第九十六話:安らぎの虹色ドロップ
王太后ソフィアが王宮の屋根に登り、瓦のズレを指摘し始めてから半日。
カイトはグランヴィル邸の温室で、リィンと共に緊急の「品種改良」に没頭していた。
「リィン、済まないが魔力の配分を逆にしてくれ。さっきの『活性化』の精霊は遠ざけて、今度は『月明かり』や『そよ風』の精霊を呼んでほしい」
「わかりました! ……みんな、おやすみの時間ですよ。静かに、優しく集まって」
リィンが祈るように手をかざすと、温室は淡い銀色の光に包まれた。
カイトも治療魔法の応用である「精神安定」と「強制弛眠」の力を、薄く、しかし丁寧に重ねていく。
二人の魔力が溶け合った結果、蔓に実ったのは、夜空を切り取ったような深い紺色の実。
表面には星屑のような銀の粒子が微かに瞬いている。
「……よし、これでいいはずだ。名付けて『虹色の実・ムーンライト・エディション』。リィン、毒見を頼めるか?」
「はい……あむっ。……ふぇ? なんだか、とっても、ふわふわして……」
一口食べたリィンの瞳はとろんと柔らかくなり、そのままカイトの肩に頭を預け、スースーと規則正しい寝息を立て始めた。
「……効きすぎだな。だが、今のソフィア様ならこれくらいで丁度いいだろう」
カイトが特急便でこの実を王宮へ届けると、アルフレッド王は藁をも掴む思いで、執務室に乱入してくる太后に差し出した。
「母上、カイトからの新作です。『安らぎのデザート』だそうですよ」
「あら、カイト殿の? いただくわ」
ソフィア王太后が実を口に含むや否や、王宮を支配していた凄まじい覇気は霧が晴れるように消え去った。
「……まあ。なんだか、急に……王宮の予算案よりも、お布団の柔らかさが気になってきたわ……アルフレッド、あとはよろしくね……」
元気すぎた王太后は、侍女たちに支えられながら、満足げな笑みを浮かべて自室へと運ばれていった。
数時間後、嵐が去った後のような静けさが戻った謁見の間。
アルフレッド王は深く椅子に沈み込み、ため息をついた。
「……助かった。本当によくやってくれた、カイト」
王は側に控えるエドワード王子と共に、胸をなでおろす。
「陛下、ようやく大臣たちも執務室に戻れそうです。瓦職人も、王太后様に監視されずに作業できると泣いて喜んでいました」
「全くだ……しかし、エドワードよ」
王はふと、カイトが送った「安眠の実」の残りを見つめる。
「この果実……使い方を間違えれば、一国を眠らせる兵器にもなりかねんな。あいつ、次は一体何を作るつもりなのだ?」
一方、カイトは温室でリィンの寝顔を見つめながら、魔力の配合比率をメモ帳に書き込む。
「次はもう少し、効き目をマイルドにしないとな……」
本人はあくまで「良質な健康食品」を作っているつもりだが、知らぬ間に世界の常識を置き去りにしていることに、自覚はまったくなかった。




