無才は群衆の中で
窓の外を鳥が群れを成して飛んでいた。
春の朝の柔らかな日差しを浴び、のびのびと空へ羽ばたいていく彼らの姿を見て、私の口元は自然と綻んだ。
可愛らしい小鳥も、もちろん好きだが、犬や猫、蝶にヤモリ、様々な生き物が、生き生きと生活している姿を見る事が好きだった。
「ミス・メアリー、聞いているのかね!」
私は心臓を跳ね上げながら、前を見た。
そこには、先ほどまで黒板に向かって熱心に教鞭を振るっていた中年男性の魔術教諭が立っていた。
白いローブを身に纏い、眼鏡のレンズを拭きながら、こちらを睨みつけている。
「魔術を行使するために最も大事なものは何かと聞いているのだ!」
「えっと、陣と詠唱。後、触媒です」
「全く違う!それは構成要素だ!落第予備軍が、話を聞いていないとは何事だ!貴様は、我が王国立魔術学園の生徒である誇りは無いのかね!」
「す、すみません・・・」
「廊下に立ってろ!」
「ちなみに正解は・・・」
「時間の無駄だ!後で他の者に聞いておけ!」
教諭は黒板に向き直り、薄くなり始めた頭皮を櫛で梳いた。
それを見た生徒たちはクスクスと笑い、教諭はしきりに舌打ちを打ち、無言で板書を書き始めた。
周りの態度や筆圧の強さを見て、なんとなく自分の立場を察した私は重い足取りで廊下へと向かった。
太陽が中天を指す頃、私は学園の裏庭の隅に建てられた、隣接する森に飲まれている東屋で、1人昼食を取る。
売店で購入したパンをかじると、思わず溜息をつきたくなった。
どこでも手に入るようなパンではあったが、故郷で食べたものと違い、どこか甘みが足りず、乾いた感じがしたからだ。
片田舎から王都へと上京して、大体1年と少し。
魔術師になりたくて、必死に勉強して最難関のこの学園に入学したまでは良かったけど、右も左も貴族様ばっかり。
入学までに家庭教師から魔術を教わっていた彼らを基準に授業が進むから、独学で勉強してきた私はいつも落第ギリギリだ。
もちろん。
自分の評判を気にする彼らが、私と友達になってくれるわけもなく、唯一の友達と言えば、東屋に集まって私のパンをせがむ小鳥たちだけだ。
「・・・友達だよね?」
私が話し始めると、小鳥たちは天変地異でも起きたのかと言わんばかりに驚いて、一斉に飛び去って行った。
とぼとぼと教室へ戻ると、何人かの同級生がクスクスと笑い始めた。
自分が笑われているようで、非常に居心地が悪かったが、すぐに鐘が鳴り、担任がホームルームをしに入ってきた。
そして、その後を続くようにもう一人、見慣れない女の子が入ってきた。
「朝に説明していた事だが、国教のポルポ枢機卿からの推薦で本学へ転入することになった転校生だ」
朝?そんな事話してただろうか。
今朝のホームルームで私が覚えている事と言えば、窓の外で冬眠から明けて眠たそうに眼をこすっているカエルを見つけた事。
話を聞いていない私が悪いってわけじゃない。
大抵、我が校自慢の教育理念や歴史と誇りについて、長々と話されることがほとんどで、私はまったくもって聞く気になれないのだ。
転校生は黒板に名前を書くと、こちらへ振り返り、明るい笑顔を見せた。
「レニ・マオイです!今日は遅刻してしまいましたが、これからよろしくお願いします!」
「本来であれば、朝から諸君らと共に授業を受けるはずだったが、なんと彼女は市街で発生した強盗事件をたった1人で解決へと導いていたのだ!枢機卿お墨付きの卓越した魔術で瞬時に犯人を拘束したと聞いている!本校の理念の体現者であり、誇りだ!よって、本日の遅刻は不問とする!諸君らも、彼女を見習い、勉学によく励むように!」
私は担任の話に興味を無くし、窓の外を眺め始める事にした。
今度は遠くの草むらで跳ね回るバッタが見え、その多さから、きっとさっき逃げた元友人達が、私があげ損ねた食事を探しているのだろうと思いを馳せてみた。
不貞腐れた様にその様子を見ていると、ふいに肩を叩かれた。
