第四章・2
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次の日の早朝。病院の廊下を早足で歩きながら視線を廻らしていた常磐は、喫煙室の中でソファにだらりと背を預けながらテレビを見ている東田を発見した。
「東田さん、こんなところに!」
「おぉ。お迎えご苦労。というか遅ぇんだよ」
「大丈夫なんですか」
「大丈夫じゃねぇよ。見りゃわかるだろ馬鹿野郎」
不機嫌そうに常磐に向けられた東田の顔は、頬や鼻が赤く擦り剥けていた。右手、左足も包帯に包まれている。
東田は小夜を抱え燃え盛る二階の窓から飛び降りた。その際、着地した左足首を捻挫、踵にもヒビが入っているらしい。右手の平も軽く火傷していた。
「迎えに来るまで大人しく病室にいてくださいよ。……それにしても、まさか東田さんがあの火災の現場にいたなんて。しかも女の子を一人助けたって――」
「まだ助かってねぇよ」
「でも――」
「いいから行くぞ。さっさと車だせ。ここのナースはあんまり俺の好みじゃねぇ」
ひょこと東田は片松葉をついて立ち上がった。
東田と小夜は燃える家から逃げ出した後、外に来ていた救急車で病院へと運ばれた。しかし、すでに煙を吸いすぎていた小夜は一夜明けても目を覚まそうとしなかった。これから目を覚ますのかも分からない。
「それで今回の火事も例の一連の放火と同一犯か」
常磐の運転する車の中、東田は聞いた。
「はい。おそらく。範囲と時間帯からその可能性が高いです。今回はとうとう死者がでましたが……」
燃え跡から男女二人の遺体が見つかった。
小夜の両親だ。
運悪くというべきか。
東田の知る限りいつもいなかったあの時間に、昨夜は二人揃って帰っていたらしい。
「こうなる前に捕まえたかったんですが」
常磐のハンドルを握る手に力が籠る。
もともと放火犯の逮捕は難しいものだ。近年では防犯カメラの監視の目が増えたとはいえ、こういった人気のないところまでは行き届かない。
犯人はこれまでも人気のない場所ばかりを狙っていた。
「今までは過ぎた悪戯くらいにしか思っていなかった犯人も、死者が出たことで事の重大さに気づいてくれるといいんですが」
「それか、調子にのってもっとでかい火事を起こすかだな。……おい、ちょっと現場寄って行け」
「分かりました」
顎で行き先を示す東田に常磐はハンドルを切った。
もう見慣れた道の端に止まった車を降りた東田は、現場にある姿勢の正しいその後ろ姿を見つけ、思わず顔を顰めた。
「西山さん」
常磐の声に振り向いた西山は、東田の姿にこちらも眉間に皺を寄せたしかめっ面になる。
「東田あんた何やってんのよ」
「はあ? なんだよ。炎の中から子供を助け出した英雄にその言い草は」
「誰が英雄よ。燃えてる家に自ら飛び込んで行くなんて、生きて自力で出て来たからいいようなものの、そうじゃなかったら大馬鹿よ。下手すれば要救護者を増やすことにだってなるんだから。むしろ消防にとっては迷惑だわ。それにあんたは警察の人間でしょ。そのぐらいの状況判断はするのが当然。死んでたらマスコミが良くも悪くもネタにするわ」
まくし立てるように西山の口から出てくる非難の言葉に、その正論ゆえか東田の顔が更に渋る。
「あーっ。うるせぇな! 死んだら死んだらって。こうやって生きてるだろうが。 中にいるって知っててボサッと見てろってのかよ!」
「そうね。よくやった」
「……あぁ?」
「よくやった」
ぽんと肩に手を置く西山に東田は拍子抜けといった表情になる。
貶すか褒めるかどっちかにしろってんだ。この野郎。
しかし、それは西山も言っていた通り、生きて出てきたからこその言葉でしかないのだろう。
「今回はずいぶんと火の回りが速かったみたい」
「……ああ。木造の古い家だったからな。跡形もねぇ」
小夜の家は炭と化した数本の柱を残し、もはや見る影もなく燃え落ちてしまっていて、今も焦げ臭い匂いが辺りに立ち籠めている。
小夜がいつも東田と話をしていたあの窓も、焼け落ちてなくなってしまっていた。
「酷いもんですね――どうしたんですか、東田さん」
常磐は片松葉を突きながら、何か探すように地面に視線を廻らせ始めた東田に言った。
「なんでもねぇよ」
