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第六章・2

―2―


「あ、目を覚ましたよ」


 月島の声に東田はハッとして小夜のベッドの方を見たが、もぞりと動いたのは並べた椅子の上に横になっていた鈴の方だった。月島は小夜の方も確認するように見ていたが、肩をすくめ東田に顔を向けた。


「小夜ちゃんはまだ起きる様子はないみたいだけど」

「鈴、気分は」


 霧藤がのろのろと起き上がった鈴に声を掛ける。


「いらない気遣いはするな。心配するくらいならやらせなきゃいい」


 鈴が両手で目を覆うように擦りながら、相変わらずの返答をする。

 東田は腕を組んで鈴を見下ろす。


「で、どうだったんだよ」

「会えましたよ。当たり前ですが自分の状況がまったく把握できていませんでした。意外と元気そうでしたよ、あちらでは」

「それで、何て言ったんだ」


 霧藤は鈴が小夜を目覚める方へ導くとは限らないと言った。それがやはり気に掛かる。


「とりあえず今、小夜がいるのが夢の中だということを」

「他には」

「もう小夜のお父さんとお母さんはいないということ。でも、あちらの世界にはいましたから。小夜の意識の中にある父親と母親の姿が。理解するのは難しいでしょうね」

「それだけか」


 鈴は大きく一つ息をつくと立ち上がった。


「明日、もう一度来ます]

「は?」

「あなたはこの子に選ばせることにしたんでしょう? すぐに出るような答えじゃないことくらい分かるはずだ」


 言い返せない東田に代わって月島が口を開いた。


「ふぅん……。今のでこの子の意識に入ってきたって言うんだ」

「何か」

「いや、それぐらいなら実際に渡ってきたわけではなくても、想像力が豊かで口の上手い人なら相手を言いくるめられるんじゃないかなぁって思って。朝日奈君は頭が良さそうだし」

「朝日奈さんの力は本当ですよ」


 思わず常磐は間に入った。常磐は鈴の能力を実際に体験している。それに自分自身も他人の夢に同調する力がある。ただ、それを月島に言うのは躊躇われた。

 しかし鈴は気にした風もない。


「別に疑うのはかまいませんけど。俺だってやりたくもないことをやってるんだ。もうやらなくていいって言うんなら、喜んで手を引きますよ。ねえ、猫よりも犬の方が好きなのぼる君」


 口の端に、少し意地の悪い笑みを浮かべて言う鈴。皆が何のことか分からず鈴の視線の先にいる東田を見る。東田はきょとんとしたような顔をしていたが、何か思い当たることがあったのか表情を変え眉間に皺を寄せる。

 その東田を見て「へぇ」と月島は面白そうに笑みを浮かべた。


「それじゃあ、今日はこれで失礼します」

「待て鈴。月島先生との話が――」


 帰ろうとする鈴を霧藤が止めるが、月島が首を振る。


「いや、今日はやめておこう。私も明日またここへ来るから。事の終わりを見届けたい」

「そうですか……すみません」


 恐縮する霧藤だが月島の方はいたって楽しそうだ。研究対象として面白いものを見つけたといったところなのだろうか。不謹慎な気もするが、研究者というのはそういうものなのかもしれない。

 常磐は自分の同調のことは、できれば月島に知られたくないと思った。


「じゃあ」


 鈴が東田の目の前に手の平を差し出して見せた。


「ん?」

「タクシー代。まさか勝手に連れて来て、さらにそっちの勝手な都合に付き合わせておいて、どうぞお帰りくださいってわけじゃないでしょうね」


 東田は忌々しげに鈴を睨むとその手の平をはたいた。


「常磐! こいつを送っていけ」

「え、東田さんは?」

「こいつと一緒に乗るくらいなら歩いた方がマシだ」


 子供か……。最初から一人で歩いて帰ればいいのに。

 それより自分はいつから運転手になったのだろう。

 理不尽に思いながらも常磐はポケットの車の鍵を確認して、病室のドアを開けた。


「霧藤さんは」

「僕は一応この子の容態について、担当の医師の方に伺っておきます」

「分かりました。じゃあ朝日奈さん、行きましょう」


 鈴を促すと、鈴ははたかれた手を振ってドアを出た。


「タクシー代をくれる方が良かったのに」


 ドアを出るときの鈴の呟きは聞えなかったことにした。




◆◆◆◆◆◆


 常磐は車を運転しながらチラとバックミラーで後部座席を伺った。壊れ物でも運んでいる気分で少し落ち着かない。いや、危険物の間違いか。

 鈴はドアにもたれるようにして、ぼんやりと窓の外を見ながら、ときどき両手で目元を覆っていた。

 眠いのだろうか。本人は眠りたくはないのかもしれないが。


「眠っててもいいですよ? 着いたら部屋まで運びますんで」

「そうやって、さっきも寝ている俺を勝手に蜃気楼から運び出したわけですね」


 しまった。何も言わなければ良かった。

 狭い空間に鈴と二人きりは気まずい。


「あ、あーほら見てください、朝日奈さん。防災訓練をやってますよ!」


 話題を切り替えようと、常磐は通りかかった窓の外の小学校を見て言った。

 小学校の校庭に消防車が来て放水していた。ハシゴ車までいる。車を道の端に止めてみると、火災現場へ行くときの恰好をした消防士と、その周りに子供たちが集まって楽しそうに話をしているのまで見えた。


