閑話:小さな騎士様(歓楽街の女視点)
「あら、また来たの?」
窓枠にコトンと飛び乗ってきたのは、ラットにしては少しがっしりとした体つきの彼。 私がお菓子を差し出すと、彼は器用に前足で受け取り、律儀にぺこりとお辞儀をしてからガジガジと食べ始めた。
「私の護衛? あんなことは滅多にないんだから、そんなに気にしなくてもいいのに」
私がクスリと笑うと、彼は長い髭をピクピクと揺らして、どこか得意げに胸を張った。
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私はこの歓楽街で春を売る女。 それなりに稼いではいるけれど、この仕事にはリスクがつきものだ。特にお客が「貴族」を自称する男だった場合、彼らは私たちを人間だと思っていない。
あの日、男は何が気に入らなかったのか、私の髪を掴んで部屋の外へと引きずり出した。 「この泥女が!」 冷たい石畳に叩きつけられ、殴られる。口の中が切れ、鉄の味が広がった。 (あぁ、私、こうやって誰にも知られずに死ぬのかな……) そう諦めかけた時、彼が現れたのだ。
小さな体で、風のように素早く男を翻弄するラット。男は激昂して剣を振り回したが、彼にはかすりもしない。それどころか、ラットが隙を突いて男の急所を的確に蹴り、殴り飛ばしたのだ。 ザマァ見ろ、と心の底で思った。
逆上した男が、剣の矛先を私に向けた、その瞬間。 ――ヒュッ、と。 夜の闇に、鋭い銀の閃光が走った。
鈍い音と共に、貴族の剣が真っ二つに折れて地面に落ちた。唖然とする男。 見れば、ラットの指の一本から、剃刀のような鋭い爪が飛び出していた。 化け物だ、と叫んで逃げていく男の背中を見送りながら、私は呆然としていた。
「あっ……お金、踏み倒されちゃった……」 つい零れた私の呟きを聞いたのか、彼は逃げた男が落とした財布をワシワシと漁り、金貨を一枚取り出すと、トコトコと歩み寄って私に差し出した。
「これを、私に? 貰えないわ」 首を振る私に、彼はもう一度、ぐいっと金貨を押し付けた。 「……もしかして、私のお客さんになってくれるっていうこと?」
彼はくるりと背を向けると、店の扉の前で立ち止まり、チラチラと私を振り返った。 「中に入るの?」
扉を開け、先ほどまで貴族といた部屋に戻る。 テーブルに並んでいた果物とお菓子を見て、彼は再び金貨を差し出した。
私は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ。果物とお菓子だけで金貨一枚分にするには、これから何回も通ってもらわなきゃいけないわね」
彼は満足そうに一通り食べ終えると、片方の前足をスッと上げて、そのまま夜の闇に消えていった。
「まだ、お釣りはたっぷりあるんだからね! また来てくれる? お菓子、準備しておくから」
返事の代わりに、遠くでしっぽが一度だけ揺れた気がした。
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それからというもの、彼はたまに私の様子を見に来るようになった。
酔客と揉めそうになれば、どこからともなくフッと現れて睨みを利かせてくれる。
「ねぇ聞いて。今日のお客さん、私に犬になれなんて言うの。馬鹿にしてると思わない?」
私が鏡の前で愚痴をこぼすと、彼は椅子の上で「うんうん」と深く頷いて聞いてくれる。
そういえば、あの日私を殴った「貴族」が、ぱったりと来なくなった。 風の噂によれば、あの日を境に複数の不正が芋づる式に発覚し、あっという間に家が取り潰しになったのだという。あんなに威張っていた男が、今では見る影もなく没落したらしい。
お菓子を食べている彼に、私はふと尋ねてみた。
「……ねぇ、あなたがやったの?」
彼は食べる手を一瞬だけ止め、チラリと私を見た。だが、すぐに何事もなかったかのようにガジガジとお菓子の続きを平らげる。そして食べ終わると、いつものように律儀にお辞儀をして、再び夜の闇へと消えていった。




