第二章・4
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「のぼる君、みーたんがのぼる君と遊びたいって」
「悪いな。俺は猫より犬派なんだと、みー太に言っとけ」
「サヨも、わんちゃん好きだよ」
「……報われねぇな、みー太」
東田の気まぐれはそれから三日続いた。
いつもの通勤する道を少し変えるぐらいたいしたことではなく、サヨは毎朝、窓の隙間からおかっぱ頭を覗かせて東田を待っていた。東田の強面にも慣れたのか、サヨは意外によく喋る子供だった。
東田は時計を見た。少し長く話しすぎだ。
「じゃあな」
「もう行っちゃうの?」
「最近の世の中はな、おっさんと幼児が話してると、それだけでおっさんは犯罪者にされかねないんだよ。わかるか」
「よくわかんない」
だろうな。
サヨは小さな唇をちょっと不満気に尖らせたが、特にそれ以上の我が侭を言うこともなく、窓の隙間からぬいぐるみと一緒に「ばいばい」と手を振る。それに小さく返した手を着倒したスーツのポケットに突っ込み、東田は窓の下を離れた。
少し歩いてから、一度、古い木造一軒屋を振り返る。
三日間の気まぐれの間、夜の帰宅時も含め東田には、その家からサヨ以外の人の気配を感じることはできなかった。
◆◆◆◆◆◆
その日は朝からとてもいい天気だった。
とはいっても、それは東田にはまるでありがたいことではなかった。雲一つない空から降り注ぐ太陽の日差しと、アスファルトからの照り返しで、トースターの中で焼かれるパンの上のバターにでもなった気分になる。
東田がネクタイを締めた襟元を緩めながら窓の下にやってくると、細い隙間に顔を押し付けるようにしてサヨが笑顔を見せる。
「おはよう、のぼる君」
「……おう。そんなに顔押し付けてると、まん丸な顔が四角くなっちまうぞ」
東田の言葉にサヨはぷうと頬を膨らませた。
元気そうだ。どう見ても、どこか悪いようには見えない。それなのになぜ部屋から出られないのだろう。
「いい天気だな」
「……うん」
サヨは東田から空へと顔を向け、眩しそうに目を細めた。
「外で遊んだらどうだ。どっか行きたいところとかないのかよ」
「ゆうえんち。お父さんとお母さんがいい子にしてたら連れて行ってくれるって。のぼる君行った事ある? ゆうえんち」
「まあ、ガキんときな」
何だかサヨの口から親の事が出ると、本当にそんな者が存在するのか疑問に思う。こうしてサヨと話すようになってから、未だに東田はサヨの両親を見たことがなかったからだ。
「ははあん。まだ連れて行ってもらえないってことは、お前はいい子じゃないってことか」
冗談のつもりだったのだが、サヨの顔がどこか悲しそうになるのを見て苦々しい気持ちになる。サヨには聞えないような舌打ちを小さくすると、東田は窓の下を離れた。
「もう行っちゃうの? 」
またサヨがそんなことを言った。こんなおっさんと話して何が楽しいんだか。
「お前と違って、俺には仕事があるんだよ」
そう。サヨの親だって忙しいのだろう。子供を遊びに連れて行ってやれないほどに。
「お仕事ってそんなに大変なの?」
「まあ、仕事なんてしなくていいってんなら、それにこしたこたぁないけどな」
「のぼる君のお仕事ってなぁに?」
子供は本当に質問が好きだ。
まあ生まれ落ちてまだ四、五年じゃ、知らない事だらけで当然だが。
「俺のお仕事は刑事さんだ」
「けいじさん? けいじさんって、どんなお仕事するの?」
ああ、そうか、それも説明しなくちゃならないのか。面倒くせぇな。
さて……自分の仕事はどんな仕事だったか。
だいたい、説明したところで分かるのか。
考えた東田はふと、あることを思い出した。もう顔もおぼろげな、クラスでまるで目立たなかった級友にかつて言われたその言葉。
東田は人相の悪い顔ににやりと笑みを浮かべ、サヨを見上げると言った。
「俺のお仕事はな、正義の味方だよ」