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バレンタイン

 時は2月13日、私はとあるスーパーの特設売り場の前で腕組をして立っていた。ここへ来て、仁王立ちをしてから、かれこれ30分になるだろう。

 目の前には様々な形のチョコレートが並んでいる。

 そう、明日はバレンタインデー。

 日頃お世話になっている人々にチョコレートを買いに来たのだ。

 カゴの中にはすでに、チョコレートが4つ入っている。父と修也と佐藤さんと、ついでに四ッ谷の分だ。リカさんの分のチョコレートは少し迷ってやめた。友チョコとして渡すのもありかと思ったけれど、リカさんの複雑な事情を思えば、やめておいた方が無難だろう。

 今、私が迷っているのはカイのチョコレートだ。


「俺、あんたのこと好きだから」


 西日の差し込む部屋の中で、そう告白されたのは、去年の6月。

 結局、私はカイに返事をすることなく、パニック状態のまま、カイの家を後にした。

 人生初の告白に、混乱の極致に浸ったまま、翌週の勉強会を迎え、


「俺、腹痛」


 と逃げようとする四ッ谷の首根っこを捕まえて、カイの家を訪れた時の、あの得たいの知れない緊張は今でもよく覚えている。

 冷たい汗をかきながら、「こ、ここここ。こんにちは! カッ・・・イ君!」とどもる私を前に、カイは呆れたように小さく溜め息をこぼしていたっけ。

 カイの一挙手一投足に戦々恐々として、隅っこで小さくなる私を横目に、カイの態度は以前と全く変わらなかった。

 私のノートを冷たい視線で一瞥して、「ここと、ここと、ここ。あとこれも」と容赦なく間違いを指摘する。

 まるで先週のことなどなかったかのような態度に、安堵を覚えて、ずるずるとここまで来てしまった。

 返事を引き延ばしたつけが来たのだ。

 四ッ谷と同じ、明らかに義理とわかるチョコにするべきか、それともこっちの少し大きめのハート型にするべきか……。

 どっちなの、自分!?

 と、そんな葛藤をしていれば、あっと言う間に四半時はたっていたわけで……

 はっきり言ってカイのことは好きなのだ。ツンツンしていて、いつデレるのかと思いやキレるばっかりで、かと思えば、変なところで純粋で可愛くて。リクドーオンラインの中でもカイはちょっと特別な存在で、帰ってきた今も、それは変わらない。

 だけど、その特別が男女としての特別かと問われれば、「そうだ」とは今の私には言えなかった。

 だってね、「好き」ってなに? 人間として好きとか、友達として好きじゃ駄目なの?

 友達として一等大切で、好き。それでいいじゃん! と開き直ってみた事もある。

 でも、私の「好き」とカイの「好き」はやはり違うような気がして、でもでもカイの態度だって以前と変わらないものなわけで、ひょっとしたら一等大切なこの気持ちはカイの「好き」と同じなんじゃないの!? ……どうなの? 等とバレンタインを前にして、カイに対する気持ちに悩み始めた私は、高校に入学して、初めて出来た女友達に、「私じゃなくて、友人の話なんだけど~」と年齢その他を誤魔化し、さりげなく相談を持ちかけてみた。

 友人Aの返答は簡潔だった……


「簡単よ。舌を入れられても平気かどうか。それだけよ」


 と、えらく上級者向けのアンサーをもらい。私はその場で夜店の金魚のようにぱくぱくと口を開閉させた。

 はあ!? 舌! 舌ってあの舌!? 咥内にあって、味覚を伝達するあの舌ですか!? え? 入れるってどこに!?

 っていうか相手は、カイですよ!? 中学一年生ですよ!? え? なに? やっぱり縛りプレイなの!?

 と何処までも暴走を続ける頭に待ったをかけて、冷静になろうと深呼吸をしてみるも、やっぱり友人Aの回答は私の理解の範疇を越えていた。

 舌って、舌って……

 いや、それはない。ない。ないないない。ないわー。うん、ないない。どう考えてもない。つーかない。ないと言ったらない。

 もんどりうつ私に、友人Aは「四ッ谷も苦労するわねー」とかなり外れた感想を零していたけれど、だって、ないものはないんだから、仕方ない。

 うん、今、思い出してもやっぱりない。


「ね! ないよね! 四ッ谷!!」


 と遥か頭上のネクタイを締上げて問えば、


「は!?」


 と怪訝な声がふってきた。

 ……あれ? 四ッ谷?


