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第六十九話:母、王都に立つ

「夕焼けの雁亭」の入口に、一枚の張り紙が貼られた。

『しばらく宿を閉めます。探さないでおくれよ。 店主』

 ベルタは使い慣れた包丁を丁寧に磨き上げ、旅支度を整える。

「よし、これでいいだろう。あの子があんなに派手にやってるんだ、私が急に現れたら、どんな顔をするかねぇ?」

 そうつぶやくと、住み慣れたメスチノの街を後にした。


 数日後、王都の貴族街。ベルタの目の前にそびえるのは、堅牢な城壁にも劣らぬ風格を持つグランヴィル侯爵邸の正門だった。

「こりゃすごい……グランヴィル侯爵邸って、こんなに大きいのか! 宿屋がいくつ入るか想像もつかないね」

 背後から低く重厚な声が響いた。

「……私の屋敷に、何か用かな?」

 振り返ると、軍服を纏い、凄まじい威圧感を放つ老紳士——オズワルドが立っていた。

 ベルタは一瞬たじろぐが、すぐに持ち前の肝っ玉でまっすぐ見返す。

「アタイの息子が、この屋敷でお世話になっているって手紙に書いてあってね。これだよ」

 差し出した手紙をオズワルドが受け取り、内容を読み進める。カイトの筆跡、そして彼なりの配慮が細やかに記されていることを確認すると、鋭い眼光は嘘のように和らいだ。

「……なるほど。貴殿がカイトを育ててくれた方か。話には聞いていたが、あそこまで立派に育て上げるとは、さぞ苦労されたことだろう」

 オズワルドは深々と頭を下げた。猛将が平民に頭を下げる光景に、周囲の門番たちは息を飲む。

「貴殿は、私にとっても大切な客だ。さあ、立ち話も何だ。馬車に乗ってくれ。中へ案内しよう」


 応接間に通されたベルタを、マリーが最高の笑顔で迎えた。

「まあ! カイトさんの育てのお母様ですって? よくぞお越しくださいましたわ!」

 最初は豪華な内装に気後れしていたベルタだが、マリーがカイトの幼少期の話を熱心に聞き始めると、二人はあっという間に意気投合した。

「そうなんだよ、奥様。あの子ったら小さい頃から妙に落ち着いててね。火加減を教えたら、三日でアタイを追い越しちまったんだ」

「あらあら! カイトさんらしいわ。こちらでも王宮の料理師を泣かせるほどですもの」

 身分の差など関係なく、二人はカイトの優秀さと可愛げのなさを語り合い、共通の息子への愛情に満ちた時間を過ごす。

「ベルタさん。貴女がカイトを育ててくれたから、今の私たちがある。本当に感謝しています」

「よしておくれよ。あの子に助けられてきたのは、アタイの方なんだから……」

 ティーカップを傾ける二人の母に、穏やかな笑みが広がる。


 いつもの治療の日。馬車に乗ってグランヴィル家に向かうと玄関ホールから聞こえる「聞き慣れた笑い声」に、思わず足を止めた。

「……えっ? まさか、この声は……」

「どうしましたの、カイト?」

 そこには最高級の茶菓子を頬張りながら、マリーと談笑するベルタの姿があった。

「やあ、カイト。遅かったじゃないか。王都の生活はどうだい?」

「……母さん、なぜここに!?」

 流石のカイトも、この不意打ちには言葉を失った。

 その様子を見て、オズワルドは豪快に笑い声をあげた。

「はっはっは! カイト、不意打ちこそ戦の基本だと言っただろう!」

 イタズラが成功して嬉しそうなオズワルドのが笑う姿があった。



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