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第五十五話:美しき守護者、青き火種

 お仕置きの「野菜スティック事件」から一夜明け。学園の廊下を歩くクラリスの髪には、変わらずあの青い蝶、モルフォーラが止まっていた。

 カイトとの「婚約の予約」を象徴するその輝きは、本人の誇らしげな歩調に合わせて、時折パタパタと鱗粉を散らさぬよう優雅に羽を動かす。

 だが、その類稀なる美しさは、平穏を許さなかった。

「ちょっと、お待ちになって、メスチノ家のクラリスさん」

 進路を塞いだのは、派手な縦ロールが特徴的な高位貴族の令嬢たちだった。

 彼女たちは、クラリスの髪で輝く「青い宝石」を、隠そうともしない強欲な眼差しで睨みつけている。

「その髪飾り……見れば見るほど素晴らしいわね。その髪飾り、あなたよりもこの私にこそ相応しいと思わない? ちょうど今度の夜会で青いドレスを着る予定なの。それを譲りなさいな。金貨なら、そこの従者が伯爵の家で一生見られないような額を出してあげてもいいわよ」

 取り巻きの令嬢たちも口々に囃し立てる。

「そうですわ」

「伯爵家のあなたには不釣り合いよ」


 クラリスの表情から、一瞬で余裕が消えた。

 これがただの宝石なら、彼女は鼻で笑ってあしらっただろう。だが、これはカイトがくれた「俺の女」という誓いの印なのだ。

「……お断りしますわ。これは、私にとって世界で一番価値のある『贈り物』。金貨を積んで手に入るような、安っぽいものではありませんの」

「なんですって……? 謙虚に言えば付け上がるなんて。おい、お前!」

 令嬢の一人が、背後に控えていた護衛の騎士に顎で合図する。

 騎士は溜息をつきながらも、クラリスの髪に手を伸ばそうと一歩踏み出す。

「お嬢様、失礼。実力行使は本意では――」


 その瞬間だった。

 クラリスの髪に止まっていたモルフォーラが、鋭い羽音と共に舞い上がった。

 蝶の羽から放たれたのは、美しい輝きではなく、微細な麻痺性の鱗粉。その鱗粉は、空気に漂うだけで触れた者の神経を痺れさせ、体の自由を奪う性質を持っている。

「ひっ、……ぐあぁっ!?」

 手を伸ばした騎士の腕が、瞬く間に力を失い、その場に膝をついた。

 モルフォーラはクラリスを守るように旋回し、不気味なほど鮮やかな青い光を放ちながら、令嬢たちを威圧する。

「な、……な、何なのよその虫! 気持ち悪いわね!」

「虫……? 言いましたわね」

 クラリスの背後に、影が落ちる。

 いつの間にか、カイトが音もなくそこに立っていた。

「……お嬢様。これ以上、この方々と関わるのは時間の無駄です。モルフォーラも、少々『不機嫌でお腹を空かせている』ようですし、放っておくと危険です」

 カイトの冷徹な声と、麻痺性の鱗粉を纏った蝶の姿に、令嬢たちは悲鳴を上げて逃げ出した。

「カイト……」

「お怪我はありませんか、お嬢様。……まったく、人の婚約指輪を奪おうとするような輩がいるとは。次は、モルフォーラではなくルーヴを放ちますよ」

「ふふっ。それはさすがにやりすぎですわ」

 クラリスは再び自分の髪に戻ってきた青い蝶を優しく指先で撫でた。

 騒ぎを聞きつけたニーナが「クラリス様! 今、あの蝶が騎士を麻痺させたと噂が!」と駆け寄ってくる。

 どうやら「お仕置き」が明けたばかりの平穏は、またしても遠のいたようだった。


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