第三話:七歳の烙印
石造りの重厚な威容を誇るその建物は、街の喧騒の只中にあっても、周囲の空気を押し潰すような圧を放っていた。
無骨な鎧を軋ませる大男、抜き身の殺気を隠そうともしない女剣士。彼らが吸い込まれていくその場所を、カイトは知識として知っている。
――冒険者ギルド。
(今の俺に必要なのは、英雄譚じゃない)
膝の震えを叩き、覚悟を固める。
かつて百九十五センチの視界から見下ろしていた世界は、今やすべてが巨大な壁だった。この幼い体では、まともな労働など望むべくもない。
(今日を生き延びる金。それと、あのゴミ溜めから抜け出す足場だ)
ならば、縋れるものは一つしかない。
この得体の知れない――テイマーとしての力。
カイトは周囲の視線を避けるように、影から影へと移動し、ギルドの喧騒が一瞬緩む隙を待った。肩の上では、ネズミのリーダーが落ち着かない様子で鼻を鳴らしている。
「……あの、すみません」
カウンターの向こうで書類を捌いていた女性に声をかける。
意識的に、無垢で害のない「子供」の声色を作った。
「冒険者って……何歳から、なれるんですか?」
「キャッ!?」
女性――ミランダは、カイトの肩に乗る存在を認識した瞬間、悲鳴を上げて身を引いた。
「ラ、ラット……!?」
(ラット……この世界での呼び名か)
カイトは即座に頭を下げる。
かつて何度も使ってきた、角の立たない謝罪の角度で。
「驚かせてすみません。……やっぱり、嫌われ者なんですね、こいつは」
ミランダは数度深呼吸をし、乱れた姿勢を整えた。
「……ごめんなさい。びっくりしちゃって。でも、その様子だと……テイマーなのね」
彼女はプロの表情を取り戻し、穏やかに微笑む。
「質問に答えるわ。冒険者登録は、満七歳からよ。生まれて七回、冬を越えていれば可能なの」
「七歳……」
困惑が滲む。
この体の記憶には、自分の年齢に関する情報がなかった。
「親がいなくて……自分の歳が分からないんです。それでも、登録できますか?」
「ええ。その場合は、これを使うわ」
差し出された水晶に、カイトは手を置く。
ひんやりとした感触が、骨ばった手のひらに広がった。
――診る側だった手が、診られる側になる。
「……大丈夫。ギリギリだけど、七歳よ」
手渡された金属板――冒険者カードには、確かに『年齢:7』と刻まれていた。
(七歳、か……)
前の人生なら、ランドセルを背負っていた頃だ。
四十路を越えた精神には、あまりにも心許ない数字だった。
「……登録料は、必要ですか?」
「冒険者になりたいの?」
問い返され、カイトは自分の腕を見る。
痣だらけで、細く、力のない腕。
「このままだと、物乞いをして飢えを凌ぐしかありません。力がないと分かれば、街のゴロツキにまた潰される……。僕は、自分の足で立ちたいんです」
それは、七歳の子供が口にするには、あまりに現実的な言葉だった。
ミランダは目を見開く。
彼の瞳に宿るのは、冒険への憧れではない。
泥を啜ってでも生き延びようとする、「生活者」の覚悟だった。
「……気に入ったわ」
彼女は小さく笑い、胸を張る。
「私は受付のミランダ。いいわ、あなたを一人前の冒険者にしてあげる」
代筆で「カイト」と名前を記し、規則の説明が始まる。
「七歳を過ぎていれば依頼は受けられる。でも、十二歳までは街の外は禁止。基本は街中の雑用ね。探し物、掃除、買い物の代行……」
(万屋の丁稚奉公、か)
「例外もあるわ。十二歳以上のパーティーに同行するなら、外に出る許可も――」
「いえ」
即答だった。
「七歳なら、七歳なりの下積みから始めます。まずは、この体に慣れるのが先ですから」
付け焼刃の力で死地に踏み込む愚を、カイトは誰よりも知っている。
今の骨格、筋肉、その限界を見極めることが最優先だった。
「おいおい、殊勝すぎるぜ」
酒臭い息を吐きながら、一人の冒険者が嘲笑する。
「そんなんじゃ、いつまで経っても強くなれねえ」
カイトは表情を変えず、男を見据えた。
「身の丈に合わない背伸びは、骨を折るだけです。今は、これでいい」
その視線に、男はなぜか熟練の格闘家と向き合った錯覚を覚え、言葉を失って去っていった。
「……本当に、面白い子」
ミランダは楽しげに、そして少しだけ期待を込めて微笑む。
カードを握りしめ、カイトはギルドを後にした。
手には木剣。影には、不吉と呼ばれる従魔。
七歳の少年としての、
泥に塗れた再起が、静かに始まった。
拙い作品を読んでいただきありがとうございます。




