第八十七話:メスチノ姉御軍団の審判と、カイトの「誠実」
山岳地帯での「掃除」を終え、心地よい疲労感と共に夕焼けの雁亭の暖簾をくぐったカイトを待っていたのは、温かな出迎えではなく、逃げ場のない「処刑台」の如き布陣だった。
店内の中心にある円卓を占拠しているのは、女主人のベルタ、女傑エルザ、そして社交界の重鎮イザベラ。その背後には、まるで裁判の傍聴人のようにクラリスとリィンが控え、一様に鋭い、あるいは複雑な視線をこちらへ向けている。その光景は、山岳地帯で見たオークの群れよりも、ロックリザードの威圧感よりも、カイトの本能に警鐘を鳴らさせた。
「……悪い、忘れ物をした」
カイトは無表情のまま踵を返そうとした。しかし、背後に音もなく控えていたルーヴが、鋼の如き力でその肩を押しとどめる。
「おかえりなさい、カイト様。皆様、貴方のお帰りを首を長くしてお待ちでしたよ。さあ、どうぞ中へ」
「……ルーヴ。お前、主を売ったな?」
「滅相もございません。私はただ、主が『向き合うべき問題』から逃げないよう、忠誠を尽くしているだけでございます」
完璧なメイドの微笑みを浮かべたルーヴによって、カイトは無理やり上座の椅子に座らされた。ベルタが重厚な音を立ててジョッキをテーブルに置く。それが、「カイトの今後を考える婦人会」開廷の木槌の音となった。
「さて、カイト。山での仕事はご苦労さん。……で、さっそく本題に入ろうか」
ベルタの言葉に続き、エルザが獲物を仕留めるような目で身を乗り出した。
「王都での『氷の貴公子』さん? 随分と浮いた話が、ここメスチノまで流れてきているじゃないの。公爵令嬢に王女様、果ては他国の王族まで手懐けて、ハーレムでも作る気かい?」
「……誰がそんな悪質なデマを。俺はただ、アカデミーで目立たず、効率的に日々を過ごしたいだけです。それにクラリスには、はっきりと『一番だ』と言ったはずですが……。俺はそんなに信用がないのか?」
カイトは溜息を吐きながらジョッキを煽った。そのあまりにも真っ直ぐな言葉に、場が一瞬だけ静まり返る。しかし、イザベラが優雅に扇子を広げ、追い打ちをかけた。
「あら、静かに過ごしたい方が、そんなに愛らしいエルフの娘さんをわざわざ連れて帰ってくるとおっしゃるの? クラリスの顔を見なさいな。貴方の無自覚な一言、無自覚な行動が、どれだけこの子たちを不安にさせているか……。これは騎士として、いえ、紳士として失格ですわよ」
「リィンには悪いが、俺にとっての『一番』がクラリスであることに揺らぎはない。これだけは変わらない事実だ。ここにいるルーヴも、その前提で俺の影にいる。……騎士として、守るべき優先順位を極めることに、何か問題が?」
カイトの瞳には、一切の迷いも逃げもなかった。そのあまりに誠実すぎる「残酷なまでの肯定」に、女性陣は一瞬気圧される。
「それは……」
「ジークムント様はイザベラ様一筋。それが理想の形だろう。だが、俺の人生にはクラリスが現れ、ルーヴが加わり、リィンとも出会った。全員を同じように、平等に扱うことなんてできやしない。状況にも、俺自身の気分にも左右される。俺は聖人君子じゃない。……それでもいいなら、という前提を、俺は示し続けるしかないんだ」
身も蓋もない、だがこれ以上なく誠実なカイトの独白に、エルザは毒気を抜かれたように小さく笑った。
「そうねぇ……。私の死んだ旦那も側室を数人持っていたけれど、一番は私だと、態度はともかく心では示し続けてくれていたわ。だからこそ、私は安心して家を守れた。アンタ、冷徹なふりをして、意外と古いタイプの男ね」
「そうですわ! カイト、貴方は自分がどれだけ周囲に注目されているか、全く分かっていないのではありませんか?」
クラリスが顔を真っ赤にしながら、テーブルを叩いて詰め寄る。
「カイト様は……私が、私たちがついていないと、すぐ隙を見せて変な女の人に捕まってしまいます! 先ほどのお言葉は嬉しいですが、それとこれとは別問題です!」
リィンも、ベルタの教え通りに潤んだ瞳でカイトを見つめ、熱意を込めて訴える。 その様子を見守っていたベルタが、ジョッキを空にしてから、凄みのある笑みを浮かべて身を乗り出した。
「いいかい、カイト。あんたは昔から、自分がどれだけ『商品価値』のある男か分かってないんだ。グランヴィル侯爵の血筋、若くして授かった騎士の称号、そしてその無駄に整った顔立ち……。寄ってくるハエは、ランバたちが影で叩き落とせるハエばかりじゃないんだよ。もっと質の悪い、あんたのその『善意』や『無自覚』に付け入る狡猾な連中が山ほどいるんだ!」
「……母さん。ハエ、って」
「あんたのその、自覚のないお人好しさが、この子たちをヤキモキさせてるんだよ! はっきりしな、この唐変木! 守るって決めたなら、不安にさせるような隙を見せるんじゃないよ!」
一時間に及ぶ、重厚な尋問と説教の嵐。 カイトは、何百という魔物の群れと対峙するよりも遥かに消耗し、最後にはぐったりとテーブルに突っ伏した。 女たちは一通り言い終えると、溜飲を下げたのか、「ま、これくらいにしておいてあげるわ」と満足げに茶や酒を啜り始めた。
「……あー、分かった。分かったよ。これからはもう少し……いや、最大限の自覚を持つように努力する」
カイトのか細い返事に、クラリスとリィンは顔を見合わせ、初めて小さな勝利の微笑みを交わした。二人の間にあった火花が、共通の「敵(愛すべき唐変木)」を前に、奇妙な共闘意識へと変わった瞬間だった。
「よし! 話は終わりだ! 今夜はカイトが仕留めてきたロックリザードの肉で大宴会だよ! ほら、カイト! ぼーっとしてないで、あんたも厨房を手伝いな!」
ベルタの号令一閃、先ほどまでの重苦しい空気は霧散し、宿全体が賑やかな宴の準備へと動き出した。 カイトはフラフラと立ち上がり、エプロンを締め直しながら、自身の影の中に潜むランバに「……助けてくれ」と念じてみた。しかし、返ってきたのはいつもの呑気な笑い声だけだった。
『旦さん、災難どしたなぁ。せやけど、こればかりは剣の修行じゃ治りまへんで。女難の相は、死ぬまで付き合う覚悟をしなはれ……ククク……』
ランバの声は、もはや応援ですらなかった。 カイトは溜息を一つ吐き、包丁を握る。窓の外にはメスチノの穏やかな夜空が広がっていたが、カイトの心には、王都へ戻った後のさらなる嵐の予感しか無かった。
だが、賑やかな厨房の音と、背後で笑い合うクラリスたちの声。 その温かさだけは、カイトにとって何物にも代えがたい「一番」の報酬であったこともまた、事実だった。




