第四章・3
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次の日、小夜の病室の前に来て東田は一度立ち止まった。
中から人の声がする。
「どうするのよ。うちは引き取れないわよ」
「当たり前だろ。親戚とはいえほとんど連絡も取ったことがなかったっていうのに」
「じゃあ、あの土地はどうする」
「他にも千代さんが残してた財産がまだあるみたいなんだけど」
「へえ、あの娘がもう使っちゃったかと思ってた」
「そもそも、この子が目を覚ますのか――」
東田はノックもせず乱暴に病室のドアを開けた。
話し声が止まる。
中には中年の男女がそれぞれ二人ずつベッドの脇に立っていた。
「な……誰ですか」
五十代ほどの女が片松葉をつきながら入った来た東田を見て、少し怯えたように聞いてきた。
「警察だ」
「警察の方……ですか。その、ご苦労様です」
「お前ら出て行け」
「え」
「親戚だか何だか知らねぇが、怪我して寝てるガキの周りで話すようなことじゃねぇだろ」
「失礼ですけど、私たちは――っ」
言いかけた男は東田が壁に打ちつけた松葉杖の音に肩をすくめた。
「出てけってんだよ」
四人は何かを囁き合うようにして病室を出て行った。
東田はベッドを見た。どうせ聞えてはいないのだろう。眠ったままの小夜がそこにいた。
まあ聞えていても、何のことだか分かりはしないだろうが。こいつは知らない事だらけだった。
大きな白いベッドの上で小夜はやたらと小さく見えた。小さな体に繋がれた色々な管が痛々しい。
「あんたのせいでまた警察の評判が落ちた」
声に振り向くと西山が病室の扉のところに立っていた。
「この部屋から出てきた人たちが、何かぶつぶつ文句言ってたんだけど」
「言わせておけ。事件にもこいつにも関係のない奴らだ」
「忘れ物よ」
西山は持っていた紙袋を東田に押し付けた。開けてみれば中には『みーたん』が入っている。
綺麗に洗濯されているそれを、東田は小夜の枕元に置いてやった。見れば綿の飛び出ていたはずの尻尾も、きちんと縫い合わされていた。
「西山」
「何よ」
「お前も一応、女なんだな」
「東田、その足治ったら、今度は私が折ってやるから」
「今より重傷になるじゃねぇか」
「……この子が小夜ちゃんね」
西山は小夜の傍へと行くと、小夜の目元に掛かっていた前髪をそっとよけた。
「可愛い子……足、跡残らないといいけど。女の子じゃ可哀想」
小夜の右足は膝から下に火傷を負ったらしい。今は包帯に巻かれていてどんな状態かは分からないが。
「今はいい治療法が色々あんだろ」
「そうね」
そんなことよりも、まず、目を覚ますかも分からないのだ。
小夜を眺めながら東田はあの夜のことを思い出していた。
赤く熱く燃え盛る炎。バラバラと降り注ぐ火の粉。朦々と立ちこめる黒い煙。割り破った窓。
視線を戻した部屋の中。
「あの時――」
ふいに口から言葉が零れ、西山がちらと東田に視線を向ける。
「こいつを抱えて窓から出ようとしたあの時、部屋の中、こいつの親がベッドの上にいるのに気がついた」
そう、気がついた。
おそらくまた酒でも呑んでいたのだろう。迫る煙にも炎にもまるで起きる様子はなかった。
「気がついた――が、俺はあいつだけを抱えて窓を出た。大人二人は無理だとしても、もう一人くらいは抱えられた気もする。そうだな、母親の方くらいならいけた気がする」
「……何が言いたいの」
「俺は、わざとあの親を助けなかったんじゃないかと思ってな」
歪んだ笑みを口の端に浮かべながら自嘲気味に言った東田に、西山は呆れたような息を吐いた。
「何、馬鹿なこと言ってんの。あんたはそんなことできないわよ。あんなときに、そんなことにまであんたの頭が回るわけないでしょ」
「…………お前な」
「私ならしたかもしれないけど」
「あぁ?」
「私ならしたかもしれない」
繰り返した西山に思わず顔を向けた東田だったが、見合わせた西山の表情はいたって真面目で、東田はすでに眉間に刻まれている皺を深くする。
「子供を守れない親なんて、いなくていいと思わない?」
西山の言葉に冗談めかしたところはない。
だからこそ、東田はそれを鼻で笑う。
「それでも両方助けるのが、お前だろうが」
「まあそうね」
言ってくれるじゃねぇか。本当に口の減らない女だ。
東田は西山に背を向け病室のドアを出る。
その後ろ姿に向かって西山は言った。
「東田。あんたは火事の中から女の子を一人連れ出した。それだけ。それで十分じゃない」
炎の中から拾い上げた重さ十五キロほどのちっぽけな命が、今になって何だかひどく重たく感じた。




