33.健康第一、思いやり第二
「この上を通ってもロップヤーンに行ける?」
私は岩壁の上に広がる草原を指差した。
「ああ、いける………」
そよそよと風に吹かれる草原を眩しそうに目を細めて眺めてから、伊達はつっと顔を背けて口を開く。
ふいに頭上の日が陰った。
慌てて空を見上げれば、黒い影が一つ、頭の上を通過しようとしているのが見えた。
「伊達! コアトールだ!」
「え?」
私の言葉に上を見上げて、空を悠々と飛行する影を見つけた伊達は、素早く立ち上がった。
「ロクだ! 急げ、何か合図を……くそっ、とにかく頂上まで登るぞ」
刀の一本でもあれば、陽の光を反射させて合図を送れたかもしれない。
けれど、役立ちそうなものが一つもないと分かると、伊達は脱兎のごとく木を駆け上る。
「ロクー! ここだ!!」
登りながら声を張り上げる伊達。
木の頂上まで登り始めた伊達とは反対に、私は枝を伝って、崖の上へと降り立ち、必死に叫んだ。
「ロク!」
ぴょんぴょんと跳ね、シルクハットを振ってアピールするが、無常にもコアトールカはどんどんと小さくなっていく。
「ああああ、行っちゃった」
木の上と、岩壁の上から、二人で枯れんばかりに声を張り上げたが、ゴマ粒のように小さくなり、ついには消えてしまった影に、私はがくりと肩を落とした。
「行っちまったな」
木から下りた伊達が隣に並んで呟いた。
「待ってりゃよかったんだ。テンポー村で。悪い! 俺が行くなんて言わなきゃ……」
がしがしと美しい青髪を掻き毟り、伊達は力なくその場に蹲った。
「は? 何言ってんの。あんたについて行くって決めたのは私だし。責任感じてもらう必要なんてないよ」
「違う!」
伊達が苦しげに叫ぶ。
「レベル1のお前に、選択肢なんて、実質なかっただろ」
確かに上位の誰かに金魚の糞するしか、生きる道はないけれど、それでも決めたのは私だ。
「さっきもそうだ。俺が刀を拾いにいきさえしなきゃ……。傘、悪かったな」
「うん、ほんと最悪」
地面にめり込まんばかりの勢いでうな垂れ、謝罪と後悔の言葉を繰り返す伊達に、私はあっさり告げる。伊達は、顔を上げると目をむいて私の顔を見つめた。
「おっまえ………正直すぎねえ?」
「えー。気を使ってもらえるのを前提に謝るってのもどうなのかなあ」
耳をほじほじそっぽを向く私。伊達はぐっと言葉に詰まって俯いた。
何か言おうと顔を上げるも唇を引き結んで、また俯く。そんな殊勝な態度を繰り返す伊達に、私は思わず噴出した。
「冗談だって。ロクを待たないって決めたのは私だし。あの村でカイや砂糖さんを待つって選択肢も確かにあったんだから。傘だって、確かに運は90ほど減っちゃったけど、私の傘攻撃より、あんたの素手の方が強いだろうし、そう変わんないよ。敵に遭遇したらさ、出来るだけ逃げて、逃げて。そのままロップヤーンまで走り回って逃げ切ればいいじゃん」
私は努めて気楽な口調で話した。
「どうしても振り切れない敵が出てきたら―――――あんたを盾にして逃げるから。よろしく」
伊達の顔を見てにっと笑う。
唖然として私の顔を見つめていた伊達は、ふんっと鼻を鳴らして笑った。
「傘の値段分ぐらいは働いてやるよ」
それから、にやりと人の悪い笑みをその顔に浮かべる。
「お前って、意外といい奴なのな」
「あーら、今頃気付いたの?」
伊達はがしっと私の頭を掴み、乱暴に撫で回して髪を乱した。
「痛い痛いって」
抗議の声を上げると、一層手つきが荒くなる。
「お前、女なんだよなあ」
髪をかき回す手をぴたりと止めて伊達が呟いた。
「歳、いくつ? 俺は16だけど、同じぐらいじゃねえ?」
黒い瞳にじっと見詰められて、私はたじろいだ。
「あー、うん。まあ、同じくらい」
何、今更? と首を傾げてはっとした。
ま、まさか、私の優しさに触れて惚れちゃったとか? こ、これは禁断の「アーッ」コース突入か!?
幾らオクトの体とはいえ、ぢになるのはちょっと……と身構える私に向けられた、伊達の眼差しは迷子の子供のそれのような、頼りないものだった。
「俺………さ」
「う、うん」
私はお尻を押さえて、じりじりと、本当にじりじりと、伊達に気付かれないぐらい、僅かにじりじりと、後ずさった。
「俺さあ、子供のころ水泳一本だったんだよ。まだ小学校にあがったばっかのガキの頃からさ。周りの同じ歳の子供が遊びまわってる頃から、毎日泳いでばっかだったの」
え、そこから? ちょっと長すぎない?
11年前から始まる自分語りに、私は早々に疲れを感じ始めていた。