「なんでいんの?」


 バレンタインのチョコを男と買いに来るほどぼけてはいない。

 一人で悩んでいたはずが、いつの間にか隣に立っていた四ッ谷に私は首を捻った。


「カレールー買い忘れたから買って来いって言われてな。で?」


 言いながら、四ッ谷は、私が絞めたせいで、きっちり首元に納まっていたネクタイをだらしなく緩める。


「で?」


 質問の意味が理解できず鸚鵡返しにたずねると、四ッ谷面倒そうに口を開いた。


「今、いきなり「ないよね」って首を絞めながら同意を求めたろうが。何がないんだよ」

「えっ。舌が……」


 思わず正直に答えそうになって、私はあわてて俯いた。


「した?」


 フォールンエンジェルセイマ・清人が、言い辛そうな様子に気付いてくれるはずもなく、私は窮地に立たされた。しかし、視線を落としたとき、救いの神は舞い降りた。


「ほら、した……下段のね。チョコが品切れだなーって」


 ナイス、私!

 ちょうど空になった棚を目線で示せば、堕天使・四ッ谷はあっさり納得したようだ。


「あー、もう明日だもんな。皆とっくに用意してんだろ。今頃慌てて買いに走ってんのは、お前ぐらいじゃねえの」

「えっ、そういうもんなの?」

「……そういうもんじゃねえのかよ」

「私はてっきり、期日ぎりぎり、割り引きが始まったチョコレートを狙うもんだと」


 それでついでに、自分の分も買うんだよね? もちろん自分のが一番値のはる奴だよね?

 とさらに同意を求めれば、四ッ谷は「買ったことねーよ! ボケ!」と拳骨を落とした。


「そもそも、ここで買うこと自体どうなんだよ」


 周囲を見渡す四ッ谷につられて振り返れば、店内はタイムセールの袋詰めにハッスルするおばさまで溢れていた。

 ここは安いと評判のスーパーだ。夕方時ともなれば情報通のおば様方が本日のタイムセールを求めて殺到する。

 もちろんチョコも安かろうと足を運んだのだが……


「駄目なの?」

「駄目だろ……」


 四ッ谷いわく、バレンタインのチョコは手作りが基本らしい。もし、仮に手作りが無理でもデパートや専門店でキャッキャウフフと選んで、1月中に用意しておくものらしい。

 「結構夢見がちなんだね……」と高い場所にある肩を叩けば、「少しぐらい夢を見させろ……」と遠い目をして言われた。

 妄想から帰ってきた四ッ谷は、私の持っていたカゴの中身にちらりと視線を落とす。

 カゴの中にはチョコが四つ。四ッ谷はにやりと笑った。


「俺の分もあんのか?」


 図々しい。


「あるよ。つーか、あったよ?」

「おい! なんで過去形なんだよ!」

「いやー。だって急にあげる気が失せたというかね。ほら、あれだよ、宿題しようと思ってた時に、「早く宿題しなさいよ」って言われたらやる気なくすのあるじゃん。それと同じ感じ」


 噛み砕いて心情を説明すれば、四ッ谷は微妙な顔をしてそっぽを向いた。


「で?」


 かと思えば、そっぽを向いたまま、さっきと同じ質問を繰り返す。


「で?」


 やっぱり、四ッ谷の質問の意味が理解できず、私も同じ言葉を繰り返す。

 すると四ッ谷は眉を顰めたあと、言いにくそうに呟いた。


「カイのはどうすんだよ」


 こいつ、今までノータッチで、逃げ回ろうとしていたくせに、今になってそれを聞くのか。

 でも、正直有難かった。どうすればいいのか、本当に分からなかったから。


「どうしよう?」


 だから素直にアドバイスを求めたのだが、四ッ谷はギロリと私を睨んだ。


「自分で考えろ」


 吐き出された声は冷たかった。

 四ッ谷は決して気の長いほうではない。かといって喧嘩っ早いということもないが、時々、今のように急に怒り出すことがある。

 そういう時の四ッ谷の怒りは大抵正しくて、私は後で謝り倒すことになるのだ。


「あいつが、俺をどう見てるか知ってるか?」

「え?」


 年上なのに阿呆で馬鹿な可愛そうな奴……とか?


