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私の桜前線

作者: yutsura
掲載日:2026/05/01

 花びらが舞う。無数の、白い、けれど僅かに色を添えた花びら。

 化粧をしているみたい。

 白塗りの肌に紅をつけた筆を、さっと走らせる。肌にはかすかな赤みが乗り、主張はしていないのに、ほんのりと色気を帯びる。

 サクラは、そんな花だと思った。


*


 私がサクラのことを知ったのは、歴史の授業で出された宿題がきっかけだった。

 地球時代の文化、風習を調べて、レポートを提出するように。

 面倒な宿題だと思った。機関AIアトラスは、なんでも知っているくせにレポート用の知識は教えてくれない。図書館に行けの一点張り。図書館の司書AIトートも具体的な内容を言わないと、まどろっこしいやり取りを繰り返すことになる。


「なに調べればいいのか、分かんない。地球時代の文化、風習って大雑把過ぎない?」


 推進フィンをつけた足を動かしながらこぼす。隣を移動するラルは、長い髪の毛と格闘していた。ふわふわと無重力に漂い、顔にかかったり、手に絡みついたり。

 ようやくリボンのついたシュシュでまとめ上げると、疲れた顔を私に向けて言った。


「好きなことにまつわる文化を調べたらいいんだよ。アンは植物好きだろう? トートに聞けば、いろいろ教えてくれるよ」


 植物が好きと言っても、植物園で花の香りをかぐのが好きなだけで……。

 ウエストバッグから手鏡とパフを取り出したラルにそうとは言えなくて、とりあえずトートに聞いてみることにした。


 案の定、膨大なリストを提示された。

 文字に埋もれるかと思い、映像データがあるものに絞ってもらった。赤い丘、黄色い森、紫の雨、青い平原。色の洪水にめまいを覚える。その中に一枚の画像があった。

 地面すら覆い隠し、世界を満たそうとするかのような花びらの嵐。


《これは植物界、被子植物門、双子葉植物綱、バラ亜綱、バラ目、バラ科、サクラ亜科、サクラ属の木です》


「早口言葉?」


《繰り返してみますか? アンテイア》


 鳥の顔でトートは器用に微笑む。それは聞き流して、サクラ属の木にまつわる文化や風習はないか尋ねた。

 そうして教えられたリストの中に見つけた。


「桜前線……」


*****


 桜前線。

 植えられたサクラを開花した順に追って引かれる線のこと。


 前線という言葉に、そんな平和な風景があることに少しの戸惑いと違和感を覚えた。

 だから、興味を引かれて桜前線についてレポートを書くことにした。


 桜前線は小さな島国の文化だった。北半球。子午線の東。ユーラシア大陸の端っこにある、細長い日本という国。サクラを愛し、国土の端から端まで植えて回っていたという。

 映像もたくさん残っていた。

 花が咲くと、サクラの木の下で昼夜を問わずピクニックをする習わしもあったらしい。

 映像の中の人々は楽しそうで、私も花の下でのピクニックをしてみたくなった。


 レポート作成を口実にラルや友達を誘う。みんな、快く参加してくれた。通貨容量が増えたけど。

 植物園のビジョンルームは、サクラの森を美しく演出してくれた。ナノマシンで形成された幹はザラザラとした表面をしていて、固いのに柔らかい、不思議な感触。ランダムな通風に枝が揺れると、光が乱舞するように花びらが散った。

 少し黄色味を帯びた穏やかなライティングに、白い、けれど僅かに色を添えた花びらが舞う。


 なんて綺麗なんだろう。

 なんて寂しいんだろう。


 花が終わってしまう。ピクニックが終わってしまう。

 視界を埋め尽くす花びらに、なぜかもの悲しさを覚えた。


「でもさぁ」


 エリアは小麦色の肌についた花びらを摘まみながら言った。


「これって桜前線じゃなくない?」


「え?」


「だって、桜前線って開花を追うんでしょ? これ、ただ開花した木の下でピクニックしてるだけだよね」


 余計なことを言って、気づかせないでほしかった。


「じゃあ、花を愛でながらピクニックする文化をレポートにする……ってことで」


「変えるの? 開花を前線になぞらえる文化なんてユニークじゃん。他の誰も調べないよ、そんなこと」


 クルクルと薄いピンクのハートでかざった爪を回して、ラルが言った。エリアや他の友人たちもうなずき、口々に勧めてくる。


「そんなこと言ったって、開花のラインなんて目に見えるものじゃないし」


 私の抵抗に、みんなは好き勝手言い出した。


「ジオラマでも作る?」


「空間再現は手抜きでしょ」


「でも、可視化は必須だよな。テキストだけって地味」


「と言っても、3,000kmは狭いけど教室はもっと狭いしなー」


「教室の中での前線再現って、どうしたってしょぼすぎない?」


 みんな他人事だと思って、面倒を楽しんでいる。

 私はオレンジ香料のするドリンクを飲んで、サクラの森へ視線を向ける。壁面のモニターに投影された森の奥には、夕闇が現れ始めていた。白い花びらが星のように輝いて見える。

 桜前線……前線。

 小さな思いつきを、アトラスに頼んでみようかと思った。


*****


《ずいぶんと面白いことを考えたな》


 地球儀に腰かけたアトラスは、笑いを含んだ声で言った。


「ダメ? みんなも楽しんでくれる……と思うのだけど」


《楽しむ人は多いだろう。困る人も多くいるだろう》


「色を変えるぐらいで、困る人がいるの?」


《アン。アンテイア。君が、こうして私と話をしているだけで困る人もいるのだよ。そして、喜ぶ人もいる。物事は、すべて様々な側面を持っている。規模が大きくなるほど、影響は多岐に渡ることを覚えておきなさい》


