第十七話:秘匿される軍勢と、影の王
カイトの自室で、その「生命」は産声を上げた。
殻を破り、「ピーピー」と甲高く鳴くグリフォンの雛。
まだ羽毛の残るその小さな体に、カイトは思わず目を細めた。
――だが、その成長速度は、自然界の理をあざ笑うものだった。
人目を避け、夜ごと森へと連れ出す。
従魔たちが狩ってきた肉を与えれば、雛は夢中で喰らいつき、食うたびに体躯を膨らませていく。
空を飛べるグリフォンは地上に居る間が弱点。だからこそ早く育ち、地上から離れようと肉を食らい体を大きくするのかもしれない。
羽は月光を弾くような硬質さを帯び、骨格はみるみるうちに引き締まっていった。
数日も経たぬうちに、それはもはや「雛」と呼べる姿ではなくなっていた。
そして、ある夜。
ランバたちが影から引きずり出してきたのは、青い皮膚を持つ巨人の亡骸だった。
「……サイクロプス、か」
本来なら、熟練の冒険者がパーティを組み、命を賭して挑むべき上位種。
「こいつ、ワイら見て『チビが!』っちゅうて舐めた口利きよったさかいな。
せやから、キッチリ言うたりましたわ」
ランバが月光に晒すのは、二十センチにも及ぶ漆黒の爪。
カイトの魔力を得て変質したそれは、巨人の強靭な皮膚を紙のように切り裂いていた。
「ランバ。……解体、やってみるか」
「任せときなはれ。カイトはんの手元、よう見とりましたさかい」
影の中で、ヒドゥンラットたちが一斉に動く。
無駄のない、精密な解体。
切り分けられた肉が投じられるたび、グリフォンは淡い光を放った。
――そして、わずか数時間。
カイトを背に乗せられるほどの成体が、そこにいた。
傍らでは、サイクロプスの血を吸い進化を遂げたモルフォイ――
アンドラモルフォイが、静かに羽を休めている。
その極彩色の鱗粉は、今や精神を幻惑し、体を痺れさせ眠りへと誘う弱体化の霧と化していた。
翌日。冒険者ギルドの解体場。
ロランは、カイトが持ち込んだサイクロプスの素材を前に、震える手で眼球を検分していた。
「……おい。これ、本物だぞ。
どこでやった。……まさか、一人じゃないよな?」
「従魔たちが狩ってきました。……ランバ、出してくれ」
影が蠢き、次々と素材が吐き出される。
血の滴る角。巨大な心臓。
「……待て。お前、そのラット……
まさか、ヒドゥンラットか?」
「はい。影の中には五百匹以上います。全員、この姿です」
「――――っ!?」
ロランは顔を覆い、しばらく言葉を失った。
五百匹のヒドゥンラット。
隠密、機動、戦闘力。
それは、単なるテイマーの領域を遥かに超えた――戦略級の兵力だ。
「……カイト。いいか」
ロランは低い声で、念を押す。
「これは、絶対に誰にも言うな。
お前は、この世界の最底辺にいるはずの魔物を、最強へと育て上げた。
知られたら、国が黙っちゃいない」
査定額は、金貨二十枚。
「ミランダには、俺から話を通しておく。
……手続きは、全部秘匿扱いだ」
「ありがとうございます」
カイトは、静かに頭を下げた。
夕焼けの雁亭への帰り道。
カイトの肩には、ふてぶてしく笑うランバ。
その影には、空を統べるグリフォン。
五百匹の影の暗殺者。
そして、死の美を纏う蝶の群れ。
(……俺はただ、この世界で、できるだけ安全に生き延びたかっただけなんだがな)
少年の姿をした「影の王」は、
懐に忍ばせた金貨の重みを確かめながら、歩みを進める。
愛すべき人々が待つ、温かな宿の灯りへ――。
メスチノの街が、森が、地平線が、みるみる足元へと遠ざかる。
どれほど高度を上げても、カイトの周囲に乱気流は生じない。
アウラの魔力が、主を守るように風を制御していた。
『お父さん。飛べるようになって、分かったことがある』
「……何だ?」
『お父さんは、本当のお父さんじゃない』
不意打ちの言葉に、カイトは観念した。
「……ああ。お前の本当の親を殺したのは、俺だ」
『そうなんだ……』
拍子抜けするほど、アウラの声は静かだった。
『でもね。僕が知ってるのは、影の中のランバ兄ちゃんたちと、外のお父さんだけ。
美味しいお肉をくれて、温かい魔力をくれた』
黄金の瞳が、真っ直ぐに前を向く。
『だから、僕にとってのお父さんは、やっぱりカイトなんだよ』
カイトは、鋼のように硬く、それでいて温かな羽に手を置いた。
「……こんな父親でよければ、これからも一緒にいよう」
『うん。よろしくね、お父さん』
アウラは風の女神の名に相応しい、美しい旋回を描いた。
眼下では、豆粒のように小さくなったランバたちが、騒がしく手を振っている。
アウラを得て、カイトの行動範囲は“次元”ごと変わった。
国境付近、秘境、誰も踏み込まぬ山奥。
それらを数時間で往復し、希少な素材や薬草を持ち帰る。
その稼ぎは、もはや一介の冒険者の域ではなかった。
ある夜。
宿の食堂で、ベルタが何気なく尋ねた。
「カイト。あんた、ギルドじゃどの辺りにいるんだい?」
「実力を見せてないから、下から数えた方が早いよ。
……ただ、ギルドマスターが時々、無茶な依頼を回してくる」
「無茶?」
「ワイバーンとか、グリフォンの討伐とか。
……ああ、その時に卵を拾って、従魔にしたんだ」
冗談として受け取ろうとしたベルタの思考は、
カイトが指を鳴らした瞬間、完全に停止した。
「アウラ。顔だけ出して」
影の中から現れたのは、猛禽の嘴と獅子の毛並み。
巨大な黄金の瞳が、真っ直ぐにベルタを捉える。
「……な、ななっ!?
本物のグリフォンじゃないか!」
「流れでね。卵から孵したのが良かったのか、よく懐いてくれた」
アウラが――その巨体には不釣り合いなほど愛らしく――
カイトの頬に鼻先を摺り寄せる。
呆然としていたベルタは、やがて堪えきれず噴き出した。
「……ははっ。
まったく、うちのカイトは、どこまで化け物になる気なんだい」
そして立ち上がり、昔と同じように、乱暴に頭を撫で回す。
「いいかい。
あんたがどれだけ途方もない力を持ってても、ここはあんたの家だ。
疲れたら、いつでも帰ってきな」
その掌の温もりは、
アウラの背で触れた冷たい高空よりも、ずっと胸に沁みた。
影の軍勢を率い、風の女神を従えながらも――
少年は今日も「夕焼けの雁亭」の住人であり続けていた。
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