34.ご記憶でしょうか? 二話に出てきたあの人です
「親父がさ、結構いい線いってた選手だったらしくて、自分のガキに夢を託すっての? よくある話だろ。で、俺もなまじ才能があったもんだから、スイミングスクールのコーチからも早々に選手コースに推薦されて、月曜から土曜まで、ずっとプール通い」
はあ、さいですか。
「外を駆けて自由に遊んでる奴らが羨ましいって感じたときもあったけど、特に疑問にも思わずにプールに通ってたな。小さい頃からずっとそうだったから、麻痺してたんだろうな」
へ、へえ……それは大変な半生で。
「で、ずっーと親とコーチの言う通り、水泳ばっかやってきたんだけど、中学校生活もあとわずかって頃にさ、スイミングの送り迎えに便利だからって、携帯をプレゼントされたんだよ。親から。その頃には練習が終わる時間も遅くなってたからなあ」
随分過保護な親御さんですなあ。
「単純にうれしかったよ。ずっと欲しかったし。でもな、その時の俺のアドレス帳みたら泣けるぞ? 親と、スイミングスクールの番号しか入ってねーの。笑えるだろ?」
いやあ、あんまり人様のことをどうとかいえるアドレス帳じゃないし……。
「学校終わったら即練習練習の毎日でさ、そりゃ学校内じゃ、それなりにつるむ奴もいたけど、外で会うことなんてなかったし、連絡先なんて必要なかったんだよなあ。練習終わったら帰って飯くって、ちょっと余った時間があっても、もう誰かと遊べるような時間じゃねえし、暇つぶしにゲームして寝るだけ。んで、漸く気付いたわけ、俺、ちょっとやばくねえかって」
どっちかってーと、気付くのが遅いのが問題なんじゃ……。
「しかもその悩んでた時期に、タイミング良くっつーか、悪くっつーか、スクールの先輩が怪我してさあ。オリンピックも目前って有力選手だったけど、怪我で全部パーだ」
うっ、なんかメロドラマちっくな話になってきた。お涙頂戴系は苦手なんだけど……。
もしや、俺の友達の話だけどさあ。なんて言いつつ、がっつり自分の話ってパターンじゃないだろうな。
「あー、俺の事じゃないぞ。俺は丈夫な性質らしくて、怪我ともスランプとも無縁の、将来を嘱望されっぱなしの選手だったけどな」
ちっ。自慢話かよ。
「けどなあ……。なんかさあ、急に怖くなったんだよなあ。どんだけ努力しても一度の怪我で全部なかったことになるんだぜ。俺から水泳とったら何が残るんだよって。すんげー怖くなった」
伊達風に言うとびびったわけですね。
「だから、やめたんだよ。すっげえ揉めたけどさ。きっぱりやめてやったの」
また極端な選択だな。
「んで、髪伸ばして、めでたく高校デビューを果たしたってわけだ」
それはそれは、おめでとうございます。
「楽しかったぜー。学校終わってもだらだらと喋って過ごしてさ」
うーん。落ちはそこか? ちょっと弱いんだけど。
「で、楽しく学生生活を謳歌してたわけだけどな、ある日ふと気付いたんだよ」
あ、まだ続いた。
「クラスにさ。いっつも一人の女がいんのよ。休み時間も自分の席で一人っきりで音楽聴いてるか、本読んでるくらーい奴でさ」
まあ、どんな学校にも一人や二人や5人や10人はいるよね。
「なーんか、俺を見てるようだったんだよなあ。水泳続けてたら俺もああだったろうなって。それからそいつのことが気になってさ」
気になって?
「そいつにちょっかい出すようになったわけ。クラスに馴染んでほしくってさ」
ふーん、ちょっとおせっかいっぽい気もするけど、まあ善行だよね。で、具体的には?
「そいつが読んでる本取り上げて、読んでみたり」
はあ?
「化粧っ気ねえなあ。そんなんじゃ彼氏できねえぞ って忠告してみたり」
ああん?
「ちょっと待て。それのどこがクラスに馴染ませるための行動なのよ?」
あまりの言葉に黙って聞いている事に耐えられなくなった私は、つい口を挟んでしまう。
「あ? 何言ってんだよ。趣味がわかればそっから話が広がるもんだし、化粧とか恋愛の話なんてのは女が一番盛り上がる話題だろうが」
私は絶句した。これが高校デビュー者の実力か。
「で、その子はどうなったの?」
「泣かした……」
対人スキルのない奴が変にはりきって、ちょっかい出すとろくな事になんねーんだよっ!! って見本だな。こりゃ。
「多分、泣いてたと思う。いや、絶対泣いてた……。肩震わしてたからな」
「あんた、何したのよ」
呆れてため息をつくと、伊達はなんともばつが悪そうに唇を噛み締めて下を向く。
「懐中電灯を……」
え
「懐中電灯をあてたんだよ! 暗いぞ。もっと明るくしろよなって」
ええ
「その明るいじゃないだろ。ばーか。みたいな突っ込みを期待したんだよなあ。今考えればまじで馬鹿なんだけど」
えええええ!?
「そしたら、俯いて、肩を震わせて……あー、くそっ。なあ、やっぱ泣いてたんだと思うか? お前だったら、泣くか? いや、お前は泣かずに殴りそうだよな。って、そうじゃなくて、そんな話がしたいんじゃなくて」
ぷるぷると拳を震わせる私の様子を、凶暴な女だと言われて怒っていると勘違いしたのか伊達は慌てたように、首を振り、それからまた髪をかきむしった。
「俺、どうすりゃいいと思う? あいつ絶対怒ってるよなあ。違う、怒ってんならいいんだ。お前みたいに、怒れる奴ならいいんだよ。でも、悲しんでんじゃないかって、一人で泣いてるんじゃないかって。学校来なくなったりしたらどうしようかって気になって。俺さあ、ここから脱出したら、そいつに謝りたいんだ。でも、今更俺みたいな馬鹿に謝られてもとか、謝ること事態自己満足以外のなにものでもないんじゃねえかとか、もう頭ん中ぐっちゃぐちゃでさ。同じ女としてさ、お前なら俺にどうしてほしい。どうしたら、許そうって思えるかって聞きたいんだよ」
押し黙った私を、伊達は不安を隠そうともしないで見つめる。
いやいやいや、今の私はあんた以上に頭の中ぐちゃぐちゃだから。空き巣にでもあったのかってぐらいあっちもこっちも、とっ散らかってこんがらがってるから。
ものすっごいどっかで聞いたような…………つか、体験したようなエピソードなんですけど!!
私は顔を上げると、じっと伊達の顔を見つめた。色白で中世的な美貌を誇るその顔に、私の知っているクラスメイトの面影は勿論ない。そういえば、と私はあの男の姿を思い出す。190センチ近い長身。肩幅の割に細身の体つき、少しのそばかすが散った頬。色の抜けた毛先―――――変わったカラーリングだと思ってたけど、あの毛先は塩素のせいだったのか。
伊達よ………お前、チャラ男か!? チャラ男なのか!?
私は唖然として、ただ伊達の顔を見つめた。見つかるはずもないチャラ男の面影を探して。
とりあえず、この混乱しきりの頭でアドバイス出来るのは、本題に入るまでが長いんだよ! って事ぐらいだろうか。