 謎かけみたいな問答に興味はない。答えだけ知りたかった。


「結局、出来るの? 出来ないの?」


《要望書の出し方を教えよう。五色旗艦の了解が得られたら協力は惜しまない》


 アトラスが全部作ってくれたらいいのに。

 文句を言いながら要望書を作り、五つの旗艦宛に送信した。

 レポートの提出まで時間がない。落ち着かない気分でテキストを書き上げ、旗艦からの返事を待った。

 そして、桜前線の生まれる日が決まった。


*


 五万人を前にしてのレポート読み上げは声が震えた。いまのレッド艦の艦長が、桜前線の国にルーツがあるなんて誰も教えてくれなかった。艦長はサクラフェスティバルの開催をなかば独断で決めると、私に桜前線とサクラについての解説を依頼してきた。


 心臓が破裂するかと思った。

 司会のトートはあとを引き受けると、私のレポートより100倍詳しい補足を始めた。

 逃げるようにステージを降りると、ラルたちの元に走った。


「もー、最悪だった」


 ラルに抱き着いて嘆くと甘い香りに包れた。顔を上げると、小さな花束。淡いピンク色のバラが、鮮やかな緑色の紙でラッピングされている。


「お疲れさまのプレゼント。サクラは無理だったから、同じバラ科の花で作ってもらった」


 笑顔のラルの耳では、サクラの花の形をしたピアスが揺れていた。


「ありがとう……」


 生の花なんて初めてもらった。花びらに触れると、ひんやりとした触感。ふにゃふにゃしていて、薄い。力を入れたつもりもないのに、触れていた花びらは外れてしまった。


 なんて綺麗なんだろう。

 なんて脆いんだろう。


 元に戻したくても、造花と違って、花びらはくっつかなかった。


*****


 展望台の防壁が開いていく。窓の調光が効いているはずなのに、太陽の眩しさに一瞬、目がくらむ。まばゆい光は、いつも自然の力強さを感じさせた。

 あちらこちらから歓声が上がる。大勢が窓に張り付いて外を見つめていた。私たちも窓に額をつけて目の前に浮かぶ地球を眺めた。


 太陽に照らされた地球は宝石のように輝いている。白と赤の模様が入った青い石。ほのかに緑色の光をまとい、漆黒の空間に浮かぶ。目を凝らすと銀色の薄い膜が見えた。地球全体を羊膜のように覆っている。


 なんて綺麗なんだろう。

 なんと孤独なんだろう。


 誰からともなく、地球賛歌を歌い出した。展望台が歌声に満たされていく。

 私たちの地球。母なる大地。遥かなる故郷。

 手を伸ばせば手のひらで包めそうな大きさなのに、望んでも届かない。


 息を深く吸う。握り締めたバラの、甘く、少し青い香りに空気が染まっていた。


*


 静止軌道上を回転するコロニー群は、ゆっくりと地球の陰に入っていく。窓に数字が表示され、それに合わせてカウントダウンの声が上がる。

 私たちも、みんなと一緒に声を張り上げた。心臓が強く脈打つ。ステージでレポートを読み上げたときとは違う緊張感。重力はあるのに無重力ゾーンにいるみたいな、体が浮き上がりそうな高揚感に満たされていた。


 地球の暗い側面が増えていく。レッド艦コロニーも完全に地球の陰に入り、旗艦の間に連なるプロデュース艦と共に光の帯の一部となった。


「10……9……8……」


 ラルと手を繋ぐ。


「5……4……3……」


 ラルと視線を合わせ、微笑み合った。


「2……1……0……!」


 ふっ、と明かりが落ちる。すべてのコロニー群から明かりが消えて、目の前には闇しかない。地球すら暗黒の宇宙に飲み込まれ、消滅してしまったような錯覚に陥った。

 ラルと繋いだ手に力がこもる。柔らかくて温かい手のひらが、私の存在を繋ぎ止めてくれている気がした。


 花が開くように、光が戻った。柔らかく温かで、薄いピンク色をしている。その光が隣のプロデュース艦にも灯り、次々と広がっていく。

 地球を取り囲むサクラ色のリング。

 私の桜前線。私たちの桜前線。


 なんて……。

「綺麗なんだ」


 大歓声に紛れて、ラルの声が耳に届いた。


「本物は……もっと綺麗なんだろうな」


 繋いでいた手が離れて、私はラルに視線を向ける。ラルは窓に手を添えて、食い入るように宇宙を見ていた。

 頬を紅潮させたラルの横顔は、なんだかサクラみたいだった。


*****


「アン」


 そっと呼ばれる。

 私は地球から視線をそらさずにいた。窓に添えた手は体温を失い、冷たく強張っていた。

 その上に小麦色の肌をした大きな手が重ねられる。


「見送りに行かなくていいの?」


 返事は出来なかった。

 声を出せば、なにもかも壊れてしまいそうな気がした。

 それとも、もう壊れてしまっているのだろうか。


 サクラフェスティバルから数日後、ラルは言った。


『軍に入隊することにした』


 長い髪をばっさりと切り、綺麗に飾っていた爪も無垢にしていた。迷いのない真っ直ぐな眼差しに、私はなにも言えなかった。決意した理由すら聞けなかった。

 エリアの手が、私の手を包み込んだ。


「俺は……どこにもいかないから」


 エリアはためらいがちに囁いた。

 地球を見つめたまま、小さくうなずく。


 私たちの地球。母なる大地。遥かなる故郷。

 地球人のいない地球でも、桜前線は広がっているのだろうか。

 地上で本当のサクラを見ている異星人たちも、地球人と同じような気持ちになるのだろうか。

 私たちは地球を取り戻し、本物の桜前線を見ることが出来るのだろうか。


 いつの日にか――。


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