第九十二話:猿の贈り物と未知の可能性
黄金色の陽光が木々の隙間から長く伸び、森の影を濃く落とし始めた黄昏時。せせらぎに包まれた至福のティータイムを終え、カイトたちは帰路につく準備を整えていた。
「さて、忘れ物はないな? 『来た時よりも美しく』だ。炭一つ残すなよ」
カイトが火の跡を土魔法で完全に浄化し、立ち上がったその時だった。背後の藪が、まるで巨大な獣が突進してきたかのようにガサガサと激しく揺れた。
「キッ、キキーッ!」
現れたのは、先ほどカイトに「デコピン一発」という屈辱的な敗北を喫したはずの、あのボス猿だった。クラリスとリィンが咄嗟に守護の構えを取るが、猿に戦意はないのかルーヴとアウラは片付け継続。それどころか、ボス猿のその毛並みの荒い顔には、野生の獰猛さを削ぎ落としたような奇妙な「敬意」と「祈り」が漂っている。
「……またお前か。まだデコピンの威力が足りなかったか?」
カイトが呆れ半分に声をかけると、ボス猿は両手で大切そうに、重々しく抱えていた「何か」を差し出した。それは、苔むし、気の遠くなるような年月を経て角が丸くなった小さな石箱だった。表面には見たこともない古代の刻印が刻まれ、周囲の魔力を吸い込むような独特の重圧を放っている。
ボス猿はカイトの足元に恭しく箱を置くと、人間のように深々と頭を下げた。どうやら、自分たちの無礼を詫びるための供物というよりは、もっと切実な「依頼」であるらしい。
「カイト様、こっこれは……ただの石箱ではありません」
リィンが息を呑み、琥珀色の瞳を凝らす。カイトが慎重に、魔力を通しながら蓋を開けると、その中にはたった三粒、夕闇の中でも虹色の光沢を放つ不思議な種が収められていた。
「なんだこれ……? 手に取っただけで、普通の植物じゃないことだけは分かる。魔力の密度が異常だ」
「……カイト様、周囲の精霊たちが一斉に騒ぎ始めました! この小さな種から、まるで目覚めを待つ圧倒的な魔力の鼓動を感じる、と。これほどまでに古く、力強い種……初めて見るものです」
リィンの言葉に、カイトは鋭く眉を寄せた。
「どうやらこの猿たちは、単なる森のならず者ではなかったのかもしれません。彼らはかつてこの地にあったとされる、神話時代の『聖なる果樹園』を守護していた一族の末裔なのでしょう。そして、この種はその園が滅びる際に残された、最後の三粒。
ボス猿はカイトの白く、しかし力強い手をそっと両手で握り、その真剣な眼差しを向けた。言葉は通じずとも、その「魂の叫び」は明確だった。
『自分たちの血は薄れ、聖なる果樹園はなくなり、この種を芽吹かせる魔力も術も失われた。真なる力を持つ者よ、あなたの力を使い、どうかこれを芽吹かせ、育ててくれ』。
「……やれやれ。俺はただの従者なんだがな」
カイトは苦笑しながらも、その石箱を片手でしっかりと受け取った。 「分かった。責任を持って預かるよ。……リィンも居る大切に育てるから安心しろ」
ボス猿は満足げに一度高く吠え、仲間たちを引き連れて、霧の立ち込め始めた森の奥へと消えていった。
帰路の途中、あまりの好奇心に抗えず、カイトは安全な街道の入り口で一度足を止めた。
「せっかくだから、どんな風に芽が出るか、その『兆し』だけでも試してみよう」
その言葉に、女子陣が即座に陣形を組む。 リィンが精霊魔法で周囲の土壌から不純物を取り除き、生命素を活性化させると鉢代わりのコップを固定した。ルーヴは周囲の警戒を怠らず、必要最小限の水分と衛生管理を完璧にこなす。
アウラも好奇心丸出しで、「たべる!」と言わんばかりに小さな前足を土に突っ込もうとするが、カイトに「まだ早い」と軽く制され、むぅ、と頬を膨らませた。
カイトは三粒のうちの一粒を、慎重に土に埋めた。そして、自身の魔力を指先から雫のように垂らし、水をかける。
「さて……長きの眠りから覚める準備はできているか? 未知の植物よ」
カイトの膨大な魔力が静かに土へと浸透したその瞬間、一粒の種は呼応するように激しく虹色の光を放った。パキッ、という小さな、しかし力強い音が響き、土を割って透き通るような緑の芽が顔を出す。
その瞬間、辺り一面に、完熟した桃と爽やかなシトラスを混ぜ合わせ、さらに花の蜜を煮詰めたような、陶酔を誘う甘い香りが爆発的に漂った。
「……信じられません。芽が出ただけで、これほどまでの香気を放つなんて。カイト様、この子が育てば、王都どころか世界中の料理人と貴族を狂わせる、伝説の果実になるかもしれませんわ」
「しかしそのためには、誰にも邪魔されない特製の『魔導温室』を作らないとな……。
場所としてはお爺様のところか……」
カイトの瞳には、かつてない創造の炎が宿っていた。 アウラが背後から「たべる! はやく、たべる!」と無邪気にねだるのを「まだ食べ物じゃない!」と止めながら、五人は寮の部屋へ戻るのだった。




