第九十七話:魔導コタツと廃人の境界線第
王都に例年以上の寒波が到来した、冬休み初日の朝。窓の外では、音もなく舞い落ちる白雪が世界を銀世界へと塗り替えていたが、グランヴィル公爵邸の一角にあるカイトの私室は、それとは対照的な、異様なまでの「熱気」と「沈黙」に包まれていた。
その部屋の中心に鎮座するのは、カイトが前世の記憶という名の禁忌に触れ、魔導技術を総動員して作り上げた冬の最終兵器――『魔導式コタツ』である。
「……おい。いい加減に起きろよ、お前ら。もう昼飯の時間だぞ」
カイトの声が虚しく響く。しかし、返ってくるのは「ふやぁ……」「むにゃ……」という、脊椎動物としての尊厳をかなぐり捨てたような、間の抜けた吐息ばかりだった。
事の発端は、数日前にクラリスが零した、何気ない一言だった。
「王都の冬は、芯まで凍えるような底冷えがしますわね。毛布を何枚重ねても、足先だけがどうしても冷えて……」
愛する婚約者(暫定)の悩みを解消すべく、カイトは動いた。 かつて討伐した「岩巌竜」の鱗が持つ、驚異的な熱保持能力、それを薄く加工して天板の裏に貼り付け、微弱な魔力を流すことで遠赤外線に似た熱を放射する回路を組み込んだ。
さらに、断熱性に優れた高級魔法羊の毛で作った掛け布団を被せれば、室温が氷点下だろうと関係なく、一度入れば二度と出られない「夢の神器」が完成したのである。
だが、その破壊力はカイト自身の想像を遥かに超えていた。
「……むにゃ。カイト様……ここから出たら……世界が、終わってしまいます……」
普段は精霊使いとしてキビキビと立ち振る舞うリィンが、今や上半身の半分までコタツに突っ込み、溶けた飴細工のように畳……カイトが気合で再現したイグサ風マット……の上に伸びている。
隣のルーヴも、完璧なメイドとしての鉄面皮はどこへやら。無表情のまま温もりに魂を吸い取られ、視線は虚空を彷徨い、指先一つ動かす気配がない。 アウラに至っては、コタツの深淵部、いわば「中心核」で丸くなって熟睡しており、布団の端から虹色の尻尾だけがパタパタとリズムを刻んでいた。
「あったかーい……。カイト、これ、すごいです。もう、うごけません。一生ここにいます」
アウラの夢うつつの宣言。――ああ、冬の魔導具は、英雄をも廃人にするのだ。
静寂を破ったのは、リィンの小さな「ううっ」という苦悶の呻き声だった。 彼女は足をモジモジと動かし、内なる戦いを繰り広げている。だが、その肩口まで覆う掛け布団を撥ね退ける勇気は、今の彼女にはない。
「……あの、カイト様。私、ちょっと……その……お、お手洗いに……」
その瞬間。それまで死んだように微睡んでいたクラリスとルーヴの目が、獲物を狙う鷹のようにカッと見開かれた。
「リィン! 立つついでに、台所の魔導冷蔵庫から、冷えた果汁を持ってきてくださらない?」 「リィン様。ついでに、私の部屋の机にある読みかけの本と……温室用の新しい魔石を持ってきていただけると、非常に助かります」
「えっ!? ちょっと、お二人とも。私は切実なんです……! 漏れるか、凍えるかの瀬戸際なんですわよ!」
「リィン、負けないで。一度立ってしまえば、あとは惰性で行けますわ。行って帰ってくれば、またこの黄金の温もりが待っていますのよ」
「クラリス様、他人事だと思って……! だったらクラリス様が行ってください!」
「嫌ですわ。私は今、人生で一番幸せな瞬間を更新中なんですの。この繊細な幸福のバランスを、一歩の歩行で壊せと仰るの?」
これがコタツという聖域が生み出す、冷徹なまでの「誰か一人立てば、残る全員の用事を押し付ける」という、強制互助システムである。 立ち上がる者は英雄であり、同時に全権を委任された使い走りと化す。
「た、立ちたくない……。でも、行かなきゃ……ううっ、足が……足が外の空気に触れるのを拒んでいる……!」
カイトは、伝説の果実で作った「ミカン(風の小果実)」をコタツの天板に山盛りに置き、深いため息をついた。
「……お前ら、情けなくないのか。俺が全部取ってきてやるから、リィンは早く行ってこい。漏らされたら、この特製コタツが台無しだ」
「「「「さすがカイト(様)! 抱いて!(ついていく!)」」」」
カイトが甲斐甲斐しく、冷たい果汁や厚い魔導書、新しい魔石を運んでくると、リィンはスッキリした(しかし寒さに震えた)顔で全速力で戻ってきた。 だが、彼女が再びコタツに足を滑り込ませ、至福の表情で「ふぅ……」と息を吐いた瞬間、カイトの堪忍袋の緒が、静かに、しかし確実に切れた。
「……もういい。俺も入る。今日は仕事も特訓もしない」
無理やり隙間に足を突っ込むと、そこには文字通りの「天国」が広がっていた。 ロックリザードの鱗から放たれる、包み込むような遠赤外線の熱。それが、冬の作業で芯まで冷えたカイトの体を、優しく、暴力的なまでの慈愛で包み込む。
「……ああ、これは無理だ。出るやつは、人間じゃない。馬鹿だ」
「そうでしょ? カイト様。あ、ついでにお茶のおかわり、煎れていただけます?」
「今座ったばかりだろうが! 自分で……と言いたいところだが、腕を布団の外に出すのも億劫だな。ランバ、頼めるか?」
影の中から、黒い手がスッと伸びて急須を掴む。 『旦さん……アンタまで陥落しはるとはな。この部屋、もう「廃人製造所」に看板変えまひょか?』
結局、カイトも一歩も動けなくなり、部屋にはミカンを剥く心地よい音と、時折響く皮の弾ける香りだけが充満し始めた。
外では吹雪が荒れ狂い、世界は冬の厳しさに震えている。しかし、この四角い布に囲まれた一畳ほどの宇宙だけは、甘美で、堕落した、至高の時間が流れていた。 リスタニアを救う英雄も、伯爵令嬢も、伝説の精霊使いも、今はただ、一枚の布団に支配される「コタツの住人」に過ぎないのだった。