担任かもしれないと焦った私は、勢いよく後ろを振り返った。
そこには転校生が立っており、何故か隣の席には誰も座っていなかった。
「これからよろしくね!」
「このクラスで最も成績の悪いミス・メアリーは、彼女の隣で、立ち振る舞いをよく学ぶ様に!」
私は開いた口がふさがらず、他の生徒たちは、急な席替えに不満を募らせ、ひそひそと陰口を叩いていた。
昨日と打って変わって、曇天の空模様から1日は始まった。
「ミス・レニ。魔術師の素養は何かしら?」
「勤勉、忠誠心、清い心、そして何より、生まれ持った魔力量です。それは血筋で決まるとされていますが、突然、平民の中からも素養を持った者が生まれる事があり、因果関係の解明には至っていません」
「エクセレント!しっかりと勉強してきたのね、偉いわ!それに引き換え、ミス・メアリーはどこを見てるのですか!」
「初級の火魔術。ファイアボールを作って、あの的に当てなさい」
「フレイムランス!」
「ミス・レニ。その年で既に上級魔術を使える事は素晴らしいが、的は壊さない様に。ミス・メアリ―はもう少し大きな火球を作れるようになりなさい」
比較、比較、比較の嵐。
隣にいる優等生を物差しに、私は貶められ続けた。
それを見た周囲は、昨日の文句はどこへやら、目の前の新しい娯楽─転校生に質問したり、私の失態を見てケタケタと笑ったり─に夢中になっている。
窓の外の生き物を探す余裕すら奪われ、昼食時になる頃には、私の精神的な疲労は極限に達していた。
いつもの東屋で項垂れていると、血も涙もない元友人たちが、薄茶色の羽を羽ばたかせ、私の足元に集まり始めた。
「友達じゃないならあげないよ!」
腹いせに少し声を荒げてみたが、小鳥たちは何食わぬ顔でヒヨヒヨと催促の声を上げながら、足元を歩き回っている。
どうやら昨日の私が出した小声だけで、既に慣れてしまった様だ。
故郷にいたころ、彼らに手を焼かされたことを思い出す。
稲穂を食べてしまう彼らを追い払うため、長い棒を持って追いかけまわしたり、案山子を立てたり、無数の小さな火魔術で脅かして見せたり、様々な対策を講じたが、結局どれも最終的に慣れてしまい、対策案をルーティンで実施する他なかった。
彼らの適応能力は、本当にすごいと言わざるを得ない。
餌をくれない事を見越した小鳥たちは、1匹、また1匹と小さな羽を羽ばたかせ、飛んでいった。
『やっぱり友達じゃなかったな』と認識するとともに『明日は誰も来ないだろう』と思った。
腹が満たせないと1度学んだ彼らに、もしかしたら・・・などという2度目はない。
その生物としての逞しさが無ければ、到底自然界では生きていけない。
しかし、彼らのこういった行動を見ていると、自分が学園になじめず、こうして1人でご飯を食べているという適応能力の無さが惨めに思えてくる。
「私も適応出来ればな~」
「適応?」
突然茂みから顔を出した転校生に私は驚き、パンをのどに詰まらせ、激しくむせた。
背中をさすられ、謝罪を受けるが、整う呼吸とは裏腹に、心臓は麻縄で縛り付けられている様だった。
「な、ど、どうしてこんな所に・・・」
「ちょっと一人になりたいな~って人の少ない裏庭を散策してたんだ」
私はここに来る前の教室の状況を振り返る。
昼食時を告げる鐘の音が鳴ると、隣の席に人だかりができた。
皆、突然現れた優等生に興味津々という様子で、口々に、その知識、技能、出身、推薦など、様々な質問が飛び交っているのを横耳に聞いていた。
それを楽しそうな笑顔を浮かべながら、受け答えしている彼女も、横目に見ていた。
「み、皆さんとお話している方がいいんじゃ・・・」
「そうとも言い難くって。私もここでお昼食べていいかな、メアリーさん?」
名前、憶えてたんだ。
いや、あれだけ横でダメ出しされてる奴がいれば、嫌でも覚えるか。
「は、はい。どうぞ」
「ありがとう」
