閑話 異質の冒険者2(ベルタ視点)
最近、宿の空気が少し変わった気がする。
別に何かが壊れたわけでも、増えたわけでもない。ただ、流れる時間が、前よりも落ち着いた。
原因は分かっている。
あの子だ。
カイトが、宿の一角に簡素な寝台を置いて、人の身体を診るようになってからだ。
その日、ミランダが椅子に腰掛けて、肩を回していた。
仕事柄、同じ姿勢が長いらしい。肩が重い、首が回らないと、珍しく弱音を吐いていた。
「じゃあ、少し失礼しますね」
カイトはそう言って、ミランダの背後に立った。
昔なら背伸びをしていたはずの位置に、今は無理なく手が届いている。
掌を当てる。
余計な力は入れない。
まるで、壊れやすい道具を扱うみたいな手つきだった。
「……あ」
ミランダが、間の抜けた声を出した。
「なにこれ……あったかい。気持ちいい……」
「無理に我慢しなくていいですよ。力、抜いてください」
そう言われて、本当に力を抜けるくらいには、信頼されているらしい。
カイトの顔は真剣そのものだ。子どもの頃の無鉄砲さは、もう残っていない。
しばらくして、ミランダが肩をぐるりと回した。
「……嘘みたい。軽い」
「良かったです。無理はしないでくださいね」
「あなたが言う? 最近、誰よりも無理してるくせに」
そう言い合う二人を見ながら、アタシは腕を組んだ。
(……ほんと、どこでこんな顔を覚えたんだかね)
剣を振るっていた頃の、必死な背中とは違う。
人を“壊さない”距離を、ちゃんと知っている男の背中だ。
その後だった。
噂を聞きつけた老人が、宿を訪ねてきた。
「ここにゃあ、治るはずがないもんを治すガキがいるって聞いたが……」
胡乱な目。半信半疑。
腰を庇う歩き方は、昔の仲間を思い出させる。
「アタイがやるわけじゃないよ。……ほら、あそこだ」
顎で示すと、老人は眉をひそめた。
「……子どもじゃねえか」
「そう言う人ほど、治ったあと黙るんだ」
結果は、いつも通りだった。
しばらくして、老人は何も言わず立ち上がった。
腰を伸ばし、背を正し、扉の前で一度だけ振り返る。
「……礼は言わねえ。だが、噂は本当だった」
それだけ言って、去っていった。
大袈裟な感動も、泣き言もない。
ただ、帰る足取りが、来たときよりずっと軽かった。
その夜。
今度はアタシが椅子に座った。
「……ついでだ。アタイもやってみな」
カイトは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「はい。母さん」
低い声だった。
前は、もっと甲高かったはずだ。
背中に手を当てられる。
剣だこだらけの身体に、遠慮なく、けれど丁寧に。
「……どうだい」
「硬いですね。……無茶しすぎです」
「今さら言うかい」
ふっと、熱が広がった。
懐かしいような、安心する感覚。
(ああ……)
気づいたんだ。
この子はもう、守られる側じゃない。
守り方を、知っている。
「終わりました」
「……そうかい」
立ち上がると、身体が軽かった。
無理をしていた場所が、ちゃんと分かる。
「母さん」
呼ばれる。
昔より、低い声で。
でも、呼び方は変わらない。
「……変わっちまったねえ」
そう呟いたら、カイトは少しだけ照れた。
余計なもんが増えたわけじゃない。
ただ、宿に――ちゃんとした男の居場所が、ひとつ増えただけだ。
それで十分さ。
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