第四十五話:至高の肉と、影の美食家たち
冒険者ギルドから帰還したカイトは、迷わず寮の共同キッチンへ向かった。
手にしているのは、ランバが丁寧に下処理した「レッサードラゴンの最上級部位」だ。ドラゴンの肉は滋養に優れる反面、筋が多く調理が難しい。しかし、カイトにはベルタ直伝の技術と、前世の知識があった。
「さて、クラリスが楽しみにしていましたからな。ここは気合を入れますか」
カイトは肉の繊維を断ち切り、特製の香草と塩、影で熟成させた秘伝のタレを揉み込む。熱した鉄板に置くと、「ジュワッ!!」と凄まじい音と共に、暴力的なまでに芳醇な香りがキッチンを満たした。
その香りは寮の壁を越え、影の領域にまで浸透する。古い寮のキッチンには換気扇などないため、煙と香りは逃げ場を失い、濃密に室内を満たした。
「……旦さん、これはあきまへんわ。殺生な匂いや。もう我慢の限界ですわ」
天井の隙間から、逆さまになったランバが涎を拭いながら覗き込む。
『お父さん……それ、アウラも食べていいやつだよね?』
影の中、膨れ上がった人型のアウラが目を輝かせて姿を現す。
『……主よ。我も、その肉からは高純度の魔力を感じる。一口、所望したい』
大きなグレートウルフでは入りきらず、影の隙間から頭だけを出したルーヴも、期待に満ちた眼差しを向ける。
「お前ら、出てくるの早すぎだろ。……わかった、お嬢様の分を確保したら、お前たちの分も焼く。静かにしてろ。特にランバ、上から涎を垂らすなよ」
焼き上がったステーキは、外はカリッと香ばしく、中は驚くほどジューシーなロゼ色。
カイトはまず、ダイニングで待つクラリスの前に皿を置く。
「お待たせしました、お嬢様。レッサードラゴンのステーキです」
「まあ……! なんて素晴らしい香りですの!」
クラリスがナイフを入れると、肉は抵抗なくスッと切れ、溢れ出した肉汁がソースと絡み合い、まるで宝石のように輝く。一口運んだ彼女の表情は、一瞬で至福に包まれた。
「……美味しい! これ、本当にあのトカゲの肉ですの!? 噛むたびに元気が湧いてきますわ!」
その様子を羨望の眼差しで影や天井から覗く三人(?)に、カイトは苦笑しながら切り落としを差し出す。
「ほら、お前らも。……ランバ、飲み込むなよ。ちゃんと味わえ」
「へい! 旦さん、最高ですわぁ!」
『お肉、幸せ!』
『……うむ。これぞ主の味だ』
本来なら恐ろしいはずの魔物たちが、狭いキッチンで仲良くドラゴンの肉を頬張る光景。
廊下からは、煙と香りに釣られた他の寮生たちが足音を立ててザワザワ集まり始める。
「……何の匂いだ!?」「メスチノ家のキッチンが!? いや、旨そうだぞ!」
「カイト、あの方たちにも少し分けてあげたほうが?」
「いえ、一切れもやりません。これは『ピクニック』の戦利品ですから」
カイトは静かに部屋の鍵を閉め、大切な「家族」たちとの密やかな晩餐を楽しむのだった。
ランバ、ルーヴ、アウラは、食べ終えた皿を前に、満足そうに身体を丸める。
『……ふぅ。まさか、主の料理でここまで満足するとは』
『ボクも同意する。……まさに至高』
「……旦さん、もう動けんわ。腹が爆発する」
天井裏のランバも、満腹でぶら下がったまま溜息を漏らした。
カイトは穏やかに彼らを見渡し、微かに笑う。
「お前たち、満足したか?」
「満足、です!」
「……うむ。最高の主の味、存分に味わった」
影や魔物たちがゆったりと身体を休めるその傍らで、カイトはクラリスに向き直った。
「さて、お嬢様。食後のデザートでもいかがですかな? ……と言っても、今日はパンと果物だけだがね」
クラリスは頬を緩め、少し照れた笑顔で答える。
「……カイト、あなたと一緒なら、どんなものでも美味しく感じますわ」
「それは光栄だな。……では、片付けが終わったら少し外で庭の空気でも吸おうか」
「ええ、楽しみですわ。影たちも、一緒に……?」
「もちろん。みんなで少しだけ、戦場ではなく平穏な時間を楽しもうか」
狭いキッチンに立ち込める煙と香り、満腹で満足した影たちの寝息、そして微笑み合う二人。
血と戦いの匂いを残す森での討伐の後、王都の片隅の寮では、こんなにも静かで温かな時間が流れていた。




