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第4話 最初の発言

【鬼はこの中で最初に発言しています】


その文字が表示された瞬間、体育館中の空気が止まった。

誰も声を出さない。

誰も動かない。

さっきまで怒鳴り合っていた参加者たちでさえ、口を半開きにしたままスクリーンを見上げている。


最初に発言した人間。

それが鬼。


文字だけ見れば、単純なヒントに思えた。

だが、すぐに理解する。

これは簡単な話じゃない。


俺たちはここへ集められてから、すでに何十、何百という言葉を聞いている。

教室でも、廊下でも、体育館でも、誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが質問していた。


あちこちで誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが質問していた。


その中で、最初に発言した人間を思い出せ。


そんなことを言われても、簡単に答えられるはずがない。


「……誰だ?」


誰かが呟いた。

その一言で、止まっていた空気が一気に動き出す。


「最初に喋った奴ってことだよな?」


「誰が最初だった?」


「知らねぇよ、覚えてるわけないだろ!」


「いや、誰か覚えてる奴いるだろ!」


ざわめきが体育館中に広がっていく。

俺も必死に記憶を辿った。


最初に発言した人間。

どこから数える。


この体育館に入ってからか。

それとも、教室で目覚めてからか。

廊下で誰かが叫んだ時か。

それとも、スクリーンに人影が映った後か。


運営は何も説明していない。

ただ「この中で最初に発言しています」とだけ表示した。


発言。

その言葉の範囲が分からない。


独り言も含むのか。

悲鳴は発言なのか。

泣き声はどうなる。

意味のある言葉だけなのか。

それとも、声を出した時点で発言なのか。


考えれば考えるほど、答えはぼやけていく。


「春人」


隣で高橋が小さく言った。


「覚えてるか?」


「分からない」


正直に答えるしかなかった。


高橋は唇を噛む。

責めるような顔ではなかった。

たぶん自分も覚えていないのだろう。


「俺、最初に喋ったのって……あの金髪の奴かと思った」


「死んだ男か?」


「ああ。でもあいつが喋ったのってスクリーンが映ってからだよな。その前にも廊下で誰か叫んでた」


「教室でも俺たちは喋ってる」


言ってから、俺は自分の言葉に引っかかった。

教室。

最初に目を覚ました時、俺は何か言った。

どこだ、ここ。

確か、そんなことを呟いた。


そのあと高橋も起き上がって、何か言った。

な、なんだここ。


記憶が曖昧に揺れる。


もし、それも発言に含まれるなら。

もし、俺たちが参加者の中で最初に声を出していたなら。


背筋に冷たいものが走った。


いや、違う。

そんなはずはない。


俺たちが目覚めた時、他の教室にも参加者がいた。

別の教室で誰かが先に声を出していた可能性だってある。

体育館に来る前から、何人もの声が廊下に響いていた。


だから俺だとは限らない。


そう自分に言い聞かせる。

だが、一度浮かんだ考えは簡単には消えなかった。


高橋も同じことを考えたのか、俺を見た。


ほんの一瞬。

本当に一瞬だけ。

その目に疑いの色が混じったように見えた。


俺は何も言わなかった。

言えなかった。


今、下手に自分たちの教室での会話を口にすれば、それだけで周囲の視線が集まる。


最初に発言したのは誰か。


この問いの前では、どんな小さな情報も凶器になる。


「俺、覚えてるぞ!」


前方から声が上がった。

一瞬で視線が集まる。


声を上げたのは二十代前半くらいの細身の男だった。

黒いパーカーを着ていて、顔色は悪い。

だが、その目だけは異様にぎらついていた。


恐怖に追い詰められた人間の目だった。


「覚えてるって、本当か?」


体格のいい男が尋ねる。


パーカーの男は何度も頷いた。


「たぶんだけどな。最初に喋ったの、あの人じゃなかったか?」


