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第九章・2

―2―


 ゆさゆさと体を揺する手に、仮眠中だった若松はハッと目を覚ました。


「出動ですか?!」

「いや、違うんだ。悪いな」


 慌てて身を起こした若松の肩を、同僚の先輩隊員が落ち着けというようにポンポンと叩いた。

 そういえば緊急出動のベルもなっていない。仮眠の交代の時間でもないようだ。


「刑事さんがお前を呼んでくれって言うからよ。ほら、例の放火事件を調べてる」

「刑事さんが?」


 若松は仮眠室を出ると署の入り口に、見覚えのある大きな体の、人相はあまり良くないその刑事を見つけた。

 

「どうも刑事さん、どうかしましたか」

「すみません、お仕事中に。少しお時間いいですか」

「はあ……」

「申し訳ないですが、ちょっと外へ」


 刑事、常磐は若松から微妙に視線を伏せるように逸らしながら、若松を外へと促す。常磐に着いて行くと、外には警察のものであろう車が一台と、パトカーが一台停まっていた。

 戸惑う若松に、常磐は車の後部座席の窓を叩いた。

 黒く自分を映し返していた窓が下がっていき、以前、話をした女性刑事の姿が現れる。次の瞬間、若松の目が驚きに開かれた。

 女性刑事、西山の隣には誠が俯きながら座っていたのだ。


「誠……どうしたんだ。なんでこんな」


 困惑する若松に西山が口を開いた。


「弟さんを放火の容疑で現行犯逮捕しました」

「…………え」

「未成年ですし、ご両親へ連絡しようとしたのですが、彼がそれを拒絶し、あなたがいいと言ったので」

「え、あの、すみません、ちょっと待ってください。……え?」


 西山の言葉が理解できない様子で、若松は常磐の方に何かを求めるように顔を向けた。

 常磐は今度はしっかりと若松を見ると言った。


「先ほど午後十時半頃、児童養護施設あけぼの園の裏手で、誠君が火を点けたところを取り押さえました」


 西山からなぜ、すぐにその名前が出てきたのかは分からない。

 しかし現場へと行ってみると、確かにそこは昨夜見た夢の中の建物によく似ていた。何よりウサギのすべり台がそこにはあって、施設の子供が楽しそうに遊んでいた。

 あまり資金がないことが見て取れるそこは、遊具はあれど極めて質素で、建物もだいぶ古かった。正面玄関には防犯カメラがあったが、周辺すべてにあるわけではなく、安全のためも考えられて植えられたのだろう垣根は逆に、周囲からの死角を作ってしまっていた。


 常磐と西山はそこに張り込んだ。

 犯人が現れることを祈りながらも、再び火事を起こすという考えを止め、この場に来ないでいてくれることも心のどこかで望みながら。

 しかし犯人は現れてしまった。

 防犯カメラのない園の裏手。乗ってきた自転車から降りることもなく、鞄の中からビニール袋に入った小さなペットボトルを取り出す。そして、中の液体を垣根に振り掛けると、細く丸めた新聞紙にライターで火を点けた。

 そこまで見届けてから、常磐と西山は走り出た。

 本当は現れた時点で声を掛けたかった。

 本当は隠れてなどいないで、あの場に立っていたかった。

 そうすれば、きっとそのまま犯行を諦め帰っていただろう。

 しかし、すでにいくつかの犯行は行われているのだ。逮捕するにはこうするしかない。

 常磐たちの姿に気づいた誠の顔が驚愕に強張った。

 逃げようとして自転車ごと倒れた誠の腕を常磐は掴む。誠が最後に投げ捨てた新聞の火は、西山が持っていた携帯消火器によってすぐに消された。

 倒れたときにひっくり返った鞄から、塾の教科書が飛び出て道路に散らばった――。





「誠? なあ、どういうことなんだ、誠。嘘だろう?」


 若松は窓に手を掛け車の中の誠に呼びかけるが、誠は俯いたままだ。


「やはり、ご両親の方に連絡したほうが宜しいですか」

「いえ、待ってください。すみません、その、一緒に着いて行ってもいいでしょうか。お願いします」

「同じ車両に乗っていただくわけにはいきませんが」

「はい、かまいません。一緒に行かせてください。あの……今、署長に話をしてきますので……」

「分かりました。なるべく早くお願いします」

「はい、すみません。すみません……」


 署内へと若松は戻っていった。


「なんなんだよ……」


 若松の姿がなくなると誠が呟いた。


「だって兄ちゃんはいつだって皆を守るため頑張ってるのに。給料泥棒なんて言いやがって。実際に火事がいっぱい起きはじめたら、急にちやほやしだすんだ。なんなんだよ!」


 上着で覆われている手錠をされた手で、膝の上を悔しそうに叩く。


「皆、やっと分かったと思ったら今度は刑事が英雄ヒーローだって?! ふざけるなよ。あんなの、たまたまそこに居ただけの奴じゃんか。兄ちゃんだってそこに子供がいれば助けてた。なんで、なんであんな奴がっ!!」


 小夜を助けた東田のことが書かれた雑誌を読んだのか、誠が叫ぶように言った。

 火事を消した消防士の兄よりも、子供を助けた刑事を英雄扱いするその記事が、再び誠の心に犯罪への火を点けたのか。

 そんな誠の肩を掴むと西山はその顔を厳しい目で見る。


「君は建物に火を点けた。それだけのつもりだったかもしれない。でも君は人を殺したの。そして今も、一人の女の子が死のうとしてる」


 そして手錠の上から誠の手を掴んだ。


「君の手が火を点けたのは生きた人間なの。君のこの手が、人を殺したのよ」


 怒鳴るでもなく静かに、しかし強く言う西山に、誠の顔がくしゃりと歪みその目から涙が溢れ、やがて嗚咽を洩らしながら誠は膝の上に突っ伏した。

 とても聞いていられない。常磐は誠の消防士に……いや、兄に対する強い憧れを知っている。常磐は声から耳を逸らすように消防署の方を振り返った。

 若松が来ない。

 署内へと常磐が様子を見に行くと、若松は自分のデスクの前でぼんやりと立ち尽くしていた。


「若松さん、署長さんには――」


 常磐が声をかけると若松はビクリと体を強張らせた。


「あ、すみません、まだです。今……今から話してきますので……」

「若松さん、署長さんには俺から話をしておきますから、車の方へ行っていてください。後ろのパトカーにも警官が乗っていますから、そちらに」

「……はい。それじゃあ……お願いします。本当に、すみません……」


 小さく体を震わせながら若松は出て行く。

 消防署長に事情を話に行こうとして、ふと常磐は若松の机に目をやった。

 そしてそこにあったものに胸が苦しくなる。

 若松の机のデスクマットの間にあったもの。それは若松が、小さな体で消防服を着てボンベを背負い、両手で重いホースを握る弟と、笑いながら一緒に写っている写真だった。



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