そう言うと、彼女は椅子に腰かけ、襟首からネックレスを取り出した。
槍と鍬が交差したモニュメントが取り付けられたそれを片手で握り、頭の上に掲げると、もう片方の手を胸に当てた。
そして長々と国教の主神へと祈りを捧げ始めた。
それは巷で広く行われている簡易的な食前の祈りではなく、正式な手順を踏んだ長ったらしい祈りだった。
「ね?一人じゃないと難しいでしょ」
「お、お祈りするからって言えば良かったのでは・・・?」
「平民出身者がお貴族様方に『お祈りの邪魔』なんて言えないって」
「平民出身?枢機卿の推薦だって・・・」
「・・・まぁ色々とあってね。そんな事より、聞いたけど、メアリーさんも平民出身なんでしょ?すごいね!ここってなかなか平民に門を開かないって有名らしいじゃん」
「いや、でも、いつも落第点で、マオイさんには到底・・・」
「レニでいいよ。そんな事ないって。教師の教え方が悪いんだよ。横で見てたけど、あれはひどいと思う」
そんな事を言われたのは初めてだった。
平民出身というだけで、成績不良者というだけで、差別されてきた私にとって、その優しさは胸に染み入った。
「だ・か・ら、私と一緒に勉強しない?苦しんでいる人は放っておけないよ」
「い、いえ!申し訳ないですよ・・・」
私は溢れそうな涙を拭い、震える声で、申し出を断った。
いくら彼女が平民出身とはいえ、枢機卿推薦で来た以上、それは貴族たちと身分にさほどの違いもない。
そんな人の足を引っ張ることになったらと思うと・・・
「どうしても駄目?」
「ご、ごめんなさい」
「どうしても?」
「な、なんでそこまで・・・」
「それはその・・・」
何やら彼女はモジモジと手を揉み、視線を彷徨わせ始めた。
私は何を話すのかと聞き耳を立て、立ちすくんだ。
私たちは黙り込んだ。枝葉のこすれる音や小鳥のさえずりが、私の耳にはよく聞こえた。
なかなか話し出さない彼女に気をもんでいると、雲に切れ目が出来たようで、東屋に陽光が降り注いだ。
暖かな日差しを見上げた彼女は、もう一度私に視線を向け、意を決した様に口を開いた。
「友達になりたくって」
「え」
「ほら同じ平民出身だし、他の人だと取り繕わないといけなくて息苦しいし、主の教えに反するのはいけない事だし─────────」
彼女は頬を赤くしながら、捲くし立て始めた。
完全無欠の優等生が、狼狽える姿に思わず私は吹き出してしまった。
だって、こんな私なんかに、そんな事を言うために、こんなに必死になってくれる人がいるなんて、とても嬉しい事じゃないか。
私はぎこちない身振りで手を伸ばし、彼女の提案を受け入れることにした。
その日を境に、私の境遇は一変した。
放課後、東屋に集まって勉強を教えてもらうようになってからというもの、成績は向上し、教師達からの叱責はなくなった。
一部、笑いのネタにできなくなった生徒たちから陰口を叩かれることはあったが、そんなことは些細な事だった。
問題が解ける、魔法が上手く扱える、日に日に自分で出来る事が増えていく。
私の日常はレニのおかげで、毎日どんどんと良くなる一方だった。
今日もいつも通り、放課後、東屋で集まって勉強していた。
今にも降り出しそうな雨模様の中、紙の上を筆が走る音は止まることなく、私たちは勉強に励んでいた。
「レニ~、ここってどの魔術式使えばいいの~」
「え~と、そこはね─────────」
季節は夏に差し掛かり、相変わらずレニには教えてもらってばかりだけど、ここ最近、勉強のコツみたいなのが分かってきた。
今ではレニが来れない日でも、1人で勉強を進めることが出来つつある。
着実に自分は変化しつつある。この学園に適応しつつある。
いつの日か、彼女に何か教えられる日が来るかもしれない。
・・・なんて、いつになるのか見当もつかないけれど。
そうなったらいいな。
真面目に問題集を説いてる彼女の顔を見ながら、私はそんな淡い妄想を浮かべてみる。
