第五十話:触れ得ざる二人と、学園の静寂
王立アカデミーの寄宿舎。日常の喧騒が戻ったかに見えたが、空気は微妙に張り詰めていた。
カイトとクラリスが廊下を歩くだけで、他の生徒の足は自然と止まり、教師ですら視線を逸らす。誰もが知っている――あの二人には、手を出してはいけない。
噂は瞬く間に広まっていた。
「ねえ、カイトって、あのメスチノ家の従者じゃない? でも……侯爵家の跡継ぎになるんだって……」
「しかもクラリスお嬢様と一緒にいるって……え、あの二人、普通じゃないでしょ」
廊下や教室、食堂の端々で、低い声がささやかれる。けれど誰も本気で話しかける者はいない。近づけば、ランバの影がサッと現れそうで、下手に挑発できる者はいなかった。
風紀委員長でさえ、カイトを前にすると無言で背を向け、書類の山に目を落とすしかなかった。かつて威圧的だった彼らの権力は、今や影に押しやられている。
その変化は、目に見えるほど劇的だった。
クラリスはいつも通り、天真爛漫に廊下を歩く。
しかし、以前なら笑いながらからかってきた生徒たちも、今では微かに頭を下げ、ささやきだけで会話を終える。
それでもクラリスはめげず、少し困惑しながらも、カイトの腕に手をかけて寄り添う。
「……カイト、なんだか歩きにくいですね。みんな、あんなにおとなしいなんて」
「お嬢様、それが“触れ得ざる者”の力です」
カイトは淡々と答え、廊下の端に立つ教師の視線を軽くかわす。その瞳に、微塵の緊張も恐怖も見せない。
その日、昼休み。学園内では小さな事件が起こった。
上級生がクラリスにちょっかいを出そうとしたが、ほんの少しカイトが立ち上がっただけで、全員が後ずさりした。
まるで空気の圧力に押し返されたかのように。
噂だけで人を動かす――これが、今の学園での“触れ得ざる者”の証明だった。
ニーナたち令嬢の間でも、状況は変わっていた。
いつもなら「権力争い」の対象だったクラリスやカイトの周囲は、自然と安全地帯となり、誰も彼らに逆らおうとはしない。
逆に、信頼と尊敬のまなざしが集まっていた。
夕暮れ。寮の窓から、二人は並んで学園の庭を眺める。
平穏な日常に見えるが、誰もが理解していた――このアカデミーで、カイトとクラリスに触れる者はもういないのだ。
小さな風が吹き、木々がざわめく。
その中で、ランバの影がそっと二人の背後に寄り添う。
静かな学園の中、触れ得ざる二人の存在だけが、確かに輝いていた。




