第二十三話:月夜の密談と、小さな冒険者
夜の帳が下り、街道脇の開けた場所に宿営地が築かれた。
焚き火がぱちぱちと爆ぜ、遠くで交代の見張りに立つ「白銀の斧」の低い話し声が混じる。
昼間の騒動が嘘のように、夜は静かだった。
「少し、周囲を見てくる」
そう言い残し、カイトは一人、森の奥へと足を踏み入れた。
月明かりが差し込む小さな空き地。
そこには、影が集まり、整然と並んでいた。
最前列で膝をつくのは、今やラットの姿とはいえ雄々しい精悍な姿を持つランバ。
その背後には、昼間に遭遇したグレートウルフの群れが、まるで騎士のように静かに控えている。
「ランバ」
カイトの声は低く、柔らかいが、確かな重みを帯びていた。
「……やりすぎだ。結果的に、俺たちが危なくなった」
ランバはがっくりと肩を落とす。
「……せやけど旦さん。あいつら、結構な数やったんですわ。放っといたら街道の安全に関わる思いまして。それに……久々の狩りで、ちょい血ぃ上ってもうて」
「興奮して、獲物を俺のところに追い込むな」
静かな叱責。
「もし伯爵様に何かあったら、俺はこの街にいられなくなるかもしれなかった。それは分かってるな?」
「……はい。堪忍です。次は、もっとスマートにやりますわ」
しょげ返るランバを見て、カイトは小さく息を吐いた。
責任。
この異世界の怪物たちは、自分の判断一つで動く。
それは力であると同時に、重荷でもあった。
カイトは一歩近づき、ランバの頭に手を置いた。
「……でも、ありがとう。俺を守ろうとしてくれたんだろ?」
ランバが、ぴくりと動く。
「気を付けてくれ。お前なら、もっと上手くできる」
「……! へい、旦さん! 期待に応えてみせますわ!」
その光景を、一本の太い木の陰から見つめる視線があった。
――クラリスだった。
(……なに、あれ)
護衛の目を盗み、ただ気になって後を追っただけのはずだった。
だが、目の前で繰り広げられているのは、彼女の知る「冒険者」の姿ではない。
(魔物たちが……あの人に、傅いている)
言葉は先頭で傅くラットのみが話す。
魔物たちが見せる態度、カイトの仕草、空気。
それらすべてが、彼を“主”として示していた。
「……誰ぞ、覗いとりまんな」
「それは、俺も気づいていた」
カイトが静かに答える。
ランバの視線が、鋭く一本の巨木へ向いた。
「旦さん、追い払いまっか? それとも、ワイが挨拶を――」
「やめろ。……俺の知り合いだ」
カイトはため息をつき、木の陰に向かって声をかけた。
「――お嬢様。覗き見は、感心しませんね」
「ひゃうんっ!?」
情けない声と共に、クラリスが跳ね上がる。
観念したように木の陰から現れた彼女の顔は、赤く染まっていた。
「べ、別に覗いていたわけではありませんわ! 夜風に当たりに来たら、あなたが……その……変な獣たちと……!」
「変な獣、ですか?」
カイトが手招きすると、一匹のグレートウルフが近寄って来た。
昼間のリーダー格だ。
クラリスは一瞬すくんだが、狼がカイトの足元で喉を鳴らすのを見て、恐る恐る口を開く。
「……触っても、よろしくて?」
「ええ。こいつは、もう俺の家族みたいなものですから」
指先で耳の付け根を掻く。
「クゥ……ン」
狼が目を細めた瞬間、クラリスの表情がぱっと緩んだ。
「まあ……本当に、ふわふわ……」
彼女は呟くように言った。
「……生きていますのね。ただの毛皮じゃなくて」
「当たり前でしょう」
「……そう、ですわね」
クラリスは名残惜しそうに手を離し、カイトの隣に腰を下ろした。
「カイト。あなた……何者なんですの?」
月明かりの下、真っ直ぐな視線。
「治療もできて、探し物も見つけて、魔物を従えて……普通の冒険者ではありませんわ」
カイトは少し困ったように空を仰ぐ。
真実を話すべきか。
それとも、ここで線を引くべきか。
「……ただの、自分を大事にしてくれる人を守りたい冒険者ですよ」
それだけを、選んだ。
クラリスは、それ以上踏み込まなかった。
だが、その言葉の重みだけは、胸に残った。
影の中で、ランバが念話を飛ばす。
『旦さん、ええ雰囲気やないですか。ワイら、席外しまひょか?』
「黙れ。……そろそろ戻るぞ」
少年と少女、そして巨大な狼。
静かな宿営地の夜は、クラリスにとって――
生涯忘れられない、小さな冒険の一頁となった。
「あ、あ、ああ……お、おはよう……ございますわ!」
声が裏返り、動きがぎこちない。
目が合うたびに顔が赤くなり、視線が迷子になっている。
「……顔が赤いですね。風邪ですか?」
「な、なななな!?
元気ですわ! 伯爵令嬢ですもの! 野宿の朝くらい、しゃきっと――」
しゃきっと、の途中で。
「きゃっ!」
足をもつらせ、クラリスは前のめりに倒れ込んだ。
「おっと」
反射的に肩を支える。
「大丈夫ですか?」
「ひゃぅっ!?」
奇声と共に、クラリスはバネのように飛び退いた。
「さ、触らないでくださいまし!
わ、私は顔を洗いに……そう、水場! 水場はどちら!?」
「あっちですけど……一人は危ないですよ」
「だ、大丈夫ですわ! お父さまと一緒に行きますから!」
支離滅裂な言葉を叫びながら、スカートを翻し全力で逃走する伯爵令嬢。
その背中を見送りながら、影の中でランバが肩を震わせた。
「旦さん……あれは完全に“キ”てますなぁ」
「……ただの寝ぼけだと思いたい」
カイトは深く溜息を吐き、冷えかけた焚き火に薪を放り込んだ。
火が再び勢いを取り戻す。
ガリアント子爵の街に着く前に――
お嬢様の心臓が無事でいられるか。
それが、カイトの新たな懸念事項となっていた。
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