そう言って、パーカーの男は体育館の右側を指差した。


その手は震えていた。

誰かを指しているというより、自分から疑いを遠ざけようとしているように見えた。


全員の視線がそちらへ向く。


指差されたのは、五十代くらいの男性だった。


白髪混じりの短髪。

少し腹の出た体型。

薄いグレーの作業服を着ている。

さっきからほとんど喋っていなかった男だ。


「は?」


男性が目を見開く。


「いやいや、待ってくれ。俺じゃない」


「でも、あんた最初の方に何か言ってなかったか?」


「言ってない!」


「本当か?」


「本当だ!」


男性の声が大きくなる。


それがまずかった。


否定すればするほど、周囲の視線が強くなる。

必死になるほど怪しく見える。

さっきから何度も見た流れだった。


誰かが疑う。

疑われた側が否定する。

その否定が、さらに疑いを強める。


証拠なんて何もない。

ただ、人は安心したいだけだ。


誰かを鬼にできれば、自分は鬼ではないと思える。

それだけで、人は簡単に他人を追い詰める。


「そう言われると、俺も見た気がする」


別の参加者が言った。

俺は思わずそちらを見る。


見た気がする。


その言葉が怖かった。

覚えている、ではない。

見た気がする。


そんな曖昧な記憶が、今この場では命を左右する証言になろうとしている。


「俺もあの人だった気がする」


「確か、廊下で叫んでたよな?」


「いや、体育館で最初に喋ってたんじゃなかったか?」


「どっちでも最初なら同じだろ」


「同じじゃないだろ!」


証言が増える。

だが、増えれば増えるほど曖昧になる。


廊下で喋った。

体育館で喋った。

叫んでいた。

質問していた。


どれも微妙に違う。

それなのに、全員が同じ方向へ流されていく。


あの男が怪しい。

そういう空気が作られていく。


五十代の男性は顔を真っ赤にして首を振った。


「違う! 俺じゃない! 俺は最初じゃない!」


「じゃあ誰なんだよ」


「知らない! そんなの覚えてるわけないだろ!」


「覚えてないなら否定できないだろ!」


その言葉に、男性が詰まった。


否定できない。


それは恐ろしい言葉だった。

覚えていないだけで、罪になる。

証明できないだけで、疑われる。


このゲームはそういう場所なのだ。


俺は拳を握る。


何か言うべきか。

この流れは危険だ。


だが、何を言えばいい。

「記憶は曖昧だ」と言えばいいのか。

そんな正論で、この場が止まるのか。


止まらない。


むしろ、庇った俺が疑われる可能性の方が高い。


なぜ庇う。

お前も仲間なのか。

そう言われれば終わりだ。


自分が疑われるのが怖い。

そう思った瞬間、口の中が苦くなった。


高橋が低い声で言った。


「春人、今は動くな」


「分かってる」


俺は小さく返す。


分かっている。

でも、分かっていることが正しいとは限らない。


黙っていれば安全かもしれない。

だが、その沈黙が誰かを殺すかもしれない。


それでも、俺はまだ動けなかった。


【残り時間 24:18】


スクリーンの数字が減っていく。

時間がない。

残り二十四分。


まだ二十四分ある、とも言える。

だが、この場の空気を見れば分かる。

二十四分は長すぎる。

人が人を疑い、人を追い詰めるには十分すぎる時間だった。


五十代の男性は未だに否定を続けていた。


「違うんだ! 本当に俺じゃない!」


額には汗が浮かんでいる。

呼吸も荒い。

その姿はどう見ても追い詰められていた。


だが、追い詰められているから無実とは限らない。

逆に、追い詰められている演技かもしれない。


そんな考えが参加者たちの頭を支配していた。


そして、それこそが運営の狙いなのだろう。


疑え。

信じるな。

自分以外は全員敵だと思え。


スクリーンは何も言っていない。


だが、ゲームのルールそのものがそう語っていた。


「じゃあ聞くけどよ」


パーカーの男が声を上げる。

先ほど五十代の男性を指差した男だ。


全員の視線が集まる。


「本当に覚えてないのか?」


