第八十二話:メスチノへ途中
「アカデミーの休暇が終わる前に一度メスチノのクラリスの両親に顔出ししておこうか。俺も母さんの顔を見ておきたいし」
カイトの一言で、メスチノへ向かうことになったカイトたち。
「じゃあ、私たちは夫婦水入らずで」
オズワルドとマリーは馬車で王都に向かう。
アウラが悠然と風を切り裂きながら森の上空を滑空していた。背に乗るカイトとクラリスの髪を、激しい風が揺らす。平穏な帰省の空路になるはずだったが、眼下の深い緑の中に、異様な「濁り」が見えたことでその空気は一変した。
「……数がおかしくありません?」
クラリスが眉をひそめ、眼下を指差す。そこには、森の木々をなぎ倒しながら進む、巨大なオークの群れがあった。その数、およそ数百。対するは、街道を守るように円陣を組んだ数十人の騎士たちだ。
「オークの数が多すぎるな。討伐依頼の情報が古かったのか、それとも……」
カイトの冷徹な瞳が戦況を分析する。既に騎士たちの円陣は崩れかけていた。鉄の防壁を、オークたちの圧倒的な質量と「数の暴力」が削り取っていく。絶望的な悲鳴と、獣特有の不快な咆哮が風に乗って上空まで届いた。
「どうなさいますの、カイト?」
「放っておくわけにもいかないな。……ランバ、ルーヴ。少し手伝ってやれ」
カイトが淡く命じると、彼の足元に広がる深い影が、生き物のように蠢いた。
「はいな! 腕が鳴りまんなぁ!」
「御意。塵一つ残さず片付けましょう」
影から弾け飛ぶように飛び出したのは、千の魔鼠を束ねるランバと、銀の魔狼の王ルーヴだ。地上へ着弾した衝撃だけで、周囲のオーク数体が肉片へと変わる。
「全部片付けていいんですの?」
クラリスが少しだけ悪戯っぽく微笑んで尋ねる。
「ああ。最近、こいつらも暴れる機会がなかったからな」
カイトの合図と共に、戦場は一方的な「虐殺の場」へと変貌した。 「ギギャアア!」と叫ぶオークキングや、重装甲に身を包んだジェネラル級の個体が咆哮を上げるが、ランバの黒い奔流と、ルーヴの神速の一撃の前には、紙細工も同然だった。ルーヴが牙を剥けば、ジェネラルの首は一瞬で宙を舞い、ランバが影を広げれば、数百のオークが底なしの闇に引きずり込まれていく。
騎士たちは、自分たちを追い詰めていた化け物たちが、自分たちの理解を超えた「何か」に次々と消されていく光景を、ただ呆然と見守るしかなかった。
「……はぁ。僕も少しは暴れたいんだけどなぁ」
アウラが不満そうに喉を鳴らす。 「悪いな、アウラ。お前が動くと森が消える。今度、人目のないところで派手に狩りに行こう」
「約束だからね!」
カイトの宥めに、アウラは嬉しそうに翼をはためかせた。
「アウラ、騎士たちが集まっている場所へ降りてくれ」
アウラが旋回し、負傷した騎士たちが固まっている広場へと舞い降りる。地上では、瀕死の重傷を負った者たちが、血の海の中で荒い息を吐いていた。カイトはアウラの背から降りることなく、静かに掌を天にかざした。
「――《大いなる慈悲の雨》」
カイトの呟きと共に、空から淡い翡翠色の光が降り注いだ。 それは雨のように優しく、だが劇的な速度で傷口を塞いでいく。欠損しかけた肢体が再生し、死の淵にいた騎士たちが、驚愕の表情で次々と立ち上がった。
光の雨の中に立つ、端正な顔立ちの少年と、美しき令嬢。そして、その後ろに控える伝説級の魔獣たち。その神々しくも異様な光景に、騎士たちは武器を握るのも忘れ、釘付けになった。
「君たちのおかげで、死人が出なくて済んだ。……心から、礼を言う」
一人の男が、血に汚れた鎧を鳴らしながら歩み寄ってきた。騎士団長らしきその男の言葉に、カイトは無機質なほど落ち着いた声で答える。
「気になさらずに。たまたま上空でオークの群れを見つけたので、掃除をしただけです」
「掃除、だと……? それにしても、グリフォンに乗り、グレートウルフを従え、この規模の治癒魔法を……。失礼だが、君たちは何者なんだ?」
「えーっと……ただの帰省中のお気楽なアカデミー生……ですかね」
「ふふ、まあ、嘘ではありませんわね」
カイトの適当な返文を、クラリスが澄ました顔で肯定する。その横では、戦いを終えた従魔たちが、主の次の言葉を今か今かと待っていた。
カイトは、地面に転がる山のようなオークの死骸を見渡した。
「あの、魔物の肉とか要りますか? 素材も」
騎士団長ハガードは、自身の部下たちの疲弊具合を見やり、苦笑いして首を振った。
「……今の我々には、これほどの量を持ち帰る余裕も、解体する気力も残っていない。すまないが」
「そうですか。それなら、有効活用させていただきます。ランバ、バリバリタイムOKだってさ」
「ひゃっホーい! やっぱ手伝いはしてみるもんでんな! いただきまーす!」
ランバの歓喜の声と共に、アウラやグレートウルフたちが一斉に死骸に食らいついた。バリバリ、ボキボキと骨を砕く凄まじい音が静かな森に響き渡る。 ルーヴは一瞬で、メイド服を纏った銀髪の美女へと姿を変え、カイトの傍らに歩み寄った。
「ルーヴ、お前は食べないのか?」 「……私はカイト様と一緒に、後で美味しい食事をいただきます。お前たちは好きにしろ、卑しく貪り尽くせ」
ルーヴが冷たく命じると、他のウルフたちはさらに猛然と「食事」を再開した。その野性味溢れる、だが統制された光景を前に、騎士たちは腰を抜かして座り込む。
「……私はセレス男爵家の騎士団長、ハガードだ。本当に助かった。オークキングの群れに遭遇し、正直、全滅を覚悟していた。何らかの礼をしたいのだが、名前を伺っても?」
クラリスが一歩前に出、貴族としての凛とした所作で一礼する。
「私はメスチノ伯爵家長女、クラリスと申します。苦難にある者に手を貸すのは当然のこと。……アカデミーの休暇も残り少ないので、私共はこのままメスチノへと向かいますわ」
クラリスの言葉が終わる頃には、あれほどあった死骸の山は綺麗さっぱり消え失せていた。食べ終えた魔獣たちが、満足げな顔で次々とカイトの影の中へと溶け込むように吸い込まれていく。
「それでは、失礼します。……ハガード殿、お気をつけて」
カイトが短く挨拶すると、三人は再びアウラの背へと飛び乗った。黄金の翼が強く一度羽ばたくと、突風が騎士たちの髪を巻き上げ、彼らは一瞬にして雲の向こうへと消えていった。
残されたハガードと騎士たちは、今起きたことが現実なのか、それとも死の間際に見多白昼夢だったのかを確認するように、ただ呆然と、青く澄み渡った空を見上げ続けるしかなかった。




