オープニング
(静寂。スタジオはまだ薄暗い。無数の光の粒子が漂う空間の中、一台の演台にスポットライトが当たっている。そこに立つのは、金の刺繍が施された黒のドレスを纏う、若き司会者・あすか。彼女は手元に置かれた、ガラス板のように透明な不思議なタブレット「クロノス」に指を滑らせている。その表情は真剣そのものだ)
あすか:「(カメラを真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし確信を込めて語りかける)国家の血液、それは『お金』。人間の体と同じように、その流れが滞れば国は病み、流れが速すぎれば熱に浮かされる…。歴史とは、この血液の流れ…『経済』を巡る、終わりなき闘争の記録なのかもしれません」
(あすかがクロノスにそっと触れる。すると、彼女の背後の空間に、世界大恐慌で食糧の配給に並ぶ人々のモノクロ映像、ハイパーインフレで価値を失った紙幣の山、そして現代のデジタル通貨を示すグラフィックなどが、次々と万華鏡のように映し出されては消えていく)
あすか:「ある者は、流れを加速させることで、冷え切った体を温めようとしました。またある者は、溢れ出しそうな奔流を必死に押しとどめ、堤防が決壊するのを防ごうとしました。そのどちらもが、自らの信じる『正義』のために戦ったのです」
(映像が収束し、あすかの瞳に強い光が宿る)
あすか:「もし、そんな彼らが時空を超え、今、この場所に集ったなら…。病める現代に、一体どんな処方箋を記すのでしょうか。さあ、物語の声を聞きましょう。今宵、歴史の扉が開きます」
(あすかがクロノスを両手で掲げると、スタジオ全体が眩い光に包まれる。重厚な音楽と共に、空間の中央に巨大なタイトルロゴが立体的に浮かび上がる)
タイトル:『歴史バトルロワイヤル』
【テーマ解説】
(光が収まると、スタジオの全貌が明らかになる。上手側には「希望」と「成長」を象徴する装飾、下手側には「規律」と「不変」を象徴する装飾が施された、コの字型のテーブルセット。中央に立つあすかは、にこやかに視聴者へと語りかける)
あすか:「皆様、こんばんは。物語の声を聞く案内人、あすかです。今宵の『歴史バトルロワイヤル』、テーマはこちらです」
(クロノスの操作に合わせ、全員の目の前のテーブルに文字が浮かび上がる)
テーマ:『「積極財政」と「金融緩和」の継続』は是か非か?
あすか:「国の家計簿は火の車…なんて言葉、よく耳にしますよね。国の借金を増やしてでも、減税や給付金で、今を生きる私たちの暮らしを良くするべきだ、という考え方。これが『積極財政』です。そして、市場に出回るお金の量を増やして、経済を活性化させようというのが『金融緩和』。特に、長く続いたデフレや、新型コロナのような未曽有の危機に際して、この二つは景気を回復させるための『特効薬』として使われてきました」
(あすかは少し表情を引き締め、言葉を続ける)
あすか:「しかし、その一方で、こんな声も聞こえてきます。『借金を未来の子供たちに押し付けるのか』『お金を刷りすぎれば、その価値が下がり、いずれは激しいインフレが人々を襲う』…。これは、いつの時代も国を預かる者を悩ませてきた、永遠の問い。今宵は、この難問に、歴史上、最も苛烈な決断を下した4名の皆様にお集まりいただきました」
【対談者、登場】
あすか:「それでは、ご紹介いたしましょう!時空の門『スターゲート』よ、開け!」
(あすかがクロノスを高く掲げると、スタジオの奥、巨大な円形のゲートが青白い光を放ち、渦を巻き始める。壮大な音楽と共に、最初の挑戦者を呼び込む)
あすか:「まずお一人目!貧しい足軽の家に生まれ、丁稚奉公からアメリカでは奴隷として売られ、ペルーでは銀山師に。波乱万丈の人生の果てに、ついには日本の総理大臣、そして大蔵大臣として、昭和恐慌という未曽有の国難に立ち向かった不屈の精神!減税、公共事業、そして日銀による国債直接引き受けという禁じ手で、世界に先駆けて日本をデフレの淵から救い出した、稀代の現実主義者!『ダルマ宰相』、高橋是清!」
(スターゲートから、和服姿の恰幅の良い老人が、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて現れる。彼は驚いたようにキョロキョロとスタジオを見回し、面白そうに目を細めている)
