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第六章・1

第六章


―1―


 ここはどこ。


 小夜は目を開けた。どこかふわふわする体を起こして辺りを見回す。

 よく見ればそこはいつもの部屋だった。

 当たり前だ。自分はいつもここにいるのだから。

 顔一つ分しか開かない窓の傍へと向かい、その隙間から外を見る。外はどんよりとした曇り空で誰も通る気配はない。

 部屋に顔を戻す。朝ご飯の入った袋とペットボトルの水が、いつものように小さなテーブルの上に置いてある。その脇には『みーたん』が壁にもたれるように座っていた。

 カチカチと鳴るのはタンスの上の置き時計。短い棒がまだ【7】の位置。

 お母さんやお父さんは今日もまだ帰らないだろう。

 『のぼる君』はもうすぐここを通るはずだ。


 チリン


 どこからか鈴の音がした気がして、小夜はみーたんを両手に抱き上げると再び窓から外を見た。


「こんにちは」


 黒っぽい服を着た小夜の知らない男の子がこちらを見上げていて、小夜にニッコリ笑いかけてきた。

 髪の毛に小さな鈴を付けていて、それが綺麗な音を響かせていた。


 「小夜ちゃんだよね。少しお話したいんだけど、いいかな」


 なぜこのお兄ちゃんは自分の名前を知っているのだろう。

 でも小夜はその男の子のことを知らない。小夜はキュッと唇を結んだ。


「どうしたの?」

「し、知らない人とお話しちゃいけないって」

「お母さんがそう言ったんだ」

「ううん。……のぼる君。のぼる君は正義の味方なんだよ」


 小夜がその名前をだすと、なぜか男の子はちょっとキョトンとし、可笑しそうに口の端で笑った。


「へえ、そう。『のぼる君』が、ねぇ……」


 この子はのぼる君を知っているのだろうか。


「大丈夫だよ。俺は悪い人じゃないから」

「悪い人も悪くない人もみんな最初はそう言うんでしょ?」


 小夜が言い返すと男の子は小さく溜息をついた。


「まったく……面倒だな……」


 何かぶつぶつ呟いていた男の子は、突然ぱっと小夜の目の前から姿を消した。


「消えた!」


 小夜は目を丸くすると、窓の隙間に顔を押しつけ外を伺った。さっきまでそこにいたはずの男の子は影も形も見当たらない。

 驚いていた小夜はみーたんを抱えた腕の中でする、もぞもぞと何かがうごめく感触に窓から顔を離した。


「じゃあ、俺とだったら話してもいいよね」


 腕の中ではそう言いながら、みーたんがフェルトの真ん丸な目で小夜を見上げていた。


「みーたん……みーたんがしゃべった」

「そう。しゃべれるし動けるよ」


 唖然とする小夜の腕から、みーたんはスルリと抜け出ると、大きな頭をふらふらさせながら小夜の前に立ち、アンバランスな長い腕を組んだ。首の真っ赤なリボンで結ばれた鈴が揺れる。


「ここは夢の中だから」

「夢の中?」

「君は気づいていないけど、ここは君が見ている夢の中だ。本当の小夜は今、眠ってるんだよ」

「……サヨ、起きてるよ」


 首を傾げる小夜に、みーたんは脱力したように腕をだらりと下げた。


「そうだよな。理解できる訳がないんだ」


 そう呟くと、ぽてぽてと不安定な足取りで窓へと歩き外を覗き込む。

 小夜はそれを見て言った。


「気をつけて。みーたんは運動オンチなんだから」

「え、そうなの。そういう設定? 猫なのに。まあ、確かに動きづらい体格だけど」

「のぼる君がそう言ってた」

「ああ、のぼる君ね」

「みーたん……あのね、のぼる君はね、にゃんこより、わんちゃんの方が好きなんだって。ごめんね」

「どうでもいいよ。俺もあんなおっさん好きじゃないし」

「あれ……そうなの?」


 小夜はみーたんと本当におしゃべりをすることができて嬉しかった。いつもは小夜が一方的に話しかけるだけで、みーたんは返事を返してはくれないからだ。ただ、ちょっと口が悪すぎるような気がするけれど。


