第二十二話:逃げ出した狼と、究極のモフモフ
ガリアント子爵領へ続く街道は、よく整備されていた。
踏み固められた土の上を、馬車の車輪が「ごとん、ごとん」と規則正しく刻んでいく。
空は高く、雲はゆっくり流れ、風は穏やか。
危険な気配など、どこにもない――少なくとも、表向きは。
「いやぁ、平和だなぁ」
先頭を歩く「白銀の斧」リーダー、ガルムが兜の隙間から空を見上げて言った。
「護衛任務って聞くと身構えるけどよ、今日は当たりじゃねえか?」
(それはフラグでは?)カイトが思っていると、
「そう言うな。油断した頃が一番危ねえんだ」
斥候のバラスが肩をすくめる。
「ま、何も起きなきゃそれでいい。起きたら俺たちの出番だ」
後衛のバルセオは、豪快に笑いながら背中の斧を揺らした。
彼らの後ろ、馬車のすぐ横を歩く少年――カイトは、そんな会話を聞き流しながら、周囲の気配を静かに探っていた。
(……本当に、何もいなさすぎるな。フラグは回避したかな?)
静かすぎる森。
鳥の鳴き声も、獣の足音も、妙に少ない。
だが、その理由を口にするほど、彼は空気を読めないわけではなかった。
馬車の中では、クラリスがカーテンを少しだけ持ち上げ、外の景色を楽しんでいる。
「街道の旅って、もっと怖いものだと思っていましたわ」
「護衛が優秀だからだよ」
ジークムント伯爵は、どこか誇らしげに言った。
――そして、その“優秀すぎる存在”が、影の中でやらかしていた。
『旦さん、すんまへん……』
影から、ランバの気まずそうな声が届く。
「……嫌な前置きだな。何をやらかした?」
『いや、その……街道の掃除は完璧やったんですけど』
「けど?」
『ちょっと気合入りすぎて、ビビった連中が、街道の方へ必死に逃げよって……』
「……」
カイトは額を押さえた。
「つまり?」
『そっちに向かってます』
「……残りはこっちで処理する。後で説教な」
『ひぇっ!』
念話を切った、その瞬間だった。
前方の藪が、文字通り吹き飛んだ。
「――ッ! 全員止まれ!」
ガルムの怒号が響く。
現れたのは、漆黒の毛皮を持つ巨大な狼たち。
通常の狼を遥かに凌駕する上位種――グレートウルフ。
中でも先頭の一体は、体高二メートルを超え、眼光は鋭い……はずだった。
(……いや、あれ、完全に逃げてきてるな)
カイトには分かっていた。
彼らは「襲撃」ではなく、「逃走」だ。
「グレートウルフの群れだと!?
くそ、数が多い! 護衛しながらじゃ――」
ガルムが盾を構え、白銀の斧の面々も即座に戦闘態勢に入る。
その前に、カイトが一歩、前に出た。
「大丈夫だ」
剣も抜かず、ただ歩く。
「怖くない、怖くない」
彼の内側にある膨大な魔力が、一点だけに向けて解き放たれる。
攻撃ではない。威圧ですらない。
ただ――「格の違い」を理解させるだけの圧。
「ヒュン……」
さっきまで牙を剥いていたグレートウルフたちが情けない声を上げ、尻尾を股の間に入れると、じりじり後退する。
そして。
リーダー格の巨狼が、カイトの前で――
ごろん、と腹を見せた。
「……は?」
バラスの口から、間抜けな声が漏れる。
「服従……ポーズだよな、それ」
「グレートウルフが……初対面のガキに……?」
白銀の斧が固まる中、カイトだけは別の意味で固まっていた。
「……おお」
目が、輝いた。
「すごい毛並みだ……」
次の瞬間。
「モフモフだ……!」
前世で犬を飼えなかった反動か、少年は無心で腹に両手を突っ込み、わしわしと撫で回した。
「アオーン……クゥン……」
上位魔物の尊厳は、完全に消滅した。
馬車の窓から覗いていたクラリスが、頬を赤らめて呟く。
「……いいですわね」
「ダメだクラリス!
あれは凶暴な魔物だ! あんな真似ができるのは、あの少年が異常なだけだ!」
伯爵の必死の制止も虚しく、
クラリスの目は「後で絶対触る」と語っていた。
一通り満足したカイトが立ち上がると、グレートウルフたちは、吸い込まれるように影へと溶けていく。
「……あー、たぶんテイムしちゃいました」
照れたように頭を掻く。
「テヘへ」
「……進むぞ」
もはや驚く気力すら残っていないガルムの声で、馬車は再び動き出した。
のどかな街道は、何事もなかったかのように続いていく。
影の中で、ランバがぼそりと呟いた。
『……ほんま、旦さんは化け物ですわ』
カイトは影に向かって小さく言った。
「エサ、多めにな。狼の分も」
こうして、
平和な旅は、さらに“普通ではない”方向へ進んでいくのだった。
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