黒猫と見えざる射手 7
そして翌日・・・
「その手首の傷・・・ソアレ、貴女まさか?! ダメよ、いくら罪の意識に苛まれたからって自殺なんて・・・」
「エリーザ様・・・その・・・これは、猫に引っ掻かれまして・・・」
「・・・え」
ざっくりとやられた手首の引っ掻き傷は、さながらリストカットのように見えてしまったらしい。
誤解を招かぬよう包帯を巻いて傷を隠し、皆様に朝食を運ぶ。
エドワーズ様も、エマリー様も、相変わらず私に同情的で、優しい声を掛けてくださる。
でも・・・
働きながらも私は屋敷の一点を、蒼空の間の真下・・・その隠し部屋を意識せずにはいられなかった。
今もあそこに犯人が潜んでいるのだろうか・・・ひょっとしたら、隙を見て逃げてしまったかも知れない。
焦る気持ちを堪えつつも、つい早歩きになってしまう。
皆様の朝食は運び終えた・・・残るはアーステール様の分だけ。
コンコン…ガチャ
ノックをすると、すぐに内側から扉が開かれた。
「ソアレさん、遅いわ」
「申し訳ありません」
私の顔を見るなりアーステール様は不機嫌そうに唇を尖らせた。
これでも急いだつもりだったのだけど・・・きっとアーステール様も犯人の事が気にな・・・
「うん、美味しそうな匂い・・・早く食べましょう」
「え・・・」
「仕掛けを動かす時に力仕事になるかも知れないわ、しっかり食べないと・・・はい、ソアレさんの分」
「あ・・・ありがとうございます」
仕掛けを・・・動かす?
蒼空の間の隠し通路の事だろうけど、ひょっとしてもう見当が・・・そう言えば昨夜、何かを言いかけていたような。
「ん、美味し・・・」
チーズたっぷりのパンを夢中で頬張るアーステール様。
どろりとチーズが垂れて床に落ちそうになるのを、もうひとつのパンでキャッチした。
ふぅ・・・危うく余計な仕事が増えてしまう所だった。
「お行儀が悪いですよ、アーステール様」
「ごめんなさーい」
謝りつつもアーステール様には悪びれる様子がない。
皆様の前だとあんなに完璧な礼儀作法を見せるというのに、今朝はパンを食べるのにも・・・あ、美味しい。
濃厚なチーズの中に細かく刻まれた燻製肉が隠されていて、肉の旨味を吸いこんだパンがふんわりと口の中でとろけていく。
さすがは王宮の料理人、でもこれなら私にも多少は真似出来るかも・・・
おそらく重要なのは燻煙の際の香草、燻製の香りがチーズの臭みをうまく中和しているんだ・・・
「・・・ソアレさん?」
「あ、ごめんなさい・・・この料理の味付けが気になってしまって・・・」
「ソアレさんは料理も出来るの?」
「少しだけ・・・ですけど・・・」
「へぇ・・・そうなんだ」
アーステール様は何かを期待するような、キラキラとした目で私を見てくる。
料理と言っても、とても貴族の方にお出し出来るような代物ではないのだけど・・・
何か妙なプレッシャーを感じながらパンを食べ終えると、いよいよ私達は蒼空の間の探索へと向かった。
「・・・エリック様」
エリック様のご遺体は未だ室内に残されていた。
エドワーズ様のものと思われるハンカチで断末魔の表情は隠されているものの、昨夜の光景はしっかりと私の記憶に焼き付いてしまっていた。
今朝エリーザ様から伺った限りでは、家名の恥とならぬように事故死にでも偽装する予定だとか。
この遺体と私の処遇に加えて、当主の引継ぎや領地の経営など・・・山積みとなった問題を対処する為に、今日も親族の皆様で話し合いが行われている最中だ。
やはり昼間となると部屋の中はだいぶ明るい。
昨夜は暗くてよく見えなかった部分も、しっかりと調べる事が出来そうだ。
例の返り血がしみ込んだ溝も、すぐに見付ける事が出来た。
血はすっかり乾いて固まってしまっているけれど、目を凝らすと細い筋のような溝が続いているのが見える。
「この溝の部分が隠し通路になっているんですよね?」
「ええ・・・そうね・・・」
「後は隠し通路を開く仕掛けがどこにあるのか・・・ええと、たしか『12の・・・」
「『12の星の光』が汝らの道標とならん・・・」
スラスラと、まるで呪文のように・・・アーステール様が遺言書の一節を口ずさむ。
その視線はまるで空の星を探すかのように、青空を模した部屋の天井を見つめていた。
ひょっとしたら、このどこかに星でも描かれているのだろうか・・・私も見上げてみるけれど、それらしき物は見当たらない。
「12の星、かぁ・・・」
口に出してみても何の閃きを得られる事もなく・・・
もしもこれが『11の星』であったなら・・・星座の描かれた11の客室が思い浮かぶのだけど。
私が見る限りは、あの壁の溝の他に手掛かりと言えそうなものは見つからない・・・けれど、アーステール様ならきっと何かを・・・
そう思って彼女の方を見ると、先程と変わらぬ位置でまだ天井を見つめていた。
やはりこの天井に何かが?
しかしアーステール様はこの広い天井を見回すのではなく、ただじっと一点を見つめていた。
やがてアーステール様は眩しそうにその目を細めて・・・いや、あれは本当に・・・そう、窓だ。
天井に開けられた小さな窓・・・そういえば昨夜もあそこから月の光が差し込んできていた。
そして今・・・昇って来た日の光がそこから室内へ、アーステール様の元へと差し込んできていた。
「・・・ソアレさん」
「は、はい・・・」
アーステール様が口を開いた・・・やはり何かを見つけたのだろうか。
やはり窓から差し込むこの光が?・・・期待に胸を膨らませ、その次の言葉を待つ。
しかし・・・そこに続いた言葉は私の予想外のものだった。
「厚手の毛布と・・・そうね、手鏡を取って来て貰えるかしら?」
「えっ?」
毛布と手鏡? なぜ急にそんな物を・・・
「なるべく早く、すぐに必要なの・・・お願い」
「は、はい・・・お持ちします!」
必死に懇願するアーステール様に気圧されて、私は部屋を飛び出した。
たしかに最近は少し冷えてきたかも知れない。
それに・・・もしかしたら、昨夜の夜ふかしが原因で、体調を崩されてしまったのかも・・・
毛布に加えて、手鏡というのが少し引っ掛かるものの・・・別に探すのが難しい物じゃない。
どちらもこの屋敷においては、比較的ありふれた物だ。
毛布・・・厚手の物ならば倉庫に、手鏡は客室に・・・それらを抱えて私は様の元へと走った。
「はぁはぁ・・・アーステール様、毛布と手鏡・・・お持ちしました」
「良かった、ちょうどいいタイミングよ」
息を切らしながら蒼空の間に駆け込むと、壁に埋め込まれた時計を眺めながら、アーステール様が微笑んだ。
そして毛布と手鏡と受け取ると、左右それぞれの手に携えて・・・
・・・そして私は目撃する事になった。
『見えざる射手』・・・その姿を。




