三題噺です
お題分かる人いるのかな?
あ、○○○○信号ではないです
紙がこすれ、ページがめくられる音。
人々の控えめな足音。たまに、居眠りしている人のいびきや、
勉強している人のペンが紙を走る音。
たまたま古い本や新作の本に出会った時の、
むっとする様な、もしくはちょっと酸っぱい様な、紙の匂い。
図書館。それはこの世で最も静かに、
様々な物語が幾重にも重なって眠る場所。
そう、例えば――――
大きくもなく、有名でもないとある大学の学園図書館、
そのとある席で、ケンタは分厚いハードカバーの本の、
さっき読んだばかりの部分をもう一度はじめから読み始めた。
かれこれ20分ほど、レポート用紙に置いたペン先は、
石になったように固まったままだった。
大学生になって、勉強が難しくなるとは聞いていたが、
正直ここまでとは思っていなかった。
まさか習った部分の教科書を読んでも、
意味が全く分からないなんて現象、
高校まではお目にかかった事がなかった。
ケンタはそこまで勉強が出来ない訳ではなかったが、
ちょっとした通信機器関連のメカの知識以外は、
ほとんどの興味を国文に投げ出している、
なんちゃって理国系のケンタには大学の専門的経済学は重すぎた。
教科書を開いてかれこれ3時間、
途中同じ講義を受けた先輩から、
理解の助けになると教えてもらった辞書を思い出し、
それを取りに行って1時間半、
レポート用紙はいまだに1行もページは埋まっていない、真っ白だ。
時刻はそろそろ昼時で、
空腹感が邪魔で思考がちっとも進まない。
もっと言えば、考えてなんか全然なく、
目の前の辞書と教科書に火をつける妄想を繰り広げているだけだった。
いい加減諦めて昼食をとろうか、
それともこの1ページを何とか読みきってしまおうか、
そう考え出した頃、ふと隣の席の人が目に留まった。
ケンタの右隣に座る、恐らく同年代の女生徒が、
薄いハードカバーの本を机に広げている。
ケンタが目に留めたのはその容姿ではなく、彼女の指だった。
音も立てず、絶えずトントンと机を叩く左手の一指し指、
細くしっかりした指からはまるで苛立ちは感じず、
もっというならピアノの練習でもしているかの様に
リズミカルで軽快だった。
ケンタは彼女の指を、不自然にならないようさりげなく、
けれどじっと見つめる。よく見ると一定のリズムをずっと叩いている。
トトントト、トトントトント、トトトントトン
まるでこれは――
ケンタはさらに彼女の指の動きに注目した。
カ……ン……ミ?
彼女の指の動きはモールス信号でずっと
カンミカンミと言っている。
視線をずらして彼女の読んでいる本を見ると、
『簡単! 甘味レシピ!』
と、まるでどこかの料理雑誌のように、
デザート、スイーツ、お菓子の類のレシピがページいっぱいに並んでいる。
一体大学図書館のどこからそんな本を持ってきたのだろうと、
尋ねたくなるが、そんな事を考えてる間に、
彼女の指はどんどん他の文字を打っていく。
ダンゴ、ダンゴ
オハギ、オハギ
タルト、タルト
プリン、プリン
後に音符マークが付きそうなほどノリノリに文字を打ちながら、
彼女はページをうっとりした顔でめくっていく。
まるで目の前にそのお菓子たちが見えるかのように、
彼女は顔をほころばせながらページをめくり、文字を打つ。
そんな彼女を、ケンタもなんとなく和んだ気持ちで眺めていると、
彼女はいきなりぱっと顔を上げた。
ケンタもさっと自分の本に視線を戻す。
彼女はきょろきょろと辺りを見回したが、すぐに本に視線を戻す。
ゼリー、ゼリー
チョコ、チョコ
ふがし、ふがし
和洋ごちゃ混ぜで並べられていくお菓子、
長い名前は苦手なのか、3文字のお菓子ばかりだ。
――ふと、悪戯心が湧いた。
ペンを置き、少し右手を伸ばして、
彼女の手から少し離れた所で、
『そんなに、お菓子好き?』
同じくモールス信号。
中学時代の無駄にも思える研鑽がやっと役立った。
もちろん1回では気付かれるはずもなく、
ケンタは繰り返し繰り返し何度も打っていく。
なんとなく気恥ずかしくて、
顔は難しい表情にして辞書に向けたままだったが。
7、8回打ったところで彼女も気付いたのか、
はっとした表情になり、恐る恐るこちらを覗うように文字を打ってくる。
『もしかして、気付いてます?』
『偶然で叩ける、リズムじゃないでしょ』
表情を一つも変えず、難しい顔をしたままケンタも返信を打つ。
『いつ位から気付いてました?』
『甘味甘味連呼しだした辺り』
『うわ、それはちょっと恥かしい』
彼女の方をちらりと見やると、
一生懸命本を読んでいるよう装っているが、