「いつだったか、佐藤さんが言ってたよ。「四ッ谷君はカイのコンプレックスを体現したような存在だよね」ってな」


 コンプレックス……カイにそんなものがあったなんて。あの理解不能な変態的超高性能頭脳だけで全ての欠点が補えてたっぷりお釣りがくるだろうに。そのカイが劣等感を抱えているというのなら、私は生きててごめんなさいってレベルじゃないだろうか。

 さっぱり理解できない、と首を捻る私を見て、四ッ谷は長い長い溜め息を落とした。


「お前、ほんっとーに。馬鹿なのな」


 誰に言われるより、四ッ谷に馬鹿と言われるのが一番堪える。

 些かむっとして四ッ谷を見上げると、頭にチョップが落ちてきた。暴力反対である。


「お前、今、馬鹿に馬鹿って言われたくねーって思ったろ。言っとくが、カイの件に関しては、俺より遥かにお前のほうが馬鹿だからな!」


 語彙の乏しい四ッ谷の説明は時に難しい。

 それはつまり、私がカイの心情に対して鈍い……という解釈でよろしいか。


「自分よりも、好きな女の近くにいて、歳下でもなければ、背も高い。気にしない男がいると思うか?」


 「好きな女」と具体的な言葉にされて、顔に熱が昇るのがわかった。そこはもう少しソフトに「憧れのお姉さん」等と表現してほしい……と思ってから自分の考えを打ち消すように首を振った。そう思うこと事態、カイに対して失礼な気がする。

 でも、そっか。うん、なんとなく、分かった。

 私と四ッ谷は一緒にいる時間も長いし、歳も同じ。成長期の男子特有の爆発的な伸びは、カイにも驚くほどの変化をもたらしているけれど、元々が小柄だったカイの目線はまだ私より少し下にあった。

 カイが四ッ谷の存在を気にしているだなんて、ちっとも気付かなかったのは、多分、四ッ谷に対して、これっぽっちも、特別な感情を抱いたことがないからだろう。私にとって四ッ谷は、気の置けない親友であり、時にお父さん的な存在であり、絶対に本人には言えないが、尊敬する相手だ。

 しんみりとカイの葛藤を慮り、同時に一つ賢くなったと自賛していた私だが、続く四ッ谷の言葉にまたしても驚かされた。


「あいつがわざわざ俺のいる場でこくった意味を、ちったあ考えやがれ」


 どえええ!? そこにも意味があったの!? 

 ああ、そういえば、伝え忘れてたなあ。四ッ谷もいるけど、まあ、いっか。的な思考であのタイミングになったとばかり思っていた。


「……うん。わかった。自分で考える」


 カイがそこまで意識する相手に、助言を求めるなんて、一番やっちゃいけないことだ。

 そう気付いた私は、目の前のチョコに向き直った。

 納得のいくチョコレートを決めるのに、それからたっぷり一時間はかかったと思う。

 よし! と気合を入れてチョコをカゴに入れてから気付いたが、隣にはスマホをいじる四ッ谷が立っていた。


「あれ? なんでまだいるの?」

「バーカ。またカイと変態を間違えて電話かけてこられたら困るからだろ」


 素直に暗くなったら心配だから、と言えばいいのに……

 図体のでかいこの親友はとても天邪鬼だ。


 結局私はハート型のチョコを買えなかった。

 明らかに義理だと分かるチョコが四つ。それと自分用のが一つ。

 ハート型は買えなかったけれど、この日、私は産まれて始めて、自分用のチョコよりも高いチョコレートを買った。



「四ッ谷、これあげる。それから、こっちはカイの分」


 お決まりの勉強会が始まる前に、私は鞄の中からチョコを取り出した。

 一応、チョコレートにはラッピングを施してある。

 薄いピンクの無地の包装紙に赤いリボン。カイのも四ッ谷のも同じ包装だ。

 でも、形から二つのチョコが別のものだと分かるだろう。


「……えーと、その。友チョコってことで」


 ごにょごにょと言い訳がましく付け足すと、カイはさらりと「ありがとう」と言ってチョコを受け取った。

 喜ぶでもなし、がっかりするでもない。そんなカイの態度を見ていると、よくわからなくなってくる。カイの好きは私の好きと、そう変わらない種類の好きなんじゃないのかと、ちょっぴり安堵しかけた時、カイがチョコレートから顔を上げて、私を見た。

 若いだけあって、カイの目は澄んでいて、綺麗だ。

 揺るぎのない真っ黒な瞳に見詰められて、思わず息が詰まった


「去年のキットカ〇ト大袋から進展したね。その変化だけで満足かな」


 ――うっ。


 おねーさん、今日はもう帰ってもいいですか!?

 つか、四ッ谷! またトイレに逃亡しようとするんじゃない!!

 まじで、置いていかないで……

 その日、私は久々に落ち着かない気持ちで、ただ時間が過ぎるのをまったのだった。

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