黒猫と見えざる射手 6
「「『見えざる射手』・・・」」
綺麗に重なったその言葉に、私達は顔を見合わせた。
しかしその顔に浮かんだ表情はきっと正反対だ。
漠然とその単語が浮かんだだけで何ひとつわかっていない私に比べて・・・アーステール様はなにかを確信したような、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「そう・・・『見えざる射手』・・・きっとそれこそが本当の犯人だわ」
「え・・・」
『見えざる射手』・・・それは伝説上の刺客。
その姿を誰にも見られる事なく、数多くの標的を殺した暗殺者の通称だ。
実は人ではなく、冥界の神が遣わした死神だという話もあり・・・それだとされるものが神話の一部に残されている。
正体は定かではないけれど、末裔を自称した殺人者の話などは私も耳にする事があった。
様々な武器を使いこなすと云うが、毒などは用いる事無く・・・主な手口はエリック様と同じように心臓を一突きにしたものが多い。
まるでその者の影から這い出るかのように現れ、正確に心臓を刺し貫く・・・とか。
そんな死神が実在して、今この屋敷に潜んでいるとはとても信じられないけど・・・今はそれよりも。
『本当の犯人』・・・確かに今、アーステール様はそう言ったはず・・・決して私の聞き間違えなんかじゃなく。
アーステール様は壁に触れそうなほど顔を近付けて、そこに刻まれた溝を調べていた。
「あの・・・アーステール様は私を疑・・・」
「うーん、こう暗くてはダメね」
「はい?」
「こんな小さな灯じゃよく見えないわ、いちいち影もかかってしまうし」
アーステール様は憎々しげに手元のランタンを見ながら愚痴をこぼした。
壁の細かい溝を調べるのには部屋の明かりは充分とは言えず、ランタンで照らしながら・・・というのも限界があるようだ。
こういった作業をするならもっと明るい時間の・・・と、時計の針を見るともう3時を過ぎており・・・
「アーステール様、そろそろお部屋に戻られては・・・」
「そうね、ソアレさんには相談したい事もあるし・・・おいでサフィール」
「にゃー」
アーステール様の呼ぶ声に応じて、サフィールがその腕の中に納まる。
腕の中からこぼれた黒い尻尾がぴょこぴょこと動いて・・・ちょっと触りたい。
そう思った瞬間サフィールは姿勢を変えて、尻尾は引っ込められてしまった。
「さぁ、行きましょう」
「はい・・・」
アーステール様に促されるまま、その後に続いて歩く。
先程サフィールを探し回って道を覚えたのか、アーステール様の歩みに迷いは見られない。
小柄な割に結構足早に進むので、後を追うのが大変なくらいだった。
「さ、そこに座って」
「あの、別に私は立ったままでも・・・」
「ダメよ、内緒の話をするんだから」
部屋に戻ると私は半ば強引にベッドの上に座らされてしまった。
更にベッドにはランタンと羊皮紙が置かれた、かと思えば・・・上から毛布を被せられた。
「あ、危ないです!もしランタンの火が・・・」
「私達が気を付けていれば大丈夫、それより早く始めましょう」
「始めるって何を・・・」
「・・・それはもちろん、謎解きよ」
毛布によって小さなテントのようになったベッドの上で。
私達2人は、互いの持つ情報を確認する。
「まずはお父様の遺言について、ソアレさんは何も聞かされていないのよね?」
「はい、夕食のときにエリーザ様が何か言っていたのを聞いたくらいです」
「じゃあ見て貰わないとね」
そう言ってアーステール様は一枚の紙を広げて見せた。
そこには詩のようなものが書かれており・・・
「アーステール様、ひょっとして、これは・・・」
「そう、これがお父様の遺した遺言書」
「え・・・」
これが・・・旦那様の書かれた、遺言・・・書?