すると、こちらの視線に気づいた彼女と目が合った。
「どうしたの?」
「レニ、いつもありがとうって思ってたところ」
「何それ」
私たちはお互いの顔をじっと見つめた後、少し間置いて笑い合った。
なんて心地の良い瞬間だろう。いつまでも、この瞬間が続けばいいのに。
そう思っていると、ポツ、ポツポツと葉の上で雨粒が砕ける音が鳴り始めると、徐々にその雨足を強め、本格的に降り出し始めた。
私は雨除けの魔術を頭の中から探す。幸い、昨日レニから教えてもらっていたおかげで、ずぶ濡れで家に帰ることはなさそうだ。
なかなか頭の奥の方から出てこない知識を探して回っていると、見覚えのある1匹の小鳥が雨宿りにやってきた。
雨を払い、毛繕いし終えると、どうやら私という存在に気づいたようで、か細い声を上げながら、足元にすり寄ってきた。
いつの日かと同じように、友達のフリをして、餌がもらえる事を期待してるんだろう。
昔の私だったら、カバンの中にある食べきれなかったパンの端をちぎって渡していたのかもしれないけど、今の私は違う。
調子のいい彼にパンを恵んでなんか上げない。私だって、学習するんだから。
しかし、どこか様子が変だった。
足取りはおぼつかず、よく見ると羽根も毛羽立ち、線も細く見えた。
うつろに黒ずんだその瞳は、救いの手を待っているような雰囲気さえあった。
この辺りには、バッタや他の虫もたくさんいたはずだけど、もしこの子が、あの子たちとは違って、他の場所から飛んできた子で、この場所に上手く適応できてないのだとしたら・・・
「しっしっ!あっちいけ!」
私が心配し始めると、レニは足を使って、無慈悲にもその小鳥を東屋から追い出した。
私が飛び去って行く彼を見ながら、小さく声を上げる。
「どうしたの?」
「・・・ううん。雨、降ってるから、風邪ひかないかなって」
「別にいいじゃん」
冷たい声にだった。
彼女の喉から出た音とは思えず、私は驚き、彼女の顔を見ながら固まった。
「だってあれ、人が頑張って作った農作物食べるんだよ。主からの賜りものを何の努力もせず、横から奪っていく。最低だよ」
「そ、そこまで言わなくても・・・」
「でも”盗み”は悪でしょ。いずれ罰が下るよ。私のお母さんみたいにね・・・」
レニは暗い表情を浮かべながら、鳥が飛び去った方角を睨みつける。
私は彼女が持つ篤い信仰や魔術の技量、そして強い正義感の所以を察し、何も言い返すことが出来なかった。
重い空気が漂う中、次第に強くなる雨音が、やけに耳障りに感じた。
月日は流れ、秋の収穫祭を目前に控えたころだった。
下宿先で目が覚めた私は、先ずカーテンを開けた。
春の日差しとはまた違った味わいのある暖かな日差しを浴びながら、ぐっと背伸びをした。
すると、室内から可愛らしさえずりが聞こえてきた。
「おはよ~、ご飯はもうちょっと待っててね」
そこには穴の開いた籠に入れられた毛羽立った小鳥の姿があった。
あの日に助けられなかった小鳥が何故ここにいるかと言えば、私がその日の夜、学校に忍び込んでまで探し出し、保護したためだ。
あの時、過った考えがどうしても頭から離れず、昔の自分が重なって見えて放っておけなかった。
私は自分の身支度を整えながら、餌箱に餌を補給する。
すると、小鳥は遅い!とでも言わんばかりに、給餌したそばからバクバクと、貪り食い始めた。
私は最近、その姿が見れると、いつも安心している。
最初、稲や虫を与えていたけど食いつきがとにかく悪く、日に日に弱っていく姿に、随分とハラハラとさせられた。
色々試行錯誤の末、今では細かく切った果物をあげている。
果物に手を伸ばしたきっかけは、本当に偶然だった。
毎日、心配で籠に張り付いていると、この子はここら辺にいる子と比べて、嘴の形状に違いがある事に気づいた。
もしかしたら、いつも食べている物が食べやすいように、嘴の形状を合わせてたり?