「覚えてない!」


「一言も?」


「覚えてないって言ってるだろ!」


「でも否定はするんだな」


その瞬間。

男性の顔が強張った。


周囲からざわめきが起こる。

俺も思わず眉をひそめた。


今のは悪意のある言い方だ。


覚えていない。

だから否定できない。

なのに否定している。


つまり怪しい。


そういう理屈だ。


だがそんなもの理屈でも何でもない。

ただの言葉遊びだ。


それでも。

追い詰められた人間は飛びついてしまう。


「確かに……」


「言われてみれば」


「覚えてないなら最初だった可能性もあるよな」


違う。

そうじゃない。

そう思うのに、誰も止めない。


俺も。

高橋も。

誰も。


止められない。


なぜなら全員怖いからだ。

誰かが鬼だ。

その前提だけは確定している。


なら早く見つけたい。

早く安心したい。


その願望が、正常な判断を奪っていく。


ふと。

視線を感じた。


見ると、五十代の男性がこちらを見ていた。


正確には。

こちらというより。

周囲へ助けを求めるような目だった。


誰でもいい。

誰か助けてくれ。


そんな顔だった。


胸が痛む。

だが動けない。

俺は唇を噛んだ。


最低だ。

本当に最低だと思う。


助けるべきだ。

分かっている。

でも怖い。


今ここで庇えば。

次は俺が疑われる。


その恐怖が足を縛る。


その時だった。


「待ってください」


静かな声が響いた。

体育館が少し静まる。


声の主は一人の女性だった。


二十代後半くらいだろうか。

黒髪を肩まで伸ばしている。

派手さはない。

むしろ目立たない。

今までほとんど喋っていなかった。


「それ、おかしくないですか?」


女性は落ち着いた声で続ける。


「覚えていないことと、鬼であることは別問題です」


誰も口を挟まない。


「私たちは全員混乱していました。最初の発言なんて覚えていない人の方が多いはずです」


「でも――」


パーカーの男が何か言おうとする。

だが女性は遮った。


「なら確認します」


空気が変わった。

女性の目は真っ直ぐだった。


「あなたは本当に覚えているんですか?」


パーカー男が固まる。


「……は?」


「最初に発言した人を覚えていると言いましたよね」


「だから覚えてるって」


「何と言ったかまで覚えていますか?」


沈黙。


パーカー男の表情が変わった。


「それは……」


「覚えていないんですか?」


今度は周囲の視線がパーカー男へ向く。

俺は思わず息を呑んだ。


女性は感情で反論していない。

理屈で返している。


「最初に発言した人を覚えているというなら、その内容も覚えているはずです」


「いや……そこまでは」


「なら、どうしてその人だと言えるんですか?」


ざわめきが広がる。


確かにその通りだった。

覚えていると言いながら。

何を言ったかは覚えていない。


それは本当に記憶なのか。

それとも思い込みなのか。


パーカー男の顔が引きつる。


初めて焦りが見えた。


「いや、でも見たんだよ」


「見た気がする、ではなく?」


追撃。


パーカー男は言葉に詰まった。


周囲の空気が変わり始める。


今まで疑われていたのは五十代の男性だった。

だが。

今は違う。


矛先が変わろうとしていた。


そして俺は気付く。

このゲームの恐ろしさに。


鬼を探しているはずなのに。

誰も鬼の話をしていない。


疑われた人間を疑っているだけだ。


証拠なんてない。

確信もない。

ただ。


怪しそうな人間を順番に吊し上げているだけだ。


まるで魔女狩りだった。


その時。


スクリーンが光る。


全員が顔を上げた。

体育館が静まり返る。


そして新しい文字が表示される。


【重要なお知らせ】


心臓が跳ねた。


嫌な予感しかしない。


【鬼は一人とは限りません】


その瞬間。


体育館から悲鳴のような声が上がった。



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