さっきまでのうっとりする様は表情はなく、
少しだけ目が泳いでいる。
『別にそういうつもりじゃなくて、
ちょっと楽しそうだったから』
『あはは、お菓子、好きなんです』
『和洋ごちゃ混ぜだったけど?』
『はい、もう甘い物なら
どこの国の料理でも大歓迎です!』
後にわざわざビックリマークを
入れてくる程のはしゃぎっぷりだ。
ケンタも楽しくなって、
二人の音のない会話は続いていった。
『何年生?』
『2年になりました!』
『おお、俺より一個上かぁ』
『先輩ですよ、えっへん』
『あれ? 敬語の方がいい?』
『話しやすい方で』
『ならこのまま行きます』
まるで高校生カップルのメールみたいだな。
そうケンタは心の中で思ったが、なんとなく打てずにいた。
打つと何かが終わってしまいそうな気がした。
『どうかしました?』
微妙に落ちたレスポンスに気付いてくるあたり、
余計に打ちづらかった。
『いや、何でも』
ぐうぅぅぅ〜〜
文字を打っている途中でマヌケな音が二つ、
ケンタと少女から鳴った。
初め真っ赤になって指も止まった彼女だったが、
ケンタの方をそっと伺い、それからくすくすと笑い始める。
『これからお昼にしません?』
腕時計を見るともう1時を過ぎている。
よほど彼女との会話に白熱してしまったらしい。
「……出かけるんなら口で話そうよ」
ちょっと控えめに提案すると、
彼女は目をぱちぱちさせて、
「…………ああ、そうですね、
なんでモールスで話そうと思ってたんだろう」
「白熱してたからね、空腹を忘れる程度には」
「もぅ、それは言わない約束じゃないですかぁ」
少しだけ赤くなって頬を膨らます彼女に、
少しだけ鼓動が早くなるのを感じながら、
ケンタはゆっくりと呼吸を整えた。
焦り過ぎ、焦り過ぎ。
「ところでなんでモールス信号だったの?」
「父がそっち系の資格持ってて、
小学校の頃一緒に遊んでたんです」
「モールス信号で?」
「モールス信号で、そちら……えっと」
「ケンタ、あれは中学時代にちょっと捻じ曲がっててね、
誰にもバレないカンニング法を開発しようとして、
気付いたら紙に書かれたモールス信号流し読みできる位にはなってた」
「モールス信号でですか?」
「そ、モールス信号で」
彼女と話すのは楽しい。
そしてどうやら幸運な事に、
彼女もそれは同じみたいだった。
きっと、ただこうやって話してるだけでもそれなりに楽しい。
焦らない焦らない。
『運命的な出会い』。
一瞬頭に浮かんだ馬鹿げた言葉を追いやりながら、
はやる衝動に言い訳しながら、
ケンタと彼女は肩を並べて図書館を後にした。
――――はじめて見た時、
胸の鼓動が一段早くなるのを感じた。
別段、彼は特別な事はしていなかった。
ただ、座って本を読んでいるだけだった。
単純な、どこにでもある一目惚れ。
いい加減頭が軽いなと思いながらも、
彼から目を離せなかった。
まるで小学生のように目を輝かせて、
片頬をちょっとだけ上げて笑いながら、
本当に楽しそうに本を読んでいる彼は、
本の虫と友人たちから揶揄される彼女にとって、
とても魅力的に見えた。
同類。
頭に浮かんだ言葉は無粋で、若干女子力に欠けるのでは?
なんて疑問も浮かんだが、彼女的にはこれがぴったりだった。
ギークでクレイジーに、
若干マッドな感じでもフリークに一本な感じ。
友人に説明したときに眉をひそめられたが、
そう、具体例を出すならこんな感じだ。
本の為なら死ねる、見たいな。
本を買うためなら食費もガンガン削っていきそうな。
そしてそういう行為が、発想が、
すごく当たり前に自然に出てきそうな、そんな感じ。
それは世に言うアホって奴じゃ……
友人にはそう言って一蹴され、
その時は自分でも反発したが、けれどこれは流石に…………
直接声をかけるにはあまりにも楽しそうで、
(勉強中はもちろん邪魔できない)
だから隣の席に座って、誰にも聞こえない『声』で
話しかけるのが精一杯だった。
モールス信号。父と幼い頃遊んだオモチャ。
気付いてくれえるなんで思っていない。
まして自分の『声』が聞こえる期待なんて全くしてない。
けれど、
もしかしたら、
一万分の一より低い、彼がこちらを振り向く事を期待して、
一兆分の一よりさらに小さな、『声』が届く事を祈りながら、
彼女はいつも彼の隣に座り続けるのだった。
そう、その時までは――――
お題分かった方いらっしゃいますか?
お題は、
『辞書』『甘味』『指先』
です
……いい加減読者に分かって貰えるようなのが書きたい(涙
何はともあれここまでお読み頂き、
ありがとう御座いました