第三章・1
第三章
―1―
「まだ犯人を捕まえることはできませんか」
一連の放火事件の管轄になっている消防署へとやって来た常磐と西山を、署内の一角に簡易的なパーテーションで仕切られただけのの応接間へ通すと、頭の禿げ上がった人の良さそうな署長は言った。
常磐たちが消火に当たった消防隊員たちに話を聞きにここへと来るのは、もう何度目かになる。
野次馬の中に必ず同じ人物がいたり、どこか他の野次馬とは雰囲気が違う人物がいたり――といった、テレビドラマにありそうな話は聞けはしなかった。
「もともと、うちの管轄は火事が少なかったんですよ。川や山とかも遠いから、災害現場に借り出されることも少なくて、給料泥棒とからかわれてたりするほど、平和な所だったんですけどね」
署長はうっすらと汗を掻いた額だか頭だかを、ハンカチで拭った。
乾燥しているとはいえないこの蒸し暑い時期に、火事に向かっていかなければならないとは。常磐は夢で火事の中に飛び込んでいったときのことを思い出し、出された冷たい麦茶をぐっと飲み干した。
西山もグラスを取って軽く喉を湿めす。
「本当にご苦労様です」
「いえ、放火犯を捕まえるのはなかなか難しいことだとは承知してますから。我々も非番の隊員で見回りを増やしたり、何とか次の被害は防ごうとはしているんですがね」
「私たちの仕事は暇な方が本当は喜ぶべきなんでしょうけど」
「おっしゃるとおりで。まあ、若いヤツらの中には意気揚々と出動していくもんもいましてね。困ったもんですわ」
「あら、いいじゃないですか。若い人はそれぐらい仕事に積極的な方が」
西山がちらと常磐を見る目には、いささか皮肉めいたものが感じられる。
「先日もそういえば、地方の新聞に取り上げられていましたよね」
「え、ああ、お恥ずかしい。お、丁度いい――おい若松!」
署長が机の前へと戻ってきたばかりの青年を呼んだ。
「はい、なんですか署長」
「これが今、うちで一番の期待の新人ですわ」
若松と呼ばれた青年は、西山が言っていた地方の新聞に取り上げられていた消防隊員だった。
毎日訓練しているせいだろう。服を着ていても分かる逞しい体つきだ。姿勢も正しくきびきびとした印象だ。顔つきも同じく凛々しく正に英雄と呼ぶに相応しい。新聞社が彼に目をつけたのも頷ける。
「とてもいい記事でしたよ」
西山ににっこりと微笑まれて若松は照れくさそうに笑みを返した。
「ああいった新聞に自分のような一消防隊員が載るのはどうかと思いますけど……」
「そんなことはないですよ。ああやって火事の裏では皆さんのような方たちが一生懸命活動されていること、隊員の方が自ら火事の恐ろしさや危険を訴えた話を載せるのは、いいことだし必要なことだと思います」
「そう言っていただけると良かったです」
「我々も少しでも早く犯人を捕まえられるよう努力しますわ」
西山と常磐が席を立ったときだ。元気な声が署の入り口の方でした。
「兄ちゃんいる!?」
中学生くらいだろうか。少年が一人署内を見渡していた。その姿に若松が駆け寄って行く。
「こら、誠。ここは遊び場じゃないって何度言ったら分かるんだ」
「あ、いいのかなぁ、そんなこと言って。善良な市民が使えなくなってる防火水槽を教えに来てあげたっていうのに」
「何? 本当か」
「うん。ほら」
誠と呼ばれた少年が携帯の画面を見せる。そこには防火水槽の標識の下、乗り捨てられたであろう廃車が、すでにタイヤの空気も抜け錆びた状態で水槽の扉を塞いでしまっているのが写っていた。
署長もそれを覗き込む。
「これはまずいな。よく知らせてくれたね誠君。若松、すぐにこの車両を移動させるように手配してくれ」
「はい。有難う誠。……今から塾か」
「うん。じゃあね兄ちゃん。仕事頑張って」
「ああ」
誠はにっと笑うと出て行った。
「弟さんですか?」
常磐が尋ねると若松が頷く。
「はい。ちょっと歳が離れてるんですが」
「誠君はいい子だよ。何より兄さんを慕っている。新聞に載ったときも大喜びしていた。弟君には自慢の兄貴だからなぁ、若松は」
「署長、恥ずかしいんでやめてください」
署長の言葉に若松の顔が渋るが、怒っているわけではなく困っているといった感じだ。
「お兄さんが正義の味方なんて、そりゃあ嬉しいですよ。俺なら自慢しちゃうなぁ」
「そんな……大袈裟です。自分はやるべきことをやっているだけですから。自分は体が丈夫なのだけがとりえですし。本当は弟も消防隊員になりたいって言ってたんですが、あいつはああ見えて少し体が弱くって」
「そうなんですか」
「その代わり弟は、自分と違って頭がいいので。自分にとっても自慢の弟です」
兄弟のいない常磐だったが、若松のような兄弟関係は何だか微笑ましく羨ましく見えた。
そういえば――と思い出す。以前、鈴が周囲を誤魔化す際に自分に言った「兄ちゃん」という言葉。鈴にも兄がいたのだ。
どんな兄弟関係だったのだろうか。なんだか少し気になった。




