45.気持ちに忠実
「オクト君! 伊達君! 無事で良かった」
佐藤さんは、私達の姿を目にするなり、短い足を必死に動かして駆け寄ってきた。
その様は、思わずしゃがんで腕を広げ、佐藤さんが飛び込んでくるのを待ってしまったほど、可愛かった。
飛び込んでくれなかったけど。一歩手前で止まって、子供にするように、ぽんぽんと頭を撫でられたけど。
柔らかい掌での頭ぽんもおつなものだけど、私はそのぽよぽよの頬とふわふわの耳を味わいたかった……。
「あの、ロクはもう帰ってるんですか?」
私達がついていることを知らずに探しまわっていたら、ちょと、ほんのちょっとだけ気の毒だ。
「まだだよ。でも君達がいた地方を一回りしたら帰ってくるって言っていたから、直に帰るだろう」
私はほっと息をついた。
「ロク君とやらが帰ってきて、皆が揃ったらこれからのことを話し合おうかと言っていたんだ。その前に済ませて置きたいことはあるかい?」
タスクさんが私と伊達の顔を見回した。
「あー、俺は武器の調達をしときたいっすね」
「私は服を……」
それぞれの希望を口にすると、タスクさんは頷いた。
「よし、それじゃあ、用事が済んだら、この場所に戻ってきてくれ。それでいいかな?」
タスクさんが佐藤さんとカイを振り返る。佐藤さんは入り口広場に設けられた噴水の縁に、「よいしょっ」と掛け声を口に出しながらよじ登り、腰掛けた。
「じゃあ、僕はここで皆が揃うのを待ってるよ」
いちいち、可愛すぎるよ、佐藤さん!
涎を垂らしそうになりながら、佐藤さんを見つめる私の腕を誰かがひいた。
「ほら、倉庫行くよ」
振り返れば、相変わらずの無表情のカイが二の腕に手をかけている。
「え? カイも倉庫に用事?」
「別にない。けど、あんた場所分からないだろ」
どうやら道案内をかってくれたらしい。
この街がどれ程の規模なのか分からないが、ぱっと見た感じでは、充分に迷子になり得る広さっぽいのでカイの申し出はありがたい。
「じゃあ、よろしく」
と肩を叩くとカイは何故か小さくため息をついた。
広場を離れ、街の中を流れる川にかけられた橋を渡った。
住居なのか商業施設なのかも判然としない建物が川から道を一本隔てて立ち並んでいる。
いかにも街の住人といったラフな服装のNPCや、プレイヤーと区別がつかない冒険者然とした格好のNPCなど様々な人とすれ違った。思案顔で川の流れを見つめるギガスのNPCなどは、話しかければ何らかのイベントが発生しそうだ。
おのぼりさん気分できょろきょろと落ち着きなく辺りを見回しながらカイの背中を追っていると、歩く速度を落とさぬまま、カイが話しかけてきた。
「どうして、濡れてたの」
「へ?」
唐突な出だしに首を捻る。
「サラの森で再開した時、あんたも伊達も濡れてたでしょ」
ああ、そのこと。と私は呟いた。サラなる地名に聞き覚えはないけれど、再開した森と聞いてすぐにぴんときた。
「うーん、その、なんて言うか、不幸な事象が重なって女神の泉で水浴びをしたというか……神秘に触れてみたというか……身を清めてみたというか……」
「泉に落ちたのか」
ごにょごにょと歯切れの悪い私の話から、あっさりと真実を汲み取ったカイがため息と共に吐き出した。
「まあ、ぶっちゃけ、そんな感じです。ハイ」
何で、こんなにいたたまれないんだろう。赤点すれすれの答案用紙を前に教師に説教をされているような、身の置き場の無さを感じる。
「それで、どうして伊達まで濡れてたの」
「私、泳げなくて……溺れてるとこ、助けてもらった………。えーと、面目ないです。いや、中身が金槌でもオクトの体なら泳げるんじゃないかって思ったんだけどさ、それがさーっぱり。もうぱにくっちゃって、助けてくれた伊達に怪我はさせるは、その直後に会った、タスクさん見て取り乱しちゃうわで、散々だったよ」
振り向かないカイの背中からひしひしと感じる威圧感に、私はぺらぺらと喋りまくった。
「あ、伊達ってさ、泳ぎ得意なんだって。いいよねー。運動神経いい奴は。私もさ、この体ならちょっと練習したら泳げるようになるかなあ。今度伊達に教えてもらおうかな、とか思ったりして……。え、と、カイは? 泳げる? 良かったらさ、一緒に練習しない? なんて……。あ! そうだ。大切な事忘れてた。伊達の事なんだけど、あいつと私って」
「もういい!」
私は思わずびくりと肩を揺らして立ち止まった。
急に声を荒げたカイに驚き、離れていく背中を、目を見開いて見つめる。
ずっと無言だったカイ。きっと呆れているんだろうと思っていたのに、まさか怒っていたなんて。
でも、なんで?
溺れて迷惑かけた伊達が怒るならまだしも、カイには迷惑かけてないじゃない。
突然の拒絶に対する驚きが過ぎ去ると、怯んでしまった自分が情けなく感じて、私はむっとした。
私がついて来ていないと気付いているだろうに、振り向きも、歩調を緩めもしない。どんどんと遠ざかっていく小豆色の髪が揺れる背中を走って追いかけた。
ようやく追いつくと、隣に並び、上半身を傾けて歩きながらカイの顔を覗き込んだ。
「ちょっと! 急になんなのよ!」
前を向いたまま、目だけを動かしてカイが私を見た。かと思えばすぐに視線は前方へと戻される。
「なんでもない。話が長くなりそうだったから切っただけ」
カイの声はいつもの平坦なものに戻っていた。無視されるか、また怒るかと思っていたのに、肩透かしもいいとこだ。
「……なにそれ。だったらもうちょっと言い方があるでしょうが」
「それより、伊達の怪我って? 泉の中に敵でも出たの?」
釈然とせずに、ぶつぶつと文句をたれる私の話を、カイが遮る。
「ううん。敵は出てない。混乱してたからよく覚えてないけど、私を助けようとして、多分伊達は私の首に、こう腕をまわしたのね」
私は腕を、自分の首に絡み付けた。
「そしたら、余計に苦しくなって、つい腕に爪をたてちゃって……流血」
「そう」
「うん、そう」
そっけなく返された言葉に、こくりと頷くと、それきり会話は途切れた。