高橋是清:「ほう…こりゃあ、たまげた。なんだい、この派手なカラクリは。まるで横浜の活動写真みたいじゃのう。わしはてっきり、また地獄の釜の前にでも呼び出されたかと思ったわい」
(高橋は悠然と歩き、上手側の席に腰を下ろす。その飄々とした態度に、スタジオの空気が少し和む)
あすか:「(微笑みながら)地獄ではございません、高橋さん。あなたの知恵が必要なのです。…さあ、続いては海の向こう、アメリカから!こちらも凄まじいカリスマの登場です!」
(音楽が力強いマーチに変わる)
あすか:「名門の家に生まれ、若くして政界のスターダムを駆け上がるも、突如ポリオに冒され、車椅子での生活を余儀なくされる。しかし、その不屈の魂は、彼を史上唯一、4度もアメリカ大統領に選ばれるという前人未到の領域へと導きました!世界大恐慌という絶望の闇に、『我々が恐怖すべきは、恐怖そのものである』と国民を鼓舞し、『ニューディール政策』という超・積極財政でアメリカに希望の灯をともした、20世紀最高のリーダー!ミスター・ニューディール、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領!」
(スターゲートから、車椅子に乗った長身の男性が現れる。彼は困難など微塵も感じさせない、自信に満ちた笑顔を浮かべ、片手を上げてスタジオに応えている)
フランクリン・ルーズベルト:「(快活な声で)Myfriends,集まってくれてありがとう!素晴らしい夜になりそうだ!高橋サン、あなたのお噂はかねがね。一度、お話ししてみたかった!」
高橋是清:「(にこやかに)ほう、これはこれは、ルーズベルト大統領殿。あなた様のニューディールは、わしの政策を真似したと聞いておるが…さて、本当かのう?」
フランクリン・ルーズベルト:「ハッハッハ!面白いことをおっしゃる!インスピレーションは頂きましたが、規模と大胆さでは、我々の方が一枚上手だったと自負していますよ!」
(早くも火花の散る二人に、あすかは微笑みながらも、下手側へと視線を移す。音楽が、厳かで緊張感のある雅楽のような調べに変わる)
あすか:「お二人とも、その辺で。…さて、希望の政策を語るお二人に、この方が黙ってはいないでしょう。対するはこちら!『国家の信認』、ただその一つのために、その身を鬼と化した財政の番人!」
(スターゲートの光が、鋭い白に変わる)
あすか:「薩摩藩士として明治維新を戦い抜き、維新後は大蔵卿として、西南戦争後の猛烈なインフレと対峙。増税、緊縮財政、そしてデフレも厭わぬ徹底した紙幣整理で、国家財政を再建。日本銀行を創設し、近代日本の通貨制度の礎を築き上げました!その政策は『松方デフレ』と呼ばれ、多くの農民を苦しめたとも言われます。しかし、彼なくして、近代国家日本の安定はなかった!財政の鬼!松方正義!」
(スターゲートから現れたのは、硬い表情をした、威厳のある和服の男性。彼はスタジオの華やかな装飾には目もくれず、射るような鋭い視線で、高橋とルーズベルトを睨みつけている)
松方正義:「……ふん。浮ついた空気よ。まるで祭りの前夜じゃな。国の財政を、そのようなお祭り騒ぎの如く語る輩がおるから、国は傾くのだ」
(松方は一言だけ吐き捨てると、音も立てずに下手側の席に着席する。その場の空気が一気に引き締まる。高橋は困ったように眉を下げ、ルーズベルトは面白そうに口角を上げる)
あすか:「(背筋を伸ばし)…心してお聞かせいただきましょう。そして、最後にご登場いただくのは、もはや『歴史』そのもの。全ての経済論争は、この方の手のひらの上で踊っているのかもしれません」
(音楽が、静かで荘厳なパイプオルガンの音色に変わる)
あすか:「18世紀スコットランドに生まれ、グラスゴー大学で教鞭をとった道徳哲学者。主著『国富論』の中で、人々が自らの利益を追求する行動が、あたかも『神の見えざる手』に導かれるように、結果として社会全体の富を増大させると喝破。政府の過剰な介入を批判し、自由な市場経済の基礎を築きました。経済学をサイエンスへと昇華させた、近代経済学の父!アダム・スミス先生!」
(スターゲートから、質素だが仕立ての良い18世紀のフロックコートに身を包んだ、知的な風貌の男性が静かに現れる。彼は驚くでもなく、怖じるでもなく、ただ好奇心に満ちた目で周囲を観察し、ゆっくりと松方の隣の席に着いた)
アダム・スミス:「(落ち着いた声で)ふむ…。これはまた、興味深い。時空を超えて、異なる時代の為政者と言葉を交わす機会が得られるとは。私の理論が、後世にどのような影響を与えたのか…ぜひ、皆様から直接お伺りしたいものですな」