そんな話、聞いたことないけど・・・とにかく今は、何でも試してみよう!
その思い付きのおかげで、この子は今こうして暴食に耽ることが出来ると言うわけだ。
「感謝してよね~」
私は籠を軽くつついてみるが、そんなことはお構いなしに、小鳥は餌箱に顔を突っ込んでいた。
「平民の癖に調子に乗るなよ!」
登校して早々に私は、同級生に人気の無い場所に呼び出され、脅迫を受けていた。
私を壁に追い込み、取り囲んだ面々の顔には見覚えがあった。
私より成績は良いものの、下から数えた方が早い人たちだった。
「お前のせいで、私達の成績が悪くなってるでしょ!」
しかし、それも去年までの話で、今では私より成績が下になっている。
どうやら私の成績が上がる事によって、成績順位が繰り下げられた事に怒っているらしい。
そんな事言われても、という感じだが、貴族様に楯突くわけにもいかない。
私は今まで通りに、ただじっとして、彼ら彼女らの気が済むまで、罵倒を浴びることにした。
「何してるの?」
同級生たちの肩の向こうを覗き込んでみると、レニがいた。
無邪気そうに微笑んでいるように見えるが、明らかに目が笑っていなかった。
「いや、別に、俺たちは・・・」
「何?」
「ただ少し話をしてただけよ!ね、メアリーさん」
「え」
「そう。話が済んだら、変わって欲しいんだけど」
「わ、わかったわ。ほら、みんな行きましょう」
どうやら枢機卿の威光というのは、落第の貴族子息たちには眩しすぎるらしい。
誰もレニには向かうことはせず、背を丸めて、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
息の詰まるような空気から解放された私は胸を撫でおろした。
そして同時に、レニの方も息を漏らして、緊張から解放されたようだった。
「緊張した~・・・」
「ありがとう、レニ」
「どういたしまして、って言いたいけど、情けない話、私の力じゃないよ」
「情けなくなんてない!レニはすごいよ」
謙遜するレニだったけれど、私だったら、例え枢機卿の後ろ盾があっても同じことが出来たとは思えない。
どれだけ成績がよくなろうが、そんな勇気を、正義感を、私は持ち合わせていない。
私がレニを褒めていると、1時限目の予鈴が鳴り響いた。
レニは照れたように笑いながら、私の方に掌を差し出した。
「ほら、行こう!」
彼女のマメの出来た綺麗な掌を見ながら、私は彼女と友達である事が誇らしく、そして嬉しく思えた。
私もいつかレニみたいに・・・
いや、レニを助けられる日が来るだろうか。
私たちは笑い合いながら手を取り合い、駆け足で教室へ向かった。
本日最後の授業の終鈴が鳴り響き、残すはホームルームだけとなった。
担任教師が入室し、いつも通り何か話始めるはずだ。
私はいつも通り話を聞かず、いち早く東屋へ向かう準備を進める。
「今から臨時の全校集会を行う。全員、講堂へ向かいなさい」
聞き流すつもりだったのに、あまりに予想外の発言に、耳が勝手に聞いてしまった。
こんな事今までなかった。
「なんだろうね?とりあえず、行こうか」
隣にいたレニは既に立ち上がっており、こちらに手を差し出していた。
私は嫌な予感がして、周りを見渡した。
生徒が1人また1人と立ち上がり、不思議そうな顔をしながら、講堂を目指し始めたようだった。
噂話が何より好きな貴族の子息たちでさえ把握していない事態が起こっている。
