黒猫と見えざる射手 8
西の地平へと太陽が沈み、茜色に染まった空は次第に夜の色を帯びていく。
宵闇に包まれる現実の空に逆らうかのように、空を模した大広間は青い色を湛えていた。
「いったい何のつもりなのエドワーズ、こんな所に私を呼び出して・・・」
「な、何を言っているんだ姉さん、僕を呼び出したのは姉さんの方じゃないか」
「あらあら・・・まあまあ」
蒼空の間に集まった3名がそれぞれに困惑の表情を浮かべていた。
それぞれに身に覚えのない呼び出し・・・それらは全て私達の企てだ。
「エリーザ様、エドワーズ様から言伝です、夕食の前に蒼空の間に来て欲しいと」
「エドワーズが?あの子ったら何の用かしら?直接伝えれば良いものを・・・」
「さぁ・・・私はそれだけしか伺っておりませんので・・・では失礼します」
まずはエドワーズ様の名前を使って、エリーザ様を蒼空の間に呼び出した。
奇しくもそれは、昨夜のエリック様を再現するかのように。
次にエリーザ様の名前でエドワーズ様を・・・そしてエマリー様も・・・
「あらあら・・・いったい何が始まるのかしら?」
「さぁ・・・私はそれだけしか・・・」
「うふふ・・・面白そうだから、そういう事にしておいてあげるわね」
・・・エマリー様は騙せなかった。
この方は妙に勘が鋭い・・・あるいは私に何かミスがあったのかも知れない。
しかしこちらの意図を察してか、こうして蒼空の間には来てくれたようだ。
「申し訳ありません、お義兄様、お義姉様・・・ここに皆様をお呼びしたのは私です」
広い蒼空の間に、凛とした声が響く。
天井の蒼空から現れたかのような青い洋服を身に纏った義妹の姿に、兄姉達の視線が集まった。
「君は・・・父さんの隠し子の・・・ええとたしか、アーステール・・・」
「いったい何のつもりよ? 遊びの相手ならソアレにでも・・・」
どうやら子供の悪戯と思われてしまったらしく、エリーザ様は面倒くさそうな顔を見せた。
エドワーズ様もこの状況が飲み込めずに困惑している。
ただ1人、エマリー様はにこやかな笑顔を見せているけれど・・・その笑顔の下で何を考えているのかは私達にもわからない。
「まあまあ、お姉様・・・話だけでも聞いてあげても良いのではないかしら?」
「エマリー・・・まさか貴女まで一緒になってこんな茶番を・・・」
「まさか・・・せっかくかわいい義妹が出来たのですもの、仲良くしたいと思っただけですわ・・・ね?」
「もう・・・仕方ないわね、話を聞くだけよ?」
「・・・ありがとうございます」
エマリー様の口添えのおかげで、エリーザ様も話を聞く気になってくれたようだ。
アーステール様が恭しく頭を下げるのに合わせて、私もその隣へと歩みを進めた。
「お話の前に、私から皆様に謝罪させてください」
「ソアレ?お兄様の事ならもう話は・・・」
「違います、私は本当に何もやってはいません!・・・今からする話はそれを証明する事になると思います」
失礼を承知でエリーザ様の言葉を遮った。
今ならば・・・真実を知った今ならば、自信を持って言える事がある。
「もしそれが本当ならば、いったい何を謝罪すると・・・」
「まずは昨夜、私とエリーザ様がここに来た時に・・・部屋には鍵が掛かっていなかった事を伝えそびれてしまった事・・・」
「?!」
「そ、それは本当かい?・・・それだと姉さんが嘘を・・・」
「本当よ、鍵は掛かっていたわ!ソアレ、いったい何を言っているの?!」
私の言葉にエリーザ様が怒りを露にした。
それも当然の反応・・・もしあの時嘘をついていたとなると、エリーザ様に疑いが掛かってしまうのだから。
「落ち着いてください、エリーザ様も嘘はついていないと思います」
「どういう事?!」
「最初にエリーザ様がここに訪れた時、鍵が掛かっていた・・・そして私を連れて戻るまでの間に鍵が開いた・・・それで矛盾はしないと思います」
「何者かが・・・鍵を開けた?・・・では、兄さんを殺した犯人が他に?」
「はい、それを・・・」
「それを今からお義兄様、お義姉様方にお話しさせて頂こうと思います」
アーステール様が私の言葉を引き継いだ。
