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54.涙腺活用法

 静かに私の顔を見つめていたカイが、ふとロップヤーンの街の外へと顔を向けた。

 遠く広がる緑の大地がイーシェの光で淡く浮かび上がっている。

 なだらかな山と、深い森と、豊かな草原。

 ビルも点々と線を描く街灯もない。

 ついでに学校も試験も体育祭もない。

 私が、仁木杏じゃなくて、帰りを待つ家族がいなくて、この体が本当の体なら、ずっとここにいるのもいいかもしれない。そんな気分にさせるには充分に足りるほど、ROの世界は美しかった。


「多分、明日は何も起こらない」

「え?」


 幻想的な光景に見入っていた私は、カイの声で我に返った。


「このコランは肩慣らしというかチュートリアル的な要素の場所だから、ここのボスを倒したところでどうにかなるとは思えない。だから――――」


 だから?


「――――なんでもない」


 えー。

 私は不満を思い切り顔に出してアピールした。もったいぶらずに言っちゃえよ。まだ私と話す機会があるから良かった、か? それとも体育祭に出なくて済みそうで良かった、なのか? んん? どっちの趣きなんだ?

 カイは右の掌で顔の半分を覆った。


「もう倉庫に戻って寝たら。ベッドがあっただろ」


 呆れたのか照れているのか、さっさと後ろを向いて歩き出す。その方向は街の中心部とは逆だった。


「カイ?」

「なに」

「どこに行くの?」

「……外」


 いや、門に向かって歩いてりゃそれは分かるって。


「外に行ってどうするの? 今晩はこの街で過ごそうってさっき皆で決めたばっかじゃない」

「少し、用事が出来たから」


 用事ってどんな用事だよ!

 私は立ち上がると、さっとカイの前に回りこんだ。


「……まさか、タスクさんにはあんな事言っといて1人で無窮の王を倒しにいくつもりとか……」


 感情の見えない顔を下から睨みつける。


「違う」


 それだけ言うと、カイは私の横をすり抜けて門へと向かおうとする。振り返ると、私はまたカイの前へ回り込んだ。


「じゃあ、何しに行くの」


 自分でも驚くぐらい低い声が出た。

 目的を聞くまで私が引かないと悟ったのだろう。カイは「ややこしくなるといけないから、皆には言わないで」と前置きして口を開いた。


「ノートの泡をとりに行く。あれはコランでとれるから」


 ほうほう、ノートの泡。


「………って、やっぱり無窮の王にチャレンジする気なんじゃん!!」


 切れた。

 もうぶち切れた。

 年下の癖に、1人で格好つけようってのか、この角餡子が!


「なんで1人で行くの! 危ないんでしょ? 何が起こるか分からないんでしょ? 何のためにロップヤーンに来て仲間を探したの? 馬鹿じゃないの。アホじゃないの。レベル99だろうが、冷静沈着だろうが、数字に細かかろうが、カイなんて、カイなんて、伊達の数百倍馬鹿だ!」

「――――落ち着いて、本当に違うから」


 カイは途方に暮れたように立ち尽くして、私を見た。

 緩く握られた拳を体の脇にだらりと垂らし、眉は限界まで下がっている。それは見た事がない顔だった。


「俺が悪かったから、だから、その………泣かないでくれないか?」


 私はぎゅっと眉根を寄せてカイを睨んだ。


「―――――泣いてない」

「………泣いてるよ」


 本当に泣いていないと思っていた。ちょっと目が熱い気がしたけれど、頭に血が上っているせいだと思っていた。最後に泣いたのは小学生の時だっただろうか。段々と涙を流すのは不恰好で哀れで惨めな事だと思うようになって、泣くのをやめて、もう泣き方も忘れたと思っていた。

 でも、今私は泣いているらしい。


「本当に違うんだ。一人で久遠の洞窟に行く気はないし、あそこに行くのは……最後の最後にすべきだと思っている」

「じゃあ、なんでよ」

「行かなくて済むにこしたことはないけど、ひょっとしたら行かないといけなくなるかもしれない。その時の為に用意しておこうと思っただけ」

「本当に?」

「本当に」


 カイの言葉に嘘がないか見極めようと、私は唇を噛み締め、その瞳を見つめた。

 瞬きをする度に、目じりを熱いものが伝っていく。

 その都度カイの表情が揺れた。幾度も視線を逸らそうとしては思いとどまって、視線を合わせる。冷静なカイらしくない、情けなくうろたえた顔で。


「分かった」


 そう、私が口にすると、カイはほっと息を吐いた。


「私も一緒に行く」

「なっ……分かってないだろ!」

「その代り皆に黙ってるって約束する」


 今度はカイが怒る番だった。さっきとは打って変わった強い眼差しで私を射抜くように見、ぎりりと奥歯を噛み締めると、ふいと顔を逸らした。


「―――――勝手にしたら」


 言うなり、カイは大股で門へと歩き出す。


「勝手にするよ」


 私はカイの後を追った。

 競うように早歩きで歩いて、門の外へ出て、はっとした。

 虎徹が二頭、行儀よく並んで座っている。

 虎徹で駆けて行かれたら、追いつけないじゃないか!

 佐藤さんの虎徹に乗れるかな? いや、でもコアトールカがあの様だったし、どうしよう。とうろたえていると、カイが虎徹に結ばれているずだ袋の紐をとき、中からスカーフのようなマフラーのような長い布を取り出して、私に放り投げた。

 なにこれ?

 布を握り締めてきょとんとしていると、そっけない声がかけられる。


「顔、拭いたら」

「…………うん」


 私は手の中の布に視線を落とした。ちょっと迷ってから、そっと頬に押してるとさらりと軽い感触がする。


「ほら、手だして」


 私が顔を拭っている間に虎徹に騎乗したカイが、掌を差し出す。


「…………ありがとう」


 その大きな手にオクトの無骨な手を重ねると、あっというまに引き上げられた。

 懐かしい定位置、カイの腕の中に納まると、余分な力が抜けていく気がする。


「もう一つ約束して」


 虎徹の手綱をとったカイが、背後から話しかける。


「泣かれると…………困る。もう泣かないでくれる?」


 さっきの狼狽っぷりを思い出し、私は「分かった」と小さな声で答えた。

 その答えに満足したのか、カイが虎徹の腹を蹴り、滑るように大地を駆け出す。

 大きく上下に揺れる背中で、カイは不貞腐れた声でぼそりと呟いた。


「それと、伊達より馬鹿じゃない」


 思わず噴き出してしまったのは不可抗力だと思う。

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