第二十六話:偽りの香炉と、操り人形の糸
カイトは、枕元で怪しく揺れる紫色の煙を凝視した。
前世の知識と今世の魔力感知を重ねると、これが「香」でも「薬」でもないことは明白だった。単なる不完全燃焼を起こした有機物に、混じった「負の魔力」が空間を汚染しているだけだ。
「エドワード様、この香炉はどなたに勧められたものですか?」
カイトの声は低く、しかし鋭く響く。
視線を泳がせるエドワード。
「……父上の苦しみを和らげるため、高名な祈祷師から授かった聖遺物です。文句を言うな」
「聖遺物、ね。僕の目には、持ち主の命を燃料にしている『吸魔の炉』にしか見えませんが」
躊躇なく、カイトは手を伸ばした。素手で香炉を掴み、掌から浄化の魔力を注ぎ込む。
「なっ、何をする! 触れるな!」
エドワードの制止も耳に入らない。
ピシッと不快な亀裂音が響き、水晶の香炉は内側から砕け散った。中からどろりとした黒い液体と、無数の魔虫の死骸が溢れ出す。
「……うわ、ひっでぇ臭いだ」
ガルムが鼻を押さえつつ剣を抜く。
香炉が破壊された瞬間、ベッドで苦しんでいた子爵の呼吸が劇的に楽になり、わずかに赤みが顔に戻った。呪いの供給源は断たれたのだ。
「エドワード様、説明してください……。これが聖遺物だなんて、冗談にもなりません」
鋭い視線がエドワードを射抜く。
「……あ、ああ……違うんです、私は……ただ、父上を楽に……」
問い詰められたエドワードの表情が突如変わった。瞳が虚ろに濁り、首がカクカクと不自然に折れ曲がる。まるで見えない糸に操られた人形のようだ。
「……邪魔……をするな……器が……壊れる……」
低く、地を這うような多重音声がエドワードの口から漏れる。
「カイト、危ないわ!」
クラリスの叫び。
黒い霧のような触手が、エドワードの背中から伸び、カイトの喉元を狙って突き出された。
「ランバ!」
「心得た!」
呼びかけに応え、影から漆黒の爪が飛び出す。ランバの鋭い一撃が霧状の触手を切り裂き、そのままエドワードの影に潜り込み、彼の動きを封じた。
「旦さん! こいつ、魂の根っこを誰かに握られています! 無理に剥がすと、中身が死にますで!」
カイトは舌打ちした。子爵を呪いで弱らせ、息子を操り、この街を実験場にしている者がいる――間違いない。
「……ガルムさん、伯爵とお嬢様は部屋の隅へ! バルセオ、バラス、ドアを固めて。誰も入れるな」
カイトはエドワードの額に指を当てる。魔力を通すと、意識の奥底で嘲笑うような「第三者の気配」が牙を剥くのが分かった。
「……人の心に土足で踏み込む奴は、一番嫌いです。……少し、手荒にいきますよ」
治療師としての冷静な顔は、瞬時に「影の王」の冷徹な表情へと変わった。
その背後で、クラリスは恐怖を忘れ、ただカイトの戦う姿に釘付けになっていた。
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