ここから先は主役たる彼女の出番だ・・・アーステール様が前に出るのに合わせて、私は壁際まで下がった。
「まずはこちらをご確認ください」
「これは・・・」
そう言ってアーステール様が開いて見せたのは、昨晩に私が見せて貰った遺言書だった。
「先月、私の家に届けられた物です・・・お父さ・・・亡くなられた先のご当主が書かれた物に間違いはありませんか?」
エドワーズ様はご自分の物と思しき遺言書を取り出すと、その二枚を見比べた。
「間違いない・・・同じ筆跡だ・・・」
「まあ・・・本当に同じ物だわ」
「そんなことって・・・嘘でしょう・・・なら遺言は、遺産は本当に・・・」
エリーザ様が両手で顔を覆った。
遺言は不正な使い込みを隠す為に兄がでっち上げた嘘・・・本気でそう信じていたに違いない。
そして気付いたはずだ、アーステール様が今、遺言書の確認を取った事の意味を。
「もしこれが本物であるならば・・・私にもその遺産を手にする権利がある、そう思っても良いのかしら?」
「・・・!」
アーステール様の視線が兄姉達を射竦めた。
幼い少女を前に、大の大人達が恐れすら感じている・・・ここでその権利を認める事が何を意味するのか・・・気付かないわけがない。
「そ、それは・・・いや、しかし・・・」
エドワーズ様が返答に窮するのも仕方ない。
それがかなりの金額である事は簡単に想像出来る事だろう。
伯爵家の財政状況も芳しくない中、旦那様の遺産を当てにしていない者などいるはずもないが・・・
「・・・私は認めるわ」
「エリーザ姉さん?!」
意外な事に、最初に認めたのはエリーザ様だった。
その表情から、心中が穏やかでない事は察して余りあるけれど。
それでも彼女は、意を決するようにアーステール様を見据えると・・・気丈に笑みさえも浮かべて見せた。
「どの道、遺言を信じていなかった私に資格なんてないもの・・・謎を解き明かした者に権利を認めるべきよ」
「まあお姉様ったら・・・随分と潔いのね」
「・・・エマリー、そう言う貴女はどうなの?」
「あらあら、私ならとっくに・・・かわいい義妹と仲良くしたい・・・そう言ったはずだけど?」
「・・・姉さん達がそれで良いなら、僕も異論はない・・・権利を認めるよ、アーステール」
伯爵家全員の言質が取られた。
一族の総意を得られ・・・アーステール様に相続の権利が認められた瞬間。
それは同時にアーステール様を伯爵家の一員として正式に認める事でもあり・・・
「お兄様、お姉様、ありがとうございます・・・それでは」
感謝の言葉と共に兄姉へ深々と頭を下げ、アーステール様は言葉を続けた。
まだ話は終わっていない・・・むしろここからが本題なのだから。
「それでは『見えざる射手』を皆様のお目にかけます・・・ソアレさん」
「はい」
アーステール様の指示に従い、私は壁に埋め込まれた大きな時計・・・その針を動かす。
「『12の星の光』が汝らの道標とならん・・・この12とは時刻の事」
6時にあった針が人の手で、強制的に時を刻んでいく・・・
やがて2本の時計の針が真上を指して・・・ぴったりと重なった。
この時計にはエリック様の返り血がかかっていた。
それは即ち、エリック様の死亡時刻を表す事が出来るということ。
こうして時刻を合わせるとそれがはっきりわかる・・・重なり合った針の陰になった部分にだけ、返り血がかかっていない。
「これから先は何が起きても、決してその場から動かないようにお願いします・・・『見えざる射手』に命を刈取られてしまわぬように」
アーステール様が警告する声を背に聞きながら、手筈通りに部屋の灯を消して回る。
昨夜と同じように、部屋の中が暗闇に包まれていく。
ただ一点違うのは、月の光の差し込む角度・・・まだ浅い時間なので月の位置は低い。
天井の窓から差し込む光は昨夜とは大きく角度を違えていた。
「星の光とは天井から差し込むこの光の事・・・」
その光へと近付きながら、アーステール様は手鏡を取り出した。
天井から伸びる光の筋へと手鏡をかざして、あるべき位置へと光を反射させる。
それはあの壁に走る溝の中心点・・・それこそが昨夜12時に照らされた場所だった。