松方正義:「(スミスを一瞥し)スミス殿、か。貴殿の書物は読んだ。筋の通った見事な論理。じゃが、現実の市場は、もっと汚れて混沌としておるわ」
アダム・スミス:「(穏やかに頷き)ええ、存じておりますよ、松方殿。だからこそ、その混沌の中に、ある種の『秩序』を見出すのが、我々哲学の徒の仕事なのです」
(4人の巨人が、ついにテーブルを挟んで対峙した。積極財政派の高橋とルーズベルト。緊縮財政派の松方とスミス。その間に流れる緊張感を、あすかの声が切り裂く)
【ファースト・クエスチョン】
あすか:「皆様、ようこそお越しくださいました。『歴史バトルロワイヤル』へ。今宵は、時間の許す限り、皆様の信念と哲学をぶつけ合っていただきます。…では、最初の質問に参りましょう。非常にシンプルですが、だからこそ、皆様の本質が表れる問いです」
(あすかは、4人の目を一人ずつ、真っ直ぐに見つめて問いかける)
あすか:「皆様にとって、国家が扱う『カネ』とは、一体、何ですか?」
(静寂。最初に口を開いたのは、高橋是清だった)
高橋是清:「(少し考えるように天井を見上げ)…そうさのう。わしにとってカネとは、『民を温めるための風呂の薪』じゃな。風呂が冷え切っておれば、民は凍えて風邪をひいてしまう。そこへ景気よく薪をくべて、湯を沸かしてやるのが政治の仕事。もちろん、沸かしすぎて火傷をさせてはいかん。薪が燃え尽きる前に、民が自らの体温で温まれるようにしてやるのが肝心じゃが…まずは、薪をくべにゃあ、話が始まらん」
(経験に裏打ちされた、温かい言葉。ルーズベルトが力強く頷く)
フランクリン・ルーズベルト:「素晴らしい喩えだ、高橋サン!私に言わせれば、カネとは『未来を建設するためのエンジンオイル』だ。大恐慌で、アメリカという巨大なエンジンは錆びつき、止まってしまった。我々はそこに、政府という『見える手』で、オイルを注ぎ込み、無理やりにでもエンジンを再始動させた。オイルがなければ、未来へ向かう車は一歩も前に進めないじゃないか!」
(希望に満ちた力強い言葉。しかし、その言葉を遮るように、冷たい声が響く)
松方正義:「…戯言を。二人とも、根本がまるで分かっておらん」
(松方は、高橋とルーズベルトを交互に睨みつけ、断言する)
松方正義:「カネとは、『国家の信認を映し出す鏡』に他ならぬ。鏡が曇り、歪んでおれば、誰がその国を信じるか。誰がその国と商いをするか。薪だのオイルだのと、安易にその量を操作すれば、鏡は輝きを失い、そこに映るのは、ただ醜く歪んだ国の姿だけぞ。民が凍えようが、エンジンが錆びつこうが、まずはその鏡を命懸けで磨き上げることこそが、国家の礎を築くということじゃ!」
(国家の威信を背負った、鋼のような言葉。スタジオに緊張が走る。最後に、あすかは静かに座っているアダム・スミスに視線を送る)
あすか:「スミス先生、あなたにとって、『カネ』とは?」
(スミスは、初めてゆっくりと顔を上げ、三人の為政者を見渡してから、静かに、しかし核心を突くように語り始めた)
アダム・スミス:「皆様、素晴らしい定義です。ですが、私に言わせれば、カネ…すなわち貨幣とは、『価値を交換するための、ただの便利な道具』です。それ以上でも、それ以下でもありません。薪やオイルのように、それ自体が熱や力を持つわけではない。鏡のように、それ自体に価値が宿っているわけでもない。人々が生産した『富』を、円滑に交換するための潤滑油に過ぎないのです」
(スミスは言葉を切り、諭すように続ける)
アダム・スミス:「問題なのは、道具であるはずのカネを、人々が目的そのものであるかのように錯覚してしまうことです。為政者の皆様が議論すべきは、道具であるカネの量ではなく、それによって交換されるべき『国富』そのものを、いかにして増大させるか…ではないのでしょうか?」
(哲学者の根源的な問い。それは、他の三人の為政者の思想そのものを、揺さぶる一言だった。高橋は腕を組み「うぅむ」と唸り、ルーズベルトは興味深そうに眉を上げ、松方は「…机上の空論よ」と吐き捨てる)
あすか:「(4人の間に走る緊張と知的な興奮を感じ取りながら)…ありがとうございます。薪、エンジンオイル、鏡、そして、ただの道具…。物語は、始まったばかりです。歴史バトルロワイヤル、最初のラウンドのゴングは、もうすぐそこまで来ています」