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閑話:静かな朝
王都に旅立ったカイトの声が、もう雁亭には届かない。
いつもなら厨房や客間から聞こえてくる、元気な声や騒がしい笑いが、今朝はしんと静まり返っていた。
ベルタはカウンターに肘をつき、ぽつりと窓の外を眺める。
背後で扉の軋む音がして、ミランダが顔を覗かせた。
「なんだい?」
「どうしてるかって心配になって来たの」
ベルタは肩をすくめ、苦笑した。
「アンタに心配されるような身分じゃないよ」
「一応、私も結構長い間この宿に居たからね」
「娘だって?」
「ええ、そのつもり」
ミランダの視線を受け、ベルタは小さく微笑んだ。
「そうかい、何か食うかい?」
「そうね、ベルタさんが作るものなら何でも」
「じゃあ、シチューを温めようかね」
厨房へ向かう足取りは、少しだけ重かった。
どうせカイトあたりが心配してくれって言って、ミランダを呼んだんだろうさ。
そんなに弱々しく見えるかねぇ。
また、一人に戻っただけだ。
確かに一人より二人のほうが温かかったけど……。
見送るのは母親の役目だ。元気でも、元気に振る舞ってやるさ。
ベルタは鍋の蓋を開け、湯気に顔を寄せた。
心の奥で、そっと呟く。
「……あいつ、元気でやってるかねぇ」
それだけで、少しだけ胸が暖かくなった。
静かな朝に、シチューの香りが柔らかく漂う。
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