第五章・4
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「お前、前に黒崎真也の意識に入ったんだろ。ほら、あの誘拐犯にやったやつだ。またアレをやってみせてくれ。火事で意識が戻らない子供だ。あのときより危ないことはないだろ」
鈴がどんな話かと聞くより早く、東田は一方的にそう言った。
『夢ワタリ』
鈴が持っている特別な能力。
眠っている人間に触れることで、その人間の無意識の意識に入り込むことができるというその能力は、相手が昏睡状態の人間でも有効だった。
以前、その能力で誘拐犯の意識に潜り込んだ鈴は、誘拐されていた少女達の居場所のヒントを、その意識の中から探り戻ってきた。犯人の黒崎が戻って来ることはなかったが。
「私も是非見てみたいな。君が本当に眠っている人間の意識に入ることができるのか」
東田からずいぶんと遅れて、のんびりとやって来た月島が言った。
鈴の顔が早速、不機嫌に歪む。鈴は東田を睨むように見た。
「次から次へと……。嫌です。あなたは俺のことを信じてもいないくせに」
「お前だって、信じてもいない神に願ったことくらいあるだろうが」
「ありませんよ。それに俺は神を信じてる」
嘘つけ、この野郎。
東田は思わず、低い位置から自分を馬鹿にしたような目で見上げてくる鈴の胸倉を掴みたくなったが、なんとか抑える。
「別に助けてほしいわけじゃない。あいつに教えてやってほしい。それだけだ。今あいつがどういう状態なのか」
「それを教えてどうなると言うんです。その子はまだ小さいんでしょう? その子に選ばせようとでも言うんですか。このまま死ぬか、目を覚ますか」
「あいつの親は俺に言わせりゃクズだ。それでも、あいつにとっては大事な親だった。親のとこに行く方が幸せかもしれないだろ。足に大きな火傷も負ってる」
「子供っていうのは生きているというよりは生かされている。自分でなんか決められやしない。あんたがその子を生かしたいと思うなら、毎日枕元で目を覚ます様、懸命に声を掛ければいいし、そうじゃないなら放っておけ。あんたはただ怖いだけだ。助けてしまったその子が目を覚まし、いつかそれを後悔したら――って」
言い返されるのは図星を突いてくる正論で、湧き上がる苛立ちをどこにどうぶつければいいか分からない。
「あぁそうか、分かったよ。もう頼まねぇ!」
捨て台詞を投げつけ、東田は乱暴に片松葉を突きながら行ってしまった。
それを止めることもせず見送りながら、霧藤がぽつりと言った。
「僕は目の前に助かる命があったとき、咄嗟に行動することができたあの人は立派だと思うけど」
「愁成、お前、それ大酉の前で言ったら殴るから」
「鈴、もし鈴が二年前、目を覚ます前に今の状況を教えてくれる人がいたなら、鈴は目を覚ますことを選んだかい」
「……」
いつものようにすぐに返される鈴の皮肉交じりの言葉がなく、常磐は思わず鈴を見た。
口は真一文字に結ばれ、何かを堪えるように拳を握り締めている。
「俺とその子は違う」
否定も肯定もせず鈴が言ったのはそんな言葉だった。
◆◆◆◆◆◆
駐車場の車の前、東田は助手席のドアにもたれ煙草を咥えていた。そこへ常磐が病院の出口から走り出てきた。
「遅ぇ! 行くぞ。さっさと運転しろ」
「待ってください東田さん! 病院に戻ってください」
「ん?」
「朝日奈さんがやっぱり『ワタリ』をするって言ってるんです」
「はぁ?」
思わず呆けた口から煙草が落ちた。
東田は歩きづらい片松葉を常磐に押し付けるように渡し、片足を少し引きずりながら小走りに病院内へと戻ると、小夜の病室へと急いだ。
ノックもせずドアを開けると、霧藤がぐったりとした鈴を並べた椅子の上に運ぶところだった。
もうすでに『ワタリ』を済ませた後のようだ。
月島が興味深そうに鈴の顔を覗きこんでいる。
「これでその子の夢に渡ることができたの? 思っていたより、ずいぶんと簡単なんだね」
「なあ、先生よ。どういうつもりだ」
東田がすでにあちらへと行ってしまった鈴の代わりに霧藤に詰め寄る。
「良かったでしょう? 鈴の気が変わって」
「――だけどな」
「ただ、期待はしないほうがいいですよ」
「なんだって?」
「なんだかんだで東田さん、あなたはその子が目を覚ますことを望んでいると思いますし、そうあるべきだと思いますが……。僕には鈴が夢の中、彼女になんて語りかけるのか保証できません」
霧藤は東田の方を見もせず、鈴の手首を握りながら腕時計の秒針を眺めている。
「二年前、目覚めてすぐの鈴は死にたがりでしたから」
「死にたがり?」
「ええ。なんで自分だけが生き残ったのかと、あの時ベランダから一人逃げ出したことすら後悔し、何度も自殺を図ろうとしました。窓から飛び降りようとしたり、洗剤を飲んだり、舌を咬み切ろうとしたり。それは大変でしたよ」
淡々とした口調で語られた内容の痛ましさに、常磐は息を呑んだ。
鈴がそんなことをしていたなんて知らなかった。
「今はもう、そんなことはしませんが。だけど、鈴がその子を目が覚める方に導くかは分からないんですよ」
東田はそれを聞いて小夜の様子を確認するように枕元に立ったが、小夜はというと安らかとも言える顔で眠ったままだ。
常磐は鈴を見る。死にたがりだった鈴がそれをやめたのはなぜだろう。
霧藤なら知っているのだろうか。
その理由の方が常磐には気になった。




