拍手用小話 『無題』
〈前〉
リカさんらしきホストをこの目で見たい。
そう、佐藤さんに頼み込んだのが一週間前のこと。
今、私は、佐藤さんと四ッ谷の3人で、午前3時の飲み屋街を歩いていた。
「寒い」
「寒いねー」
「眠い」
「眠いねー」
「帰ろうぜ」
「いや」
暗い顔で道案内をしてくれる佐藤さんの後を、延々と文句を垂れる四ッ谷と追う。
「寒い」
「寒いねー」
「眠い」
「眠いねー」
「帰ろうぜ」
「いや」
何度目かのループの時、とうとう、私は切れた。
「うるさいな! そんなに嫌ならついて来なきゃいいじゃん!」
佐藤さんさえ道案内してくれれば、四ッ谷がついてくる必要は無いのだ。
「どっからどうみても未成年のお前と、佐藤さんが二人でこんな時間にこんなとこ歩いてたら、やべえだろうが!」
飲み屋街の一本外れた通りにはラブホテルが軒を連ねている。確かに、いらぬ誤解をされるかもしれない。でもそれに四ッ谷が加わったところで、元締めの下っ端がついてきたようにしか見えないと思うんだけど。
「僕が悪いんだ。まだ高校生の君達をこんな時間に連れてくるなんて、僕は………」
「いやいや、佐藤さんは悪くないっすよ。こいつがわがまま言うから」
「そうそう佐藤さんは悪くないですよ。四ッ谷が煩く言うから」
どんよりとした顔の佐藤さんが、今晩何度目かの自己嫌悪に陥りかけたのを慌ててフォローする。
四ッ谷を通じて出来た友人(女)にアリバイ工作を頼み込み、やっと外泊出来たのだ。
そうそう何度もチャンスは作れない。
佐藤さんを宥めつつ、ようやくついた、リカさん(と思われる男性)が努めている店の近くで待機する。
まだ店の明かりは煌々と輝いており、リカさんが出てくる気配はない。
「やばい、まじで寒い」
と言い出した四ッ谷に温かい缶コーヒーでも買ってくるかと、店から目を離した時だった。
「あ、来たよ」
佐藤さんの袖を引かれ、勢いよく振り返りかけた、私だったが、寸でのところでとどまって、ごくさりげない動作でもって、店を見た。
超のつくミニスカートに毛皮のショートコートを羽織った、美人だが、薄幸そうな女性に、彼女のものらしき鞄を差し出す、男性が目に入る。
黒いスーツに、金茶の髪、切れ長の目に、通った鼻筋。遠目にも、リカさん(推定)はリョースも真っ青な美青年だった。
今のままでも充分に女性として通用しそう。
思わず見とれていると、四ッ谷に頭を小突かれる。
「おい、あんま見てんじゃねーよ。気付かれるだろうが」
「あ、うん」
ぎこちなく目を逸らす、その先で、リカさん(推定)が、親しげな仕草で女性の頬に口付けると、女性はタクシーに乗り込み去って行った。
異変はそのすぐ後に起きた。シャツの胸元を掴み、口を押さえたリカさん(推定)が慌てて店の横に通っている細く暗い路地裏に駆け込む。
「あそこでね、いつも吐いているんだよ。彼は」
佐藤さんは苦しげにそう説明してくれた。
仕事終わりに吐くと言っていたリカさん。彼がリカさんで、ほぼ間違いないだろう。
この日、私達はリカさんに己の存在を明かす事無く、家路についた。
余談だが、アリバイ工作を頼んだ友人によって、四ッ谷と私の一泊旅行が創作され、さらなる誤解を生んだ事を特筆しておく。もう、どうしよう。
〈後〉
リカさんの姿が見れた。今の自分と本来の自分の違いに苦しんではいたけれど、帰還して、生活を営んでいる。そう思うと少しほっとする。
リカさんに会うべきか会わざるべきか、私達は迷っていた。
そんなある日の夜、母は町内の親睦会で飲みに行き、父は忘年会で終電帰宅予定。こたつでまったり映画を観ていた私と修也は、どちらともなくアイスが食べたいと言い出した。
時刻は夜の10時45分、近所のコンビニは徒歩10分。寒い夜道を歩いて、買いに行くのはすこぶる面倒だが、一度食べたいと思うと、どうにも食べたくて仕方がなくなるもので………。
「最初はグー! ジャンケン! パー」「チョキ!」
「うわっ、負けた」
公正なるジャンケンで負けた場合には、何時いかなる場合も任務を遂行せねばならないという仁木家家訓により、私はしぶしぶ、コートを羽織って、ブーツを履いた。
「俺、雪見大福。お袋が帰るまえに帰ってこいよー。あと、携帯はちゃんと持ってけ」
あいあい。こたつの中から、声を上げる修也におざなりに返事をすると、私は寒風吹きすさぶ12月の夜空の元に出た。
ぱらぱらと雑誌を物色し、アイスを買い込み、店を出て、どきっとする。
駐車場の角には、四ッ谷をちっちゃくして、さらに柄を悪くしたような奴らがたむろしていたのだ。
立ち読みするんじゃなかった。と一瞬後悔したが、何せ私は地味な女。
奴らのお眼鏡にはかなうまいと、鼻歌まじりに側を通り抜けようとした時だった。
突然横から伸びた手に腕をつかまれる。
「こんばんはー。お姉さん1人? 俺達暇なんだけど一緒に遊ばない?」
瞬時に冷や汗が背中を伝った。
「すっごく忙しいので無理です」
引き攣った笑顔で誤魔化し、腕を外そうとするも、男達はにやにやと笑うばかりで手を離してくれない。
店の中からは死角になっている。
唯一の救いは、男達が車ではなく、このクソ寒いのにバイクだという点だろうか。
それでも危機には違いない。私はコートの中の携帯に手を伸ばした。
「あれあれあれ? お嬢ちゃん、なにやってんの?」
お前らさっきは、お姉さんって言ったじゃないか! 呼び方統一しろよ。紛らわしいな。
等と胸中で強がってみても、右手も、左手もふさがれて、今にも泣きそうだった。
「お前ら邪魔」
不機嫌な声と共に、乙女のピンチを救ったのは白馬に跨った王子様! ではなく、マフラーで顔をぐるぐる巻きにした、怪しい男だった。
「うざい。きもい。ださい。消えろ馬鹿」
助けてくれるのは嬉しいが、2:3で劣勢なのに、煽ってどーすんの!?
