第八十六話:最強の姉御軍団、静かなる包囲
メスチノの街を一望できる伯爵邸のサンルーム。そこは本来、色とりどりの花々と柔らかな陽光に満ちた休息の場であるはずだった。しかし、カイトとジーグムント伯爵が討伐へと向かった数時間後、その場所は「取調室」にも勝る濃密な熱気に包まれていた。
残されたクラリスとリィンの前には、メスチノ随一の「お姉様方」が鎮座している。かつてカイトに武術を仕込み、今もなおこの街の裏表を牛耳る女傑、エルザ。そして、扇子一つで社交界の情報を操る情報通のイザベラ。
二人の放つ「獲物を逃さない」オーラに、クラリスは背筋を正し、リィンは小刻みに肩を震わせていた。
「それで、最近はどうなの? 順調?」
エルザが、低く、だがよく通る声で切り出した。獲物を狙う鷹のような鋭い目が、クラリスのわずかな表情の変化も逃さぬよう注がれている。その楽しげでありながらも逃げ場を与えない視線は、下手をすればオークの咆哮よりも恐ろしい。
「そうそう、アカデミーでの様子を詳しく聞かせて。王都の話は屋敷の伝でも少しは入ってきているけれど……公式な記録以外の、もっと『生っぽい』話が聞きたいわ。それに、そちらの可愛らしいエルフの娘さんは?」
イザベラは優雅に扇子を揺らしつつ、好奇心たっぷりにリィンを観察する。その視線は、希少な魔導具の鑑定でもしているかのようだ。
「……彼女はリィン。グランヴィル侯爵領のエルフの里の子ですわ。悪質な奴隷商会に囚われていたところをカイトが救い、今は彼の『助手』として仕えてくれているのですの」
クラリスの説明に、エルザがニヤリと口角を上げた。
「ほう……『救われて』、『仕えている』? それって、あんたとカイトの出会いと同じじゃないかい、クラリス?」
「違いますわ! 私はカイトの正当な雇い主であり、彼は私の騎士。あくまで公的な主従関係ですもの!」
クラリスは即座に否定するが、その頬が瞬く間に朱に染まるのを、お姉様方は見逃さなかった。
「ふーん? 雇用関係ねぇ。まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
エルザは鼻を鳴らし、今度は標的をリィンへと変えた。
「で、リィンちゃん? あんたはカイトの『何』になりたいわけ? ただの助手で満足してるようなツラじゃないわね」
リィンは一瞬、エルザの放つ強烈な威圧感に身を縮めた。だが、昨夜ベルタから叩き込まれた「女の武器」と「待っているだけでは一生助手止まり」という言葉が、彼女の奥底にある芯を叩き起こした。
リィンは胸元で小さく拳を握りしめ、上目遣いに、だが確かな意思を持ってエルザを見据えた。
「私は……カイト様の『一番の助手』になりたいんです。精霊の力で、カイト様の歩む道をすべて整えて差し上げたい。あの方の戦いの、生活の、すべてを支える唯一の存在に……それから、できれば、その、一番近いお隣に……」
語尾こそ消え入るようだったが、その言葉には「一歩も引かない」という覚悟が宿っていた。イザベラは、
「あらあら……」
と嬉しそうに扇子で口元を隠し、目を細める。
「これは王都でも相当な騒ぎになっているんじゃないかしら。グランヴィル侯爵の孫にして、陛下お墨付きの騎士爵。そんな至高の男を巡って、誇り高い伯爵令嬢と、神秘的なエルフの精霊使いが火花を散らしているなんて」
「カイトも罪な男ね。昔から無愛想なくせに、無自覚に人を助け回る質だったけど。まさかエルフの里から花嫁候補まで連れて帰ってくるとは、予想以上だわ」
エルザが、ぬるくなった茶を啜りながら苦笑する。
「本当に。王都では『氷の貴公子』なんて、その冷徹さと美しさで呼ばれているのでしょう? でも、私たちの知るカイトは、無愛想でお人好しで、自分が一番傷ついていることにも気づかない……あの頃の不器用な少年のままなのかしら」
イザベラの問いに、クラリスは少し誇らしげに、そして愛おしそうに答えた。
「……ええ。本質は変わりませんわ。相変わらず無自覚に人を惹きつけ、本人は『面倒だ』『効率が悪い』なんて言いながら、結局すべてを救ってしまう。……だから、あの方は放っておけないんですの」
リィンも、クラリスの言葉に強く、深く頷いた。
「はい。カイト様は、私たちがどれだけ想っていても、ご自分の価値を全く認めていないようですから。……放っておくと、いつかその空虚さに飲み込まれて、どこか遠くへ消えてしまいそうで。だから、私たちが繋ぎ止めておかなければならないんです」
「「あーー……」」
エルザとイザベラが揃って深い溜息をついた。その溜息には、呆れと、ほんの少しの同情が混じっている。
「重症ね、二人とも。そこまで惚れ抜いてちゃ、あの子の思うツボじゃない」 「ええ。カイトが山から帰ってきたら、少し『教育』が必要かしらね。これ以上、メスチノにまで新しい『獲物』を増やされたら堪りませんもの。私たちの可愛いクラリスとリィンちゃんが、これ以上ヤキモキするのは見ていられないわ」
エルザは不敵な笑みを浮かべ、指の骨をポキリと鳴らした。その笑顔は、かつてカイトを地獄の特訓で叩き伏せていた時のものと同じだった。
その頃。 山岳地帯でロックリザードを片付け終え、返り血を拭っていたカイトは、なぜか背筋を走る強烈な寒気に身を震わせていた。
「……ルーヴ、なんだか嫌な予感がする。それも、魔物とかそういう類じゃない、もっと根源的な恐怖というか……」
「左様でございますか。私の検知には敵意は見当たりませんが、主がそう仰るのであれば、少し速度を上げましょう。お嬢様方がお待ちです」
ルーヴは平然と答えたが、その瞳の奥には微かな愉悦が揺れていた。
夕焼けの雁亭で待ち構える「最強の姉御軍団」。そしてその薫陶を受け、決意を新たにしたクラリスとリィンの、最強にして最恐の「カイト捕獲包囲網」が、着々と狭まっている。
カイトがメスチノで「本当の戦い」に直面することになるまで、あと数時間のことだった。




