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第四十七話:侯爵の孫と、いつものスープ

「……カイト、お前。自分が何を言われたか分かっているのかい?」

 静まり返った寝室で、最初に口を開いたのはエルザだった。かつての戦友である侯爵が、涙ながらに「孫だ」と宣言したのだ。これは単なる再会ではない。カイトが望めば、明日にはこの国の最上位貴族の一員として、莫大な富と権力を手にすることを意味していた。

 だが、カイトは服の襟を整えると、いつもの無機質で、どこか眠たげな表情のまま一礼した。

「ええ、驚きました。……ですが、僕の雇用主はあくまでメスチノ家です。明日からも授業がありますし、夕食の仕込みもありますから、今日はこの辺で失礼してよろしいでしょうか」

「カ、カイト!? 何を言っていますの! あなた、侯爵家の……!」

 クラリスがうろたえて叫ぶが、カイトは淡々と続けた。

「お嬢様、落ち着いてください。血筋がどうあれ、今の僕はあなたの従者です。それに、僕が急に侯爵様の子息だなんて名乗り出たら、それこそ『深淵の蛇』のような連中に格好の標的を与えることになりませんか?」

 その言葉に、感極まっていたオズワルド侯爵もハッとして、涙を拭った。

「……確かに、お前の言う通りだ。お前を再び失うリスクがあるな」


 侯爵は名残惜しそうに、だが誇らしげにカイトを見つめた。

「だがカイトよ。せめて、今日からは私を……」

「……『侯爵様』。僕はこれからも、クラリス様の従者として王都で過ごします。ただ、どうしても人手や情報が必要な時はご相談させていただくかもしれません。それでよろしいですね?」

「う、む……。わかった。お前がそう言うのなら、今は信じよう。だがな、何か困ったことがあれば、たとえ国王と喧嘩してでも私が力になる。それだけは忘れるな」

 カイトは小さく頷くと、マリーにも会釈をして部屋を辞した。馬車へ戻る道中、後ろからついてくるクラリスの視線が痛いほど刺さる。

「……何です、お嬢様」

「な、何です、ではありませんわ! あなた、もっとこう……ドラマチックな感動とか、野心とか、ないのですか!?」

「そんなものより、明日の朝食のパンが足りるかどうかのほうが重要ですよ」


 翌朝。アカデミーの寄宿舎の朝は、いつも通りカイトが淹れる茶の香りで始まった。

 昨日の今日で、クラリスは一睡もできなかったのか、目の下に薄い隈を作ってカイトを凝視している。

「カイト……本当に、普通に給仕していますのね」

「これがお嬢様の望んだ『いつも通り』でしょう。……はい、サラダです」

 カイトはクラリスの教科書をまとめ、彼女をエスコートして部屋を出る。

 廊下ですれ違う生徒たちは、さっと頭を下げたり、遠巻きに彼を見たりする。家宅捜索で何も出なかった「完璧な従者」としての尊敬の目線は、そのまま、侯爵家の血筋という事実でさらに揺るぎないものとなった。

 ニーナも控えめに微笑みながら、他の手下たちと情報を整理する。影で支えるランバたちの存在も、誰も知らない。

 廊下の端で、傍観していた生徒の一人が小声でつぶやく。

「……あの二人には、触れられない何かがある……」

 クラリスは、朝食のスープを手に取り、カイトに無理やり味見させる。

「……ふむ。確かに、少し塩が足りない気がしますね」

「……もう、あなたったら。さすが私の従者……うぬぼれないでくださいませ!」

 こうして学園における“触れ得ざる者”としての立場は、日常の中に静かに根付いていく。

「さあ、行きましょうか。今日の講義は……歴史でしたね。僕が昨日の続きを教えますから、居眠りしないでくださいよ」

「う、うるさいですわ! ちゃんと聞きますわよ!」

 クラリスは頬を染め、昨日よりも心なしか強く、カイトの腕にしがみついた。

 血筋という鎖ではなく、確かな絆で結ばれた二人の関係は、王都の嵐の中でも揺らぐことはなかった。


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