第十八話:高嶺の瞳に映る影
「あれは……?」
メスチノ伯爵邸のバルコニー。
午後の陽光を浴びながら書類に目を通していたクラリスは、ふと、空を横切る“影”に視線を奪われた。
鳥にしては大きすぎる。
雲にしては速すぎる。
次の瞬間、背筋が冷えた。
「……グリフォン?」
街の誰もが知っている。
家畜を攫い、人を殺す天空の捕食者。討伐依頼が出るたび、騎士団や熟練冒険者が大騒ぎになる存在だ。
だが――
クラリスの呼吸が止まったのは、その背を見た瞬間だった。
誰かが、乗っている。
しかも、手綱も鎧もなく、風に身を委ねるように。
「……嘘」
金色の翼。
そして、その首元に立つ、見覚えのある横顔。
「……カイト?」
数日前、自分を子供扱いし、理屈で叩き伏せたあの少年。
ただの腕のいい治療師。身寄りのない孤児。そう思っていた存在が――空を、飛んでいる。
「な、なに……どういうこと……?」
胸の奥がざわつく。
理解が追いつく前に、心が拒絶した。
クラリスはそのまま執務室へ駆け込んだ。
「お父様!」
書類に目を落としていたジークムント伯爵が、ゆっくりと顔を上げる。
「どうした、そんなに慌てて」
「あのカイトという冒険者……あの方は、一体、何者なのです?」
一瞬だけ、伯爵の眉が動いた。
「……カイト殿か。腕の良い治療師だと聞いている。探し物を見つけるのが異様に上手いともな」
「それだけではありませんわ! たった今、グリフォンに乗って空を飛んでいました!」
「……空?」
ジークムントは顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。
「魔法使いなのだろう。師につかず独学で伸びる者も、稀にはいる。お祖母様の治療の件でも、ギルドマスターのグレッグからは『下手に囲い込むな』と釘を刺されたほどだ」
「……それほど、なの?」
「クラリス。魔法の適性を持つ者は千人に一人だ。ましてや、グリフォンを従えるほどの魔力ともなれば……」
伯爵は窓の外、遠くの空を見やった。
「彼は、この街に留まる器ではないのかもしれんな」
その言葉が、胸に刺さった。
千人に一人。
守られるべき至宝。
この街の枠に収まらない存在。
――親のいない孤児だと、見下していた相手が?
クラリスは何も言えず、再びバルコニーへ戻った。
グリフォンはすでに遠く、影は豆粒ほどになっている。
それでも、目が離せなかった。
「……認めませんわ」
唇を噛みしめる。
自分より下だと決めつけていた存在が、
気づけば、遥か高みを飛んでいた。
「でも……」
胸の奥で、別の感情が芽吹く。
「放っておくなんて……そんなの、もっと無理ですわ……」
高嶺に立っていたはずの少女は、初めて“追う側”になった。
その瞳に宿ったのは、恋でも憧れでもない。
――追いつきたいという、燃えるような執念。
空に消えた影は、確かに彼女の心に爪痕を残していた。
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