84.蛇足という名のエピローグ ③
危険人物扱いされた伊達は、苦虫を噛み潰したような顔で、明後日の方向を向いていた。
そりゃあ、小学生のカイに怒るわけにはいかないもんね。
ばらばらのカップをトレイに載せて戻ってきた佐藤さんは、それをテーブルの上に置くと、側に座った。
「どうぞ」と皆に飲み物を促してから、佐藤さんは天上を見上げる。
「さて、何から話そうか」
しんと部屋の中が静かになる。
何から聞こう。聞きたい事も、話したいことも、いっぱいあってうまく言葉が出てこない。
カイはどうやって助かったのか。いつまであそこにいたのか。ロクは斉藤だったのか。ロクとの賭けとは何だったのか。
でも、今、一番に知りたい事といえば――――
「タスクさんと、リカさんには会いましたか?」
「多分、会ったよ」
私の問いに、佐藤さんは曖昧に頷いた。
「まだ、確認をとっていないんだ。というのも、彼らにあれが現実であったと、あの空間を共有した僕らが居ると伝えるのがいいのか悪いのか分からなくてね」
まあ、僕もそれどころじゃなかったっていうのもあるけどね。と佐藤さんは頬をかいた。
「タスクさんは、僕の社の先輩……だと思う。あの日奥さんが産気づいて、2~3日休んでいたそうだから、彼で間違いないだろうと思っている。今はもう元気に出社しているよ。心配はいらない。リカさんは……彼については正直、全くの推測になるんだが、行きつけだった居酒屋の近くで時々見かけたホストの彼だと思うんだよ―――――斉藤と出かけた飲み屋の近くでね」
斉藤。
この一連の騒動には佐藤さんと彼が深く関わっている。そう考えていいのだろう。
佐藤さんが鍵だという発想は間違いではなかったのだと、私は確信を深めた。
けれど、分からない事もある。タスクさんと佐藤さん。カイと佐藤さん。リカさんと佐藤さん。それぞれの繋がりは分かった。でも――――。私は居住まいを正して佐藤さんを見た。
「佐藤さん。私はROの中に居た時から、佐藤さんが軸なんじゃないかと考えていました。タスクさんと佐藤さんは勤め先で関係があるし、カイと佐藤さんは叔父と甥の関係で、リカさんは、他の二人に比べると少し弱いですが、やっぱり佐藤さんと繋がりがあった。でも、私にははっきり言って心当たりがありません。今日、こうして会ったのが初対面ですし……。伊……四ツ谷もそうだと思います」
だよね? と四ツ谷を振り返ると、彼は腕を組みながらうんうんと頷いた。
「そうだろうね」佐藤さんは何やら言い辛そうに視線を伏せる。
「僕と斉藤が一方的に君達を見知っていたんだ。リカさんと同じくね」
なんですと!? いつ、いつ私と四ツ谷を見ていたのだろう。
「その、こんな事は人として問題があるのは分かっているんだが、その時の僕達は、君達とは全く面識がなくて………つい」
つい?
「賭けていたんだ。斉藤と」
何を!?