せめてコンビニに駆け込んで人を呼んできてから煽ってよ……。
「ああ? なんだと、このやろう」
腕の拘束が緩む。
暴漢その①がマフラー男に殴りかかった。
怪しい風体のマフラー男は顔を避けて拳を交わし、腹に痛烈な一発を叩き込む。自らの勢いで威力を増した腹パンをくらった暴漢その①は、たったの一撃でその場にくずおれた。
「てっめえ」
暴漢②の攻撃。しかしマフラー男は華麗なバックステップで回避すると、きれいな蹴りをすぱんと暴漢②の頭に放つ。
暴漢②は99のダメージ。暴漢②は戦闘不能になった。
暴漢③は怯んでいる。しかしやられた仲間の手前逃げられない。
我武者羅にマフラー男に突っ込む暴漢③。
その③のフードを私は後ろから掴んだ。
がくんと、仰け反る暴漢③。マフラー男の足払いが決まる。倒れた③に止めの踏みつけ攻撃!
ちゃらららっちゃら~ん。地味女とマフラー男は、見事暴漢①②③を倒した。
「ご協力どーも」
高らかにファンファーレの鳴り響く脳内に、冷めた声が入り込む。
「あ、いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました」
深々と礼をすると、マフラー男は倒れた男達を見下ろした。
「女が欲しけりゃ、惚れさせろ。ま、お前らの面じゃ、無理かもしんねーけどよ」
そう言って見せ付けるように降ろしたマフラーの下から現れたのは、女性と見間違うような整った顔だった。
リカさん!
そう叫びそうになったのをぐっと飲み込む。
あぶねえええええええええ。
「あんたも、女が1人でふらふらしてねーで、さっさと帰んなよ」
「あ、はい、すみません。リカさん」
「………………………………」
「………………………………」
回れ右をしてダッシュで逃げた。
アイスと一緒についでに買ったコーラが入った袋をぶんぶん揺らして逃げた。
のに、捕まった。
「待て、こら!」
コートの襟首をつかまれ、抱きしめられ……というより、羽交い絞めにされる。
道行く人が見れば、痴漢が抱きついているように見えるかもしれないが、近くでリカさんの顔を見たら、恋人の抱擁だと思いこんで去っていくだろう。
美形ってずるい!
万事休す!
「オクトか? オクトだな!?」
しかもすぐにばれちゃったよ。
「何とか言え」
「はいはい。オクトです。オクトだから、離してええええ」
ここは家の近くなんです。母が帰って来てばったり出くわしたら、強引に晩御飯食べさせられちゃうよ!
「はっ、はははははっ」
解放されたと思った途端、腹を抱えて笑い出したリカさんに困惑する。
「あのー、大丈夫ですか?」
恐る恐る、顔を覗き込むと、リカさんは目尻にたまった涙を指で拭い、鋭い眼光を向けた。
「どうして俺が、リカだと分かった?」
嘘をついたらどうなるか、分かってんだろうな。そうリカさんの目は語っていた。
正直に、これまでの経緯を話すと、リカさんは手の甲で頬を覆う。
「寄りによって、その姿を見たのか……」
「すみません」
誰だってそう親しくも無い相手に弱っている姿など見られたくないだろう。リカさんのようなタイプなら尚更だ。すごすごと謝ると、リカさんはガードレールにもたれ、ポケットに手を突っ込んだ。
「しっかし、夢じゃなかったとはねえ」
煙草を取り出し火をつける。
その仕草の一つ一つが様になっていて、男とも、女ともつかない危うい色気があった。
「なんだ。惚れても無駄だぞ」
「目の保養をしているだけです」
正直にきっぱり告げると、リカさんは、また笑い出した。
その声が存外に低くて、性別を改めて認識させられる。
「そういや、あんた、約束はどうなった?」
「うえっ、えと、約束は、その履行するには色々と問題が生じまして」
目を逸らして、もごもごと口にする私を、リカさんは気だるげに白い煙を吐き出しながら眺めた後、「ま、いいや」と呟き、身を起こした。
「元気でな」
「あ、ちょっと! 待って下さい!」
煙草を咥えたまま歩き出そうとしたリカさんを私は思わず呼び止めていた。
「あの、皆に、佐藤さん達に会ってみませんか?」
歩みを止めたリカさんは、背を向けたまま、ふうと空に向かって息を吐き出す。
「興味ないねえ」
リカさんの背中が夜の中に消えていくのを、私はただ見詰めていた。
「姉ちゃん、今の誰?」
「おわっ」
突然背後からかかった声に振り向くと、修也がじっとこちらを向いて立っていた。
「すっげー、美形だったけど、どっちが本命なんだよ。二股は感心しねーぞ」
どっちって、誰と誰のことよ………。
その後溶けかけたアイスをこたつで食べ、噴出したコーラの後片付けに追われたのは言うまでも無い。
ちなみに後日、リカさんに会った話を四ッ谷にしたら、修也もろとも説教された。
近頃四ッ谷が頑固親父に見えて仕方がない。