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閑話:メスチノの庭にて

 エルザさんの治療が終わり、日常が戻ってしばらく経った頃のことだ。

 俺は呼び出されるようにして、メスチノの家を訪れていた。


 庭の門を潜った瞬間、思わず足が止まる。


 そこに立っていたのは、いつもの穏やかな老婆ではなかった。

 左手に小盾バックラー、右手に片手剣。

 どちらも装飾は控えめだが、手入れが行き届いており、見せるためではなく、使うための武具だと一目でわかる。


 ――戦場の匂いはしない。

 だが、逃げずに立ち続けてきた人間の空気があった。


 エルザさんは、静かに剣を振るう。

 無駄のない動き。力を誇示することもない。

 それは技というより、長い年月、同じ型を繰り返してきた者の所作だった。


「おう、来たかい?」

「呼ばれましたから。……その格好、どうしたんですか?」


 俺の視線に気づき、エルザさんは剣を構えたまま笑う。


「相変わらず、余計なことを考えそうな顔だねぇ」

「それで、俺は何を?」

「決まってるだろう」


 剣先が、わずかに俺を向いた。


「――相手をしてもらうんだよ」


 胸の奥が、ほんの少しだけ引き締まる。

 試されている、というより――見届けられている感覚だった。


「やってみたくはあります」

「伯爵夫人だった頃はね。こういうことも“嗜み”の一つだった」

 エルザさんは肩をすくめる。

「守るものが多いと、嫌でも覚えるのさ。……今はもう、体がついてこないが」


「……真剣で?」

「そのほうが、本音が出るだろ?」


1. 静かな手合わせ


 庭の空気が、張り詰める。

 命のやり取りではない。だが、気を抜けば怪我はする距離。


 最初に動いたのは、エルザさんだった。

 踏み込みは鋭くない。だが、迷いがない。


 俺は剣を合わせながら、理解する。


(この人……戦うために剣を振ってきたわけじゃない)


 守るため。

 家を、家名を、孫を――

 そのために身につけた技だ。


「……長く寝ていたせいだね。思ったより、体が重い」

「それでも、十分すぎます」


 俺は距離を調整し、決して追い詰めない。

 だが、決して手も抜かない。


 剣と剣が触れるたび、澄んだ音が庭に落ちる。


 やがて、エルザさんが息を乱し、膝をついた。


「……はぁ……ここまで、か」

 悔しさより、どこか納得した表情だった。

「老いるってのは、こういうことだね」


「歳を重ねてくれないと、俺が困ります」

「生意気だよ」


 そう言って笑う顔は、どこかクラリスに似ていた。


2. 祖母としての選択


 しばらくして、エルザさんは剣を脇に置き、俺を見た。


「……クラリスのことだが」


 来ると思っていた言葉だった。


「どうするつもりだい?」


 俺は少し考え、正直に答える。


「わかりません。……でも、放っておく気はありません」


 エルザさんは、ふっと息を吐く。


「相変わらず、逃げ道を残す言い方だねぇ」

 それから、静かに続けた。

「あの子はね。伯爵家の娘として、ずいぶん早く“大人”になりすぎた」


「知ってます。弱音を吐くの、苦手ですよね」


「……よく見てる」


 一拍の沈黙。

 そして、祖母の顔で言った。


「気になるって言うなら――私の孫を、大切にしてやっておくれ」


 それは命令でも、依頼でもない。

 ただの、託す言葉だった。


「王都で、考えます」

「そこは『はい』だろうに」


 エルザさんは苦笑し、俺の頭を撫でる。


 メスチノの風が、庭を抜けていった。

 この人が背負ってきたものの重さを、少しだけ理解した気がした。


 この先に何が待っているかはわからない。

 だが――

 この祖母に見送られるなら、進む価値はある。

読んでいただきありがとうございます。

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