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第八章・2

―2―


 夜、風呂場の脱衣所で洗濯物を畳むのは、大酉の毎日の習慣になっている。

 籠に取り込んできた洗濯物を脱衣所の床に座りながら畳み、そして風呂場の方へと声を掛ける。


「鈴さん、湯加減は」

「平気。ちょうどいい」

「今日の入浴剤は灯ちゃんが買ってきたものですが」

「どうりで。ずいぶん甘い匂いだと思った」

「あまり好みじゃなければやめさせますけど」

「……いいよ別に。灯の好きなので」

「鈴さん」

「……」

「鈴さん?!」

「起きてるよ。大丈夫」


 多少呆れたような鈴の声が風呂場独特の響きを持って、水音とともに返ってきた。


「大酉、少しうるさい」

「そんなこと言われましても……」

「分かってる。ごめん」


 以前、風呂の中で鈴の眠り病が出たことがある。そのときはすぐに気づいたからいいようなものの、もしかしたら溺れ死んでいたかもしれないのだ。大酉は気が気ではない。

 前にも鈴は、この大酉の脱衣所での見張りを嫌がったのだが、「それなら私がやります」と灯が意気揚々と言い出し、大人しく大酉に続けてもらうことにした。


「鈴さん、今日はどうだったんですか」

「小夜のこと? 明日、もう一度行って来るよ。明日で最後にするから」

「……そうですか」

「ただ、あの准教授の運転する車にはもう乗りたくない」


 今日のワタリが終ったあと、月島が自分が送るからと車に乗せられたのだが、ほとんど運転はしないらしくその腕前は酷いものだった。それでも月島本人は「大丈夫、大丈夫」とあの小さい目を細くして笑っていたが。

 

「鈴さん、本当に大丈夫ですか。常磐君はやっぱり少し頼りないし、彼と関わってても鈴さんの事件は――」

「大酉、夕飯のオムライス、大酉が作ったんじゃないだろ」

「え? あ、はい。そうですが……」

「やっぱり」


 唐突に話を変えられて思わず話してしまったが、灯に黙っていろと言われていたことを大酉は思い出した。

 確か鈴は美味いと言って食べていたのだが。


「あ、じゃあ、本当はまずかったんですか? すみません。味見はしなかったので」

「ううん。美味かったよ」

「本当ですか? 灯ちゃんは私の言うこと、全然聞いてくれないんですよ。まずかったらまずいって言ってください。灯ちゃんのためにもなりませんからね」


 大酉の言葉に、くすくすと扉の向こうで鈴が笑う気配が伝わってくる。


「本当だよ。ちょっと……色々と個性的なだけで」

「あれを私が作ったことにしろっていうのが無理な話です。私はあんなオムライスは作りませんし、作れません」

「頑張って教えてあげてよ。上達しなかったら先生が悪いってことで」


 笑みを含んだ声の鈴に大酉の顔が渋る。


「鈴さんは灯ちゃんに甘いです」

「そんなことないよ」


 ザバと風呂から鈴が上がる音と影に、大酉は洗濯物を腕に抱え立ち上がった。湯から上がりさえすれば、そう危険なこともない。

 大酉が脱衣所から出て扉を閉めたそのときだ。一階の店から扉を叩く大きな音がしてきた。その音の大きさに、部屋に居た灯も出てきて大酉と視線を交わす。二人の顔はすでに来客の予想がついていることを物語っていた。




◆◆◆◆◆◆


 西山は肩を貸すように支えていた常磐のずり落ちた体を抱えなおし、もう一度ドアを叩こうと手を振り上げた。すると、暗かった店内が明るくなって、大酉がドアの向こうに姿を現した。

 扉を開けて大酉はチラと眠ってしまっている常磐に目をやったが、次に西山を厳しい顔つきで見る。


「何時だかお分かりですか。迷惑だとは思いませんか」


 言葉は穏やかだが、その声色は険しい。


「ええ。重々承知しています。でも、どうしても鈴君に合わせてほしいんです。勝手だとは分かっていますが」

「本当に勝手よっ」


 大酉の後ろから言った灯は怒りを隠しもしない。しかし西山もその勢いにけして引くことはない。


「ごめんなさい。だけど、彼の力をどうしても貸してほしいの」

「貸してほしいっていうなら、今まで貸した分くらい返してからにしなさいよ。あんた達が無能なせいで――」

「灯」


 強く名前を呼ばれ灯は口を閉ざし振り向いた。闇の中に溶けるような濃紺の浴衣姿に着替えた鈴が、そこに立っていた。肩にはタオルを掛けていて、まだ濡れたままの髪をそれで掻き回すように、雑に拭いている。


「こんばんは西山さん」

「……こんばんは、鈴君」


 された挨拶に挨拶を返し、用件を言おうと口を開く西山だったが、


「そういえば――」


 先に鈴に聞かれて自分の言葉を呑み込んだ。


「この前、常磐さんが買っていった水羊羹はどうでした?」

「え……そりゃあ、もちろん、とっても美味しかったけど。口当たりは滑らかなのに、しっかりとした食感で。喉越しもつるっとしていて爽やかだし、口の中に残る程よい甘みが最高だったわね。私は三つ頂いたけど、もっと食べられそうだったわ」


 すると鈴がくるりと西山に背を向けて言った。


「大酉、西山さんにお茶。灯、座敷部屋に布団。手伝って」


 大酉と灯は不満そうだったが、すぐに鈴の指示通りに動き出す。一人、ドアの外に立ち尽くしている西山に鈴は振り向いた。


「どうぞ中へ。急いだ方がいい。そうでしょう?」

「ありがとう!」


 西山は顔を明るくし、常磐を奥の座敷部屋へと運んだ。灯が乱暴に広げた布団の上に大きな常磐の体を横にする。

 鈴は濡れた髪に守りのすずを結び直した。


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