第三十話:旅立ちの決意と、母の背中
ガリアントから戻って数日。カイトは再び、伯爵邸の私室に呼ばれていた。
ジークムント伯爵は、手元の茶杯を見つめながら口を開く。
「カイト殿、例の件……考えてくれただろうか」
「どうなさるおつもりですの?」
隣でクラリスが、落ち着かない様子でカイトの顔を覗き込む。
「……まだ、考えていません。急な話でしたから」
カイトが曖昧に答えると、伯爵は苦笑しつつ少し真面目な顔になった。
「貴族の子息には義務があってね。王都の学校で三年間学ぶ必要がある。友を作り、将来の伴侶を探す……という目的もあるのだが……」
「私にはカイトが居ますから、行く必要なんてありませんわ!」
「俺はまだ返事をしていないぞ、お嬢様」
カイトの冷静なツッコミに、クラリスは頬を膨らませる。
伯爵が身を乗り出す。
「そこでだ……カイト殿。クラリスの『従者』として、共に学校へ行ってもらえないだろうか」
「えっ……カイトも来ますの? それなら行ってもいいですわ! すぐに準備をさせますわ!」
「王都、か……。ギルドマスターにはメスチノからは出ないといったんだがなぁ。」
と言うカイトだが既に行く気になっていた。
その夜。宿に戻ったカイトは、カウンターで帳簿をつけるベルタの前に座った。
「どうかしたのかい? 難しい顔して。悩み事なら聞くよ」
「……伯爵から、娘の従者として王都の学校に行ってみないかと言われたんだ」
ベルタの手が止まる。
「王都……凄いじゃないか。一人前の冒険者として認められたってことだね」
「そうだけど……俺が行ったら、ベルタさんが一人になる」
カイトがそう言うと、ベルタは鼻で笑い、頭を軽く小突いた。
「何言ってるんだい。アタイのことを気にしてるなら、それはお門違いだよ。アタイはお前の母親みたいなもんだろ? 母親ってのはさ、息子が大きくなっていくのを見るのが嬉しいもんさ」
ベルタは優しく、だが力強い目でカイトを見つめた。
「それに、お前は行きたいんだろ? そんな顔をしてるよ」
「……バレてるか。さすが母さんだ」
照れくさそうに笑うベルタに、カイトは懐からずっしりと重い袋を取り出し、カウンターに置く。
「これ、渡しておくよ。俺の部屋の代金、前払い。三年間分以上はあるはずだ」
「……多すぎるよ、こんなの」
「俺の部屋はずっとあそこだから。他の人に貸さないでほしいんだ。俺の家は、あそこだけだから」
カイトの真っ直ぐな言葉に、ベルタは肩をすくめて笑う。
「親子なら金銭の関係はないはずなのにねぇ」
「金銭から始まった親子関係なんだから、仕方ないだろ?」
「……わかったよ。預かっておく。その代わり、王都で思いっきり暴れてきな!」
「ああ、行ってくる」
カイトはクラリスの従者として、王都「グラン・メセナ」へ向かう馬車に乗り込む。
影には五百匹の暗殺者、空には風の女神、そして森の王。
「最強の従者」を連れた少年の、新しい生活が今、静かに幕を開けようとしていた。
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