その事実に、私の予感は更に強くなった。
「ほら、立って。行こ?」
私はレニに手を取られ、椅子から引きはがされた。
情けない声が漏れ、レニは不思議そうに、こちらの顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「・・・ううん。なんでもない」
レニは私の手を引っ張り、講堂へと連れて行こうとする。
私はそれに抗わなかったし、レニも普段通りの態度だったと思う。
でもなんだか、いつもより強く握られているような感じがした。
講堂内はとても騒がしかった。
急遽集められた生徒たちは、何のために集められたのか、今から何が話されるのか、口々に話し合っている。
それを咎めるはずの教師も、お互いに顔を見合わせて、不思議そうな顔をしていた。
「静粛に!」
ステージに登り、拡声魔術で一喝したのは、めったに顔を見ない校長だった。
鋭い目つきで講堂を見渡すと、空気が張り詰め、すぐに静寂が訪れた。
「たった今、早馬にて王命が届いた!今から読み上げるので、傾聴するように!」
校長は、一つ咳払いすると、手に持っていたスクロールを広げ、内容を読み上げ始めた。
「王立魔術学園の全教員、および全生徒に告げる。今夏、東方に連なる山領の向こうから悪しき風が吹きすさび、本国の農作物は大きな打撃を被った。今冬の越冬は備蓄不足で過酷なものとなるだろう。まさしく我が国の危機である。そこで朕は考えた。農作物を食い荒らす害鳥を駆除すれば、収穫量を増やせる、と。諸君らには、農園にいる農作物を食べる盗人猛々しい害鳥達を駆除してもらう。魔術を用いて隠れた潜む畜生をあぶり出し、一匹残らず駆除せよ。本国の餓死者の数は、諸君らの健闘にかかっている。懸命に奉公せよ・・・以上である!閣員の持ち場については本日中に決定し、明日には出動してもらう!本校の誇りにかけて、全ての生き物を駆除するのだ!」
私は耳を疑った。
虫だって、農作物を食い荒らすのに、どうして鳥だけなんだ。
「な~んだ、大した事ないじゃん」
どこかから聞こえてきた声は、稀に開かれる行事にでも参加するような軽さを帯びていた。
それに続くように周りも、どの魔術を使うか相談し始める者、どうして俺たち貴族が畑仕事なんかを・・・と不満を漏らす者と、初めの喧騒が戻り始めた。
そうか。貴族様たちは、動植物の関係になんて興味がないから、事態の大変さが分からないんだ。
鳥は虫を食べる。だから、鳥だけ駆除すれば、虫を食べるものがいなくなって、来年には増えた虫が農作物を根こそぎ食べつくしてしまう。
そういうことがわからないんだ。王様もきっとにわか知識なんだろう。
とても不味い事になった。
なんとかして止めないと・・・
でも、私が王様なんかと会えるわけないし、そもそもここにいる人たちは、誰も私の話なんて聞かないだろうし・・・
私は俯き、必死に頭を動かすが、解決策は思いつかない。
呼吸が浅くなるのを感じる。嫌な汗が額に浮かび、周りの喧騒が遠く聞こえ始めた。
「よかった~」
そうだ。
レニなら、枢機卿を介して王様に連絡を取れるかもしれない。
それに加え、彼女は平民出身だし、事態の大変さもわかってるはずだ。
私は顔を上げ、レニに話しかけようとした。
しかし、話しかけられなかった。
レニは恍惚とした表情を浮かべ、歪に口の端を吊り上げながら、天を仰ぎ見ていた。