「君達が……その……付き合うかどうかを」
佐藤さんは正座した膝の上で、ぎゅっと拳を握り締めた。
「すまない! 全く関係のない君達の心を賭けの対象にしてしまって」
え~~~~~~~~~~~と、いや、うん、賭け云々はいいよ。この際どうでも。
でも、その内容はなんだ!? 四ツ谷と私が、くっつくかって、どういう事よ。百歩譲って今なら分かるよ。しょっちゅうつるんでるし、実際勘違いしてる輩はいっぱいいるしね。でも、佐藤さんと斉藤が知っている私達はそうじゃなかったでしょうよ。
「実は社が、君達の高校の駅近くでね……。徹夜して朝食を調達に行くときや、早めに出勤した時などに、時々見かけていたんだ。君達の姿を」
たちの姿と言われても、その頃はばらばらに行動していたはずだけど。
首を捻るばかりの私を見た後、佐藤さんはちらりと四ツ谷の様子を窺ってから言葉を続けた。
「最初はね、随分と大きな男の子がいるなあ。今時の高校生は発育がいいと、その程度の認識だったんだよ」
それはつまり四ツ谷のことですな。でかいし、この髪色だし、目立つだろうな。
「僕は見ての通り、背は高いほうではないし、斉藤も174、5程度だったかな。ちょっと分けて欲しいよね。なんて言って見ていたんだけど、そのうち、その子の目が、いつもある女の子に向けられていることに気づいてね。それがまた、その男の子とは正反対の趣の子で、僕達は興味を惹かれたんだ」
話の流れからして、その女の子が私か。
「すぐに声をかけて押していきそうなタイプに見えたのに、何時も遠くから見ているだけで、何も行動を起こさない。そんな彼の様子を見て、自分の学生時代を思い出したりしてね。微笑ましいやらもどかしいやらで……。斉藤はじれったくて苛々すると言っていたかな。まあ、それで、ある日、斉藤と賭けをしたんだよ。君達が晴れて恋人同士になれるかどうかを!」
一気に話し終えた佐藤さんは、申し訳無さそうに四ツ谷を見た。
つられて、四ツ谷に目をやった私は、憮然としている彼の肩を小突いた。
「なーんだ。田……四ツ谷君。そういうことだったの。んな乙女みたいなことしてないで、どんとぶつかってきたらよかったのに」
にまにまと笑みを浮かべながら告げた瞬間、頭に掌が降ってきた。
「お、ま、え、は! 分かってて言ってやがるだろ! しかも、何時まで田なんとかと間違えてやがんだ!」
ぐりぐりと頭を弄繰り回すと、四ツ谷は勢いよく佐藤さんに詰め寄った。
「佐藤さん! 俺がこいつを見ていたのは、こいつの本性を知らなくて、いつも1人だったこいつを心配していたからなだけですから!」
こんな奴だって分かってたら、最初から心配なんてしませんよ! ある種の詐欺ですよ!
真っ赤な顔で抗議する伊達に、佐藤さんは目を丸くして謝り、私は堪えきれずに噴出した。
「よっ、四ツ谷が、片思いで私を見詰めてるとか、ありえない。ありえなさすぎる」
「うるせえよ、笑いすぎだ」
お腹を抱えて、ひいひいと笑い続ける頬を四ツ谷が摘む。
「いひゃい、いひゃ、はっははひゃひゃひゃひゃ」
「分かるでしょう、佐藤さん! 10日も一緒に居るってーのに、俺の名前を知ろうともしないような奴なんですよ! それが恋愛対象になると思いますか!?」
「いやあ、そんな前から心配していただいていたとは露知らず、失礼致しました。ぶふっ」
「てめえは! いつまで笑ってやがる!」
ゴムのようにぐいぐいと頬をひっぱる四ツ谷のグローブのようにでかい手に、まだ細い掌が重なる。
「煩い。隣近所に迷惑だ。それで? 佐藤さんはどちらに賭けていたんですか?」
小学生に諭されて、馬鹿な高校生2名は正座をして佐藤さんに向き直った。
「うん、その……僕は駄目なほうに。斉藤は晴れて恋人になるほうに……」
それはまた意外な。人の良い佐藤さんのことだから応援する気持ちをかねて、両思いになる方に賭けそうなものなのに。
「いや、その、君達の恋路が―――あ、今となっては僕の誤解だってのは分かったけれど―――上手くいかなければいいって考えではなかったんだよ。ただ、余りにも君達の雰囲気が違ったものだから―――いや、これも今となっては誤解だと分かっているんだけど―――。その時はどうにも上手くいきそうにないなと……」
思ってね。いや、本当にすまない。と、佐藤さんは四ツ谷に頭を下げた。
あのー、私は?