第七十二話:お嬢様、下町に降り立つ
ベルタの提案は、突飛でありながらも、あまりに有無を言わせぬ勢いがあった。
「カイト、クラリス様。今日は王都の下町市場へ買い出しだ。本物の煮込みを作るには、高級納入業者じゃなくて、泥のついた野菜を自分の目で確かめなきゃ始まらないからね!」
「お、お供しますわ! 私、下町の市場なんて初めてですもの!」
クラリスは、カイトの制止を待たずに目を輝かせ、身を乗り出した。
こうして護衛役兼荷物持ちのカイト、バイタリティの塊・ベルタ、そして好奇心全開のクラリスによる「下町ツアー」が幕を開けた。
一歩足を踏み入れれば、そこは貴族街の静寂とは無縁の世界だった。
「よお、姉ちゃん! 活きのいい魚が入ってるよ!」
「こっちのリンゴは蜜たっぷりだ、お嬢ちゃんもどうだい!」
飛び交う怒号に近い呼び込み、混ざるスパイスと生魚の匂い。
クラリスは当初、その圧倒的熱量に怯えてカイトの袖をぎゅっと掴む。しかしベルタの豪快な値切り交渉を目の当たりにして、次第に瞳に火が灯り始めた。
「おじさん、このカブ、芯が硬いじゃないか。おまけしなよ!」
「へっ、女将さんには敵わねえな。わかった、二つ余計に入れてやる!」
「……凄いですわ! 言葉ひとつで魔法のように値段が変わりましたわ!」
「お嬢様、あれは交渉という名の戦いですよ……」
ベルタに触発されたクラリスは、自ら店主たちに声をかけ始める。
「そこのおじ様! このジャガイモ、土がついていて力強そうですわね……少しお安くしていただけますか?」
貴族然とした美少女が慣れない手つきで野菜を選び、真っ直ぐな瞳で微笑む。その破壊力は絶大で、
「お、おう! 嬢ちゃんみたいな綺麗な子が言うなら、タダでもいいくらいだ。よし、袋一杯持っていけ!」
「勝ちましたわ、カイト! 自分の力で食材を手に入れましたわ!」
「……ええ。クラリスの天真爛漫さは、下町では最強の武器になるようだな」
瞬く間に、カイトの両腕には野菜や果物の袋が積み上がっていった。
買い出しの最後、ベルタは露店で売られていた串焼きを三本購入する。
「ほら、お嬢様も。外で食べるのが一番美味いんだよ」
普段なら銀の食器でいただく食事を、木の串で立ち食いする。
一口かじったクラリスは、その野性味あふれるスパイスの味に目を見開いた。
「美味しい……! 王宮のものより、なんだか『生きている』味がしますわ!」
「ははっ、そうだろう? 活気ってのは、食べることから始まるんだよ」
人々の汗、笑顔、逞しさ。教科書には載らない「民の力」を肌で感じたクラリスは、カイトの方へ向き、口の端にタレをつけたまま宣言した。
「カイト。私、決めましたわ。いつか領地を継いだら、この市場のような活気で溢れる場所にしますわ!」
「……いい目標だと思うぞ。ただ口のタレを拭いてから言えば、もっと説得力が出るかもね」
カイトが呆れつつも優しくハンカチで口元を拭う。
背後でベルタは「いい嫁さんになるよ、あの子は」と、カイトにだけ聞こえる声でニヤリと笑った。