答えた東田は隣の空き地の草原にそれを見つけた。消火の際の放水のせいだろう。泥にまみれてはいるが首がもげたりはしていない。相変わらずしっぽから綿がはみ出したままだったが。
「何、そのぬいぐるみ」
拾い上げたぬいぐるみを見て言った西山に、東田はそれを押し付けた。
「ちょっと、何よ」
「洗っとけ。お前でも人形くらい洗えるだろ」
「どういう意味よ」
「おい署に戻るぞ。常磐、車出せ」
そう言って車へと戻ろうとした東田の前を遮る者がいた。誰かなんて聞かなくても分かる。
カメラを担いだ男を従え、マイクを手にした女。メモ帳やボイスレコーダーを持っている男。マスコミだ。
「すみません。警察の方ですか。もしかして昨日、火事の中から少女を助けだしたっていう」
「あ?」
「ちょっとでいいんでお話聞かせてもらえませんか。なぜ炎の中に飛び込んで行ったのか。そこに恐怖はありませんでしたか!」
「おい――」
遠慮も配慮もないマスコミに、東田の堪忍袋の緒が切れそうになったときだ。西山がマスコミと東田の間に割って入った。
「すみません。ただ今この案件は捜査中ですので。そして彼は立場上、素性を公表できないことになっています。もしどこかで情報が漏れた場合は、公務執行妨害等において法的な措置を取らせて頂きますので」
レポーターなんかよりもよく通る凛々しい声だ。そうして釘を刺しておいて、西山は小さく頭を下げる。
「犯人の逮捕に向け、どうぞマスコミの皆さんもご協力お願いします」
まったくこいつは外面がいい。
そんなことを思いながら感心している東田の脇腹に、西山の拳が当てられた。マスコミの目はすでに別の方を向いている。
小さく咳き込んだ東田に西山は低い声で呟いた。
「もっと上手いことやんなさいよね。単細胞」
本当にいいのは外面だけだ。
◆◆◆◆◆◆
常磐は署に戻ると現場の写真を見た。
燃える前の状態の木造一軒家がそこにはあった。あの家――というよりかは土地だが――を買い取ろうとしていた会社が撮っていたものだ。今の持ち主である小夜の両親が死んでしまったことで、あの土地がどうなるのかは分からない。
古い木造の二階建て。今時珍しい縦格子引き戸の玄関。
そして、野次馬が撮った火に包まれているもう一枚の写真。
それに現場に行ってみて確信した。
どういうことなんだ。
大きな息をついて常磐は頭を抱えた。
自分にはこの家に見覚えがある。いや、正確にはこの目で見たわけではないのだが。
でも間違いない。
この家はこの前、常磐が夢の中で見た家と同じだ。
【自分が見る夢は、これから自分が関わることになる事件の予知のようなもの】
忘れたわけではない。
でもすでに自分は放火事件に関わっていたから……。もしも夢に出てきた家のことをもっと気に掛けていたなら、もしかして今回の放火は止められただろうか。
さすがにそこまでは無理かもしれない。それでも犯人を捕まえるチャンスを一つ、みすみす逃したような気分だ。
それにもう一つ気になることがある。
『それで、今度はどんな犯罪者ですか』
鈴に言われたあの言葉。
確かに今までの同調者は犯罪者だった。通り魔、爆弾魔、誘拐犯、殺人犯。それならば今回の自分の同調者はなんなのだろう。
炎に包まれる家の中に飛び込んでいく勇敢な消防士だ。犯罪者のはずが――。
まて、この考えがいけない。
霧藤 愁成。鈴の主治医でもある精神科医だが、常磐は霧藤にも夢の内容を相談したことがある。いつもどこか面白がっている風なのが少し腑に落ちないが、その解釈の仕方には感心させられる。
思い出せ。あの夢の中、自分は何を感じていたか。
炎に向かっていくときの少しの恐怖。それでもそれを上回るほどに感じた、炎を自らの手で消し去るときの高揚感。
そう自分は英雄なんだ。
突然、燃える天井が落ちてきて行く手を遮ると、マスクに覆われている口元に笑みが浮かんだ。
そうだもっと燃えろ。
もっとだ。
もっと。
もっと。
もっと燃えろ。
「いや……それは……おかしいだろ……」
言葉が思わず口をついて出た。
乾いた喉に唾を飲み込む。
気分が悪くなってきた。
あの高揚感。あれは燃える火に対して興奮していたような気がする。
もっと燃えろ。
そうすれば俺の出番だ、と――。