「そんなことより――小夜」

「なぁに、みーたん」

「俺は大事なことを小夜に話さなきゃいけないんだ」

「大事なこと?」

「そう。ここが夢の中だってこと。小夜は本当は今、病院のベッドで寝てるということ。そして、これから小夜が選ばなきゃいけないことについて」


 ぼってり指先の丸い両手を小夜に差し出し言うみーたんに、小夜はそのふわふわの両手を握った。


挿絵(By みてみん)


「選ぶって何を?」

「このまま小夜は眠っていたいか、それとも目を覚ましたいか」

「よく分からないけどサヨが今寝てるなら、もう起きなくちゃ。いつまでも寝てたら、お父さんとお母さんに怒られちゃうもん」

「それなら大丈夫。小夜はもうお父さんとお母さんに怒られたりしないよ」

「なんで?」

「小夜のお父さんとお母さんはもういないから」


 みーたんの言葉に小夜は眉間に小さく皺を寄せる。みーたんの言う事はさっきからよく分からないが、お父さんとお母さんがいないとはどういうことか。


「なに言ってるの、みーたん。お父さんとお母さんなら――」


 小夜が言いかけたとき外で車の音がした。


「ほら、帰ってきた」


 窓から外を見るといつものようにタクシーから降りて来る二人が見えた。小夜はみーたんをギュッと腕に抱き寄せ、窓から離れると部屋の真ん中へと座った。やがて、いつものように階段を上がって来るお父さんとお母さんの足音がしてきた。

 がちゃりとドアが開いてお母さんが顔を出す。そして小夜が部屋の中に居るのを見ると、すぐにドアを閉めて行ってしまった。


「あれが小夜のお母さんか」

「うん」

「いつもあんな感じ?」

「そう。サヨがね、ちゃんとお部屋にいるか、帰って来ると見に来るの。お部屋にいないと怒られちゃう」

「それならもう心配しなくていい」


 みーたんはドアノブにジャンプすると、長い腕で器用に掴まりドアを開けて外に出た。


「ダメ! みーたん戻って! みーたん!」

「大丈夫だよ、小夜。ここには小夜を怒る奴なんていない。小夜はどこにだって行けるんだ。これは小夜の夢なんだから」


 言いながら歩いて行ってしまうみーたんを、小夜は慌てて追いかけた。

 小夜がいい子にさえしていれば、お父さんもお母さんも機嫌が悪くなったりしないんだから。


「みーたん!」


 小夜は階段を降りようとしているみーたんを捕まえ抱きしめると部屋に駆け戻った。

 ドタドタと立てた足音に、しまったと思いながら部屋の隅にみーたんを抱え丸くなる。

 怒られたくない。

 怒らないで。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


「大丈夫だよ小夜。誰も来ない。誰も小夜を怒ったりしないよ。想像してごらん。お父さんとお母さんはもう寝ちゃってて、小夜が部屋を出た事には気づかなかった。ほら大丈夫」


 耳元で囁くみーたんの声にそっと顔を上げる。ドアは閉まったままで誰も入って来る気配はない。


「だから言っただろ。ここは小夜の夢の中。なんでも小夜の思い通りになる世界だ」

「小夜の思い通り?」

「そう。お父さんやお母さんにどうしてほしい。何を言ってほしい。我が侭を言ってもいいんだよ。ここは小夜の思い通りになる世界なんだから」


 みーたんの言う事が分からなくて困った顔をする小夜に、みーたんは丸い手で小夜の頭を撫でた。


「ごめん。いきなり言われても分からなくて当たり前だ。今日はこれくらいにしておく。またね小夜」


 そう言うと、みーたんの重たい頭がガクリと後ろに垂れた。


「みーたん?」


 小夜はしゃべらなくなったみーたんを揺すったが、みーたんはただ丸い目で小夜を見つめかえすだけだった。


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