あたたかい影のひと
においが、違った。
血のにおい。
骨のきしむにおい。
それなのに――怖くない。
瓦礫の陰で、群れは息をひそめていた。
この場所は死の場所だ。大きなものが走り、踏み潰し、止まらない。
仲間も、何匹も、ここで潰れた。
だから、近づかない。
それが、生き延びる知恵だった。
なのに。
「……あれ」
群れの長――影に最も近い者は、鼻を震わせた。
倒れている“それ”は、大きい。
けれど、動かない。
壊れている。もうすぐ冷たくなるはずの肉だ。
だが。
においが、違う。
敵のにおいでも、獣のにおいでもない。
鉄と血の奥に、別のものがある。
――あたたかい。
長は、影の縁から半身を出した。
慎重に。いつでも戻れるように。
近づくほど、その感覚は強くなる。
触れられた記憶。
骨を戻され、筋を撫でられ、痛みが消えたときの――あの、静かな安心。
(……この手だ)
倒れたものの“掌”から、微かに流れてくる波。
群れが知っている、それ。
癒やし。
長は、迷わなかった。
「チュ」
短く鳴く。
それは命令であり、合図だった。
影から、仲間たちが現れる。
細いもの、欠けたもの、片目のもの。
踏まれ、追われ、生き残った者たち。
「運ぶ」
言葉ではない。
だが、意思は共有される。
重い。
人の身体は、信じられないほど重い。
それでも、群れは運んだ。
歯を立て、爪をかけ、影を足場にして。
途中、息が止まりかけたとき。
その瞬間、掌がわずかに動いた。
――撫でるように。
触れられた場所から、恐怖が消えた。
痛みも、焦りも、なくなった。
(……生きている)
確信が生まれる。
この“ひと”は、まだ癒やす。
壊れていても、折れていても、なお。
巣へ連れ帰ったあとも、長は見張った。
眠り、うなされ、血を吐くたびに、影を濃くする。
食べ物を集めた。
水を運んだ。
敵が来れば、影で知らせた。
なぜか。
理由は単純だ。
この掌は、奪わない。
踏み潰さない。
殺さない。
そして――
(このひとは、群れを見ている)
目が開いたとき。
恐怖ではなく、困惑だった。
嫌悪ではなく、理解だった。
だから。
助けた。
助けると決めた。
もしこの掌が、再び癒やすなら。
次は――
「チュ」
長は影に溶けながら、そう思った。
今度は、
こちらが守られる番だ、と。
拙い作品を読んでいただきありがとうございます。