「あれ」


 ふと視線を正面へ戻した常磐は、そこにある人物を見つけた。

 

「あのー……君、もしかして」


 自転車に跨った状態で止まりながら、小学校の柵の外から訓練の様子を見ていた少年。車から降りて声を掛けた常磐に不審な顔をする。


「あ、やっぱり。えっと誠君だったかな。お兄さんが消防署で働いてる」


 この前会った若松という消防士の弟だ。


「誰だっけ」

「俺は刑事だよ。この前、消防署でお兄さんに話を聞いたんだ。その時、ちょうど君が来たんだけど」

「ああ、綺麗なお姉さんと一緒にいた人。刑事だったんだ」


 西山の方はちゃっかり目にして覚えているらしい。


「もしかして、お兄さんがあそこにいるの?」

「うん。今日は兄ちゃんは本当は非番なんだけど、子供たちに時々こうして消火作業とかを体験させるのに学校を回ったりしてるんだ」


 兄の話になると誠は笑顔になって言った。視線の先には消防士に支えられながら、消防車のホースを握っている子供の姿がある。水の勢いによろけながらも必死でホースを掴む姿は微笑ましい。中には酸素ボンベを背負わせてもらっている子もいる。


「知ってる? あれ、凄い重いんだよ。あれを背負いながら火事の中に突っ込んでいくんだ」

「カッコイイね、お兄さん」

「そ、そうでもないけど」


 照れくさいのか、少し素直じゃない受け答えだが嬉しそうだ。


「でも、火事を未然に防ぐことはできなかった」


 常磐と誠の会話に水を差したのは鈴だ。この蒸し暑い中、長袖長ズボンを着込んだ、自分とそう変わらない歳に見える鈴の姿に、誠は奇妙なものを見るような眼差しを向けた。


「何、お前」

「あ、えっと、彼はー……」


 説明できない常磐に鈴が言う。


「早く行こうよ兄ちゃん。俺、気分が悪い」

「え、あ、そうか! そうだな。うん、早く帰ろう!」


 ああ、知らない人相手のときのその設定はまだ使うんですね。

 そして、早く車に戻れということですか。


「へえ、兄弟。全然似てないね」


 誠の口調が少し不機嫌になっている。鈴はそんな誠にまた言った。


「火事なんか起きなければ、君のお兄さんも危ないことなんかしなくて済むのにね」

「兄ちゃんは火事なんて怖がらない」

「怖がる怖がらないは問題じゃない。むしろ勇気がある人ほど命は落としやすい」

「お前、兄ちゃんを馬鹿にしてんのか」

「そういうつもりじゃないけど。火事がなければ消防士なんていなくていいのにと思って」


 誠が口をへの字にして鈴を睨む。自転車のハンドルを握る手に力がこもっているのが見て取れる。


「朝日……鈴、ほら、もう行こう。気分悪いんだろ。早く帰った方がいい」

「刑事のお前の兄ちゃんは放火犯も捕まえられないじゃないか」


 矛先が自分に向いてきて、常磐は胃が痛くなったきた。しかし鈴は涼しい顔だ。悪口を言われているのが自分とはまるで他人の常磐だからだろうか。


「まあ、それも放火犯なんて奴がいなければ済む話なんだけど」

「それでも刑事の弟かよ」

「そういえばこの前の火事のとき、中から子供を助け出したのは刑事だったらしいけど。そっちの方が凄くない? 普段は火と向かい合っていないのに」


 火に油を注ぐとはこういうことだろうか。誠の顔は一層険しくなったが、何を言っても言い返されると察したのか


「俺、もう塾だから」


 自転車の向きを変えて行ってしまった。

 鈴はそれを見送りもせず車の方へと戻る。なんだか鈴の態度は、知らない子供相手に珍しく大人気ない気がした。

 そういえば鈴の兄はあの事件の時、鈴を守ろうと犯人と争ったらしい。仲のいい兄弟だったのだろうか。家族をあんな形で亡くし、身内もいなくなった鈴は今、もしかして寂しさを感じていたりするのかもしれない。


「朝日奈さん」

「なんですか」

「これからも俺のこと、兄ちゃんって呼んでもいいですよ」

「何それキモい」


 普段使われない辛辣な言葉で拒否された。


「……すみません。忘れてください」

「当然です」


 言い捨てて鈴は車に乗り込んだ。


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