「やっぱり神様はちゃんと見てくれてるんだ」
「・・・レニ?」
「いつもいつも人が作ったものを盗むのに、いつになったら天罰が下るんだ。もしかしたら神様は人間を見放したのかもしれない、って思うこともあったけど、神様が私たちの信仰心を試してくれてたんだね」
講堂に差し込んだ夕日は、彼女を照らし出す。
首に下げていた教会の象徴を、両手で包み込み、どこにいる誰かを愛おしそうに眺めている。
その姿は見た私は、全身の毛が逆立つのを感じた。
「一時でも、あなたへの信仰が揺らいだ罪。奴らへの神罰の執行を持って、どうかお許しください」
「レ、レニ・・・」
「あ、ごめんごめん。今は祈ってる場合じゃなかった。明日、同じ場所だと良いね~」
「そうじゃなくて・・・」
「どうしたの?」
唾を飲み込む。
今、相談するべきだ。
レニならきっと聞いてくれるはずだ。
大丈夫。これはレニを助ける事でもあるんだから。
唇が震え、声が出ない。
でも、もし彼女に拒絶されたら?
レニが隣にいてくれるから、私は安全にこの学校で生活できている。
いなくなったら・・・
じっとこちらを見つめる彼女の視線から、私は逃れることが出来なかった。
喧騒は耳に入らず、射殺すよう視線に、頭が漂白されていく。
そんな時、レニの顔に影が落ちた。
窓の方を見ると、1羽の小鳥が窓枠にとまり、こちらを見下ろしていた。
その鳥を見た私は、真っ白な頭の中で、1つの言葉を想起していた。
適応。
そう。適応だ。
私はここで、この学校の中で生きていかなきゃいけない。
背中を押してくれた家族、高額な入学金を出してくれた故郷の皆のために、私は出世して、皆に恩返ししなきゃいけないんだ。
「ううん。なんだかお腹空いたなって」
「なにそれ。食いしん坊ってキャラじゃないでしょ~」
私は彼女に合わせて作り笑いを浮かべる。
敵じゃないよ。仲間だよ。だから、どこにもいかないでね。
そういうシグナルを出す。
「明日の事もあるし、今日のメアリーとの勉強会は無しかな」
「え~教えて欲しい事まだいっぱいあるのに~」
歩調も歩幅も綺麗に合わせ、廊下を連れ立って歩く。
上手くやれてるだろうか。
どこも変じゃないだろうか
怪しまれてないだろうか。
話す速さ、声のトーン、仕草、姿勢。
彼女のありとあらゆる事に、私自身を適応させていく。
「それじゃあ、また明日。寝不足厳禁だよ!なんせ一匹残らずの駆除なんだから!」
「もちろん、レニの方も寝不足厳禁だよ!バイバ~イ!」
そして最後に思考まで適応させ、校門でレニと別れた。
帰宅した私は籠を開け、小鳥を片手で包み込んだ。
窓をゆっくりと開けると、小鳥を空高く投げ放した。
小鳥はこちらを振り返ることなく、沈みゆく夕日に向かって飛び去って行く。
「・・・早く逃げろ~」
暫く眺めていると、どこからか飛んできた別の1羽が合流した。
お互いに、初めは距離感を模索していたが、少しすると平行になって飛び始めた。
私はその姿を直視することが出来なかった。
窓を閉め、しっかりと施錠する。
カーテンを閉め切り、壁にもたれかかる。
ずるずると背中を滑らせ、床に座り込むと、私は蹲った。
こんなのは適応じゃない。
ただ逃げただけだ。
でも、私にできる事はなにも無い。
誰も助けられない。誰も信じられない。誰も・・・
顔を覆う腕は濡れ、響いた嗚咽は暗い部屋の中に消えていった。