閑話 異質の冒険者(ベルタ視点)
朝の仕込みは、昔から体が覚えている。
火を起こして、鍋をかけて、包丁を握る。その間、背中越しに気配を感じるのも、いつものことだ。
「母さん」
声をかけられて、手が一瞬だけ止まった。
……ああ、まただ。
振り返らなくても分かる。
あの子の声が、少しずつ変わってきている。
昔はね、もっと甲高くて、焦ると裏返ってさ。
「かあさーん!」なんて叫びながら、宿の階段を駆け下りてきたもんだ。
それが今じゃどうだい。
低くて、落ち着いてて、腹の底から響く声だ。
「母さん、今日は西の森に行く」
用件だけを告げるその言い方も、もう子供じゃない。
確認じゃない。報告だ。
「気をつけな」
そう返す声は、いつも通りのはずなのに、胸の奥が少しだけ軋んだ。
背中を見る。
いつの間にか、あたしよりも広くなった背中。
剣を帯びるのが当たり前みたいな立ち姿。
……ああ、そうか。
この子、もう「守られる側」じゃないんだ。
冒険者なんてものはね、嫌ってほど見てきた。
若いのが腕を上げて、顔つきが変わって、
それから――帰ってこなくなる。
だから分かる。
今のカイトは、あの入口に立っている。
嬉しいよ。
あたしの教えたことが、血肉になっている。
ちゃんと生き延びる力を、身につけている。
でもね。
悲しくないわけがないだろ。
声変わりなんて、誰にでもある。
背が伸びるのも、筋肉がつくのも、当たり前だ。
だけど――
「母さん」って呼び方まで、いつか変わるんじゃないかって。
ふと、そんなことを考えちまう。
今はまだ、呼んでくれる。
昔と同じ言葉で。
ただ、その声がもう、男のものになっただけで。
「行ってくる」
「ああ。夕飯、残しとくよ」
扉が閉まる音を聞きながら、あたしは鍋をかき混ぜた。
煮込みの匂いが、やけに懐かしく感じる。
この宿は、揺り籠だ。
いつかは出ていく場所。
分かっちゃいる。分かっちゃいるけどさ。
……せめて、呼び方くらいは。
その背中がどこまで行こうと、
あたしのことを「母さん」って呼ぶ限りは――
まだ、手放したわけじゃない。
そう、思わせておくれよ。
読んでいただきありがとうございます。




