31.憧憬と自殺志願
私達は走った。デューネレーゲンヴルムから逃げるべく。
伊達の指差した緑まで、あと数百メートルの距離まで来た時、背後から、「キシャアアアア」となんとも不気味な叫び声が聞こえてきた。恐る恐る振り返れば、改造マフラー装備の暴走族のごとく、爆音をあげて疾走するデューネレーゲンヴルムの姿が目に入る。デューネレーゲンヴルムは大いにお怒りだった。
「おい、走れ!」
「言われなくても走ってる!」
今までの2倍速い砂ミミズから、ひたすら走って逃げて、たどり着いたそこには、岸壁に半ばめり込むようにして生えている巨木があった。岸壁の上まで伸びた茶色い幹の所々に、緑の葉が茂る枝がついている。
「登れ!」
「言われなくても登ってるから!」
太い幹のわずかな凹凸に足をかけ、指をかけ、枝に手を伸ばし、私達は必死に登った。
怒り狂ったデューネレーゲンヴルムが幹の根元にその巨体を打ち付ける。その度に木が揺れ、葉が散る。
揺れにたえ、登り続けているとふいに静かになった。砂を書き分ける音も、咆哮も聞こえない。
「あきらめたのか?」
伊達が太い枝に腕をかけ、下を覗き込む。
私もならって、眼下に目を移した。
肌色の砂が風に吹かれてさらさらと舞う。そこにデューネレーゲンヴルムの姿はもうなかった。
「あ、俺の刀!」
「え?」
伊達の目線をたどると、きらりと光るものが見えた。その身のほとんどを砂にうもれさせた刀の、僅かに突き出た刀身が、日の光を反射させているらしい。
「ついてんな………もうちょい時間潰してから拾いにいくか」
両腕の力で枝の上にのぼり、腰掛けると伊達は幹に体を預けた。
「拾いにいくって、降りるの?」
少し離れた枝によじ登ると、落ちないようにしっかりと枝に掴まって話しかける。
「降りずにどうやってとるってんだよ」
「枝を折ってひっかけるとか」
「んなめんどくせえことしなくても、あいつがどっかいっちまってから拾えばいいだろ。今は休憩だ。休憩」
伊達は煩わしそうにそう言うと目を閉じた。
でもなあ、下に降りたその振動があいつに伝わって、超速で戻ってきたらどうすんのよ。
私は手近な枝を引っ張って折れないか試してみた。
しかし、生命力溢れる生木はしなるばかりで、全く折れる気配がない。
「ふぐぐぐぐ」
それでも足をつっぱり枝をひっぱっていると伊達の怒声が飛んできた。
「うるせえな。騒いでたらまたあいつが来るかもしれねえだろ。静かにしてろよ」
一理あるのが、なんだか悔しい。
私は無言で枝から手を放し、木にもたれかかる。
疲れている。という感じはしない。精神的な疲労は計り知れないけれど、肉体的なそれはゼロだといってよかった。あれだけ走ったのに、少し休憩すれば息は整うし、足の疲労感もない。
マッチョなオクトの体だから? どうなってるんだろう、この体。と考えてふととんでもない事実に気がついた。
「ねえ、伊達」
「………んだよ」
伊達は心底面倒そうに片目をあける。
「お腹、すかないね」
「腹? すかねえな。それがどうした」
「どうしてかな?」
「は? どうしてって………そんな時間たってねえんじゃねえの」
話が長引きそうだと思ったのか、伊達はむくりと体をおこして、私を見た。
「仮にね、ここの時間がゲーム通りで、昼と夜が3時間毎に入れ替わるとして、一晩過ごしたからそれで3時間は経ってるはずでしょ? 伊達に会う前は、ゆうに1、2時間は洞窟内にいたし、テンポー村を出てからもそれなりに時間は経ってる。最低でも5、6時間は経過してるはずじゃない?」
それだけ時間が経っているのに、お腹がすなかいというのは私的にはありえない。
「こんな状況だぞ? 腹のへりぐらい忘れるだろ……」
反論する伊達もおかしいと感じたのか、言葉に勢いがなかった。
「お腹のへりは忘れても、喉も渇かないなんて、いくらなんでもおかしいよ。それに、それにさ……」
「それに、なんだよ」
「トイレに行きたくならない!」
そうだ! ずっと変だと感じてたんだ。
「立ちションするの楽しみにしてたのに!」
男になったら何がしたいかと言われれば、一も二もなくそれがしたい。
小さい時から密かに憧れていた立ちションが出来る! とオクトになってしまったショックから立ち直った後から、何時そのときがきても動揺しないようにと、待ち構えていたというのに。
「お前………女か」
伊達が呻くように呟いた。
「は? 今まで気付いてなかったの」
「どこに気付く要素があるってんだよ」
私は首を傾げた。
「仕草とか、言葉遣いとか?」
「その体と、その声でか?」
伊達はじろりと割れた腹筋に目を走らせる。
「まあ、そうだね……」
何回みてもプロテインいらずのいい体してるもんな。オクト。
「くそっ、女かよ。めんどくせえな」
「何をもって面倒だと思うのか知らないけど、今はこの体だし、元の性別なんて関係ないんじゃない」
伊達はなんだか納得がいかないというように眉をしかめて、そっぽを向いた。
つうか、話がずれたじゃないよ。
「そんなことよりさ、喉もかわかない、お腹もすかない、もよおしもしない。私達さ、本当にゲームのキャラと化してるよね」
おそらく、宿屋に泊まらなければ睡眠も必要としないのではないだろうか。
「……そうだな」
こちらを見もせずに気のない返事をする伊達に、詰め寄るようにして私はまくしたてた。
「だったら、だったらよ。敵にやられて死んだら、最初の街――――ロップヤーンに戻れるんじゃない?」