その内容を見て、私は首を傾げてしまった。
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我が財の一端を『蒼空を写せし館』に遺す
欲する者は『見えざる射手』を追い求めよ
『12の星の光』が汝らの道標とならん
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私も遺言書というものは初めて見たけれど・・・
たしか遺産を誰にどれだけ与える、とかそういう内容が書かれたもののはず。
これではエリーザ様がまともに取り合わないわけだ、こんな文面では意味が解らない。
「遺言が謎解きになってるのはお父様の趣味よ、お母さんの趣味でもあるんだけど・・・」
「趣味・・・ですか・・・」
「ええ、二人とも推理小説の愛好家だったんだって・・・よく二人で謎を出し合ったりしてた、ってお母さんが言ってたわ」
旦那様にそんな趣味が・・・そう言われてみれば、たしかに思い当たる所はあった。
書斎にあった物騒なタイトルの書物・・・あれらは推理小説なのだろう。
だとすればアーステール様のお母様は、旦那様が戯れに手を掛けた若い愛人ではなく・・・共通の趣味を楽しむ、もっと親しい間柄だった・・・という事なのか。
「この遺言はその続き・・・きっとお母さんに充てた最後の謎かけだって、私は思ってる」
そう語るアーステール様を見て、私は気付いた。
この子はその為にここに来たのだ・・・亡き母に代わって、この最後の謎を解き明かす為だけに。
旦那様とこの子の母との間にどんな物語があったのか、ただの使用人に過ぎない私に推し量る事など出来ない。
けれど今、こうして真剣な眼差しで謎に挑む彼女を見て、その助けになりたい・・・自然とそんな風に思っていた。
もちろん、自分の疑いを晴らすという目的もあるんだけれど・・・
アーステール様の小さな手には、そのサイズに合わせて造られたかのような小振りのペンが握られていた。
「『蒼空を写せし館』は、この屋敷の事で間違いないかしら?」
「それはわかりかねますが・・・この屋敷には『蒼空の間』というお部屋があります・・・私達が先程までいた、あの・・・」
「そう・・・確証ではないけれど、充分ね」
私の言葉を聞いてアーステール様の目が細められる・・・この少女の瞳には、私に見えない何かが見えているのだろうか。
続いて彼女は羊皮紙の上にペンを走らせ、絵のようなものを描いていく・・・
多数の直線で構成された、いくつかの四角形が組み合わさるその形・・・それがこの屋敷の地図である事に気付くのに時間は掛からなかった。
「蒼空の間と、11の星座の間・・・他の部屋の事が知りたいわ」
「この辺りは使用人用の区画です、今は私の部屋しか使われていなくて・・・」
自分でも驚く程スラスラと言葉が出ていた。
調理場、浴室、倉庫・・・いつの間に調べたのか、すごく正確に描かれたそれらについて・・・私の知っている範囲で包み隠すことなく。
今日出会ったばかりの得体の知れない少女相手に、お屋敷の情報の全てを・・・この屋敷を預かった身としては、それは軽率な事なのかも知れない。
でも今・・・こうして彼女と2人、毛布に隠れて内緒の話をするのはとても・・・楽しい。
そうだ、楽しい・・・すごくわくわくする。
いったいこれから何が起きるのか、この少女は次に何を私に見せてくれるのか。
容疑者という自分の置かれた状況など忘れて、私は今・・・この謎解きを楽しんでいた。
「じゃあ・・・ここは?」
「え・・・そこには何も・・・」
最後にアーステール様が差し示した場所は・・・何もない場所。
そこには何もないはずなのに、その場所は部屋のように区切られて描かれていた。
「そう・・・入り口も何もない、壁があるだけの場所・・・でもこうして描くと部屋1つ分の大きさがある」
「・・・!」
そういった部屋の存在を、私も耳にした事はあった。
貴族の屋敷には付き物とされ、物語においては定番のように多く見かけられる。
かくいう私自身、ここに勤め始めた頃はその存在を疑った時もあったけれど、実際にはそんなものは見つからず・・・
「しかもこの場所・・・ちょうど真上が・・・」
「『蒼空の間』?!」
あの壁に刻まれた溝が、否応なく思い出される。
階下へと続く隠し通路があの場所に?!
屋敷に隠された隠し部屋・・・あのエリック様を殺した本当の犯人・・・『見えざる射手』が、そこへ身を隠している?!
「ただの偶然とは思えないわ、あの部屋には隠し通路が・・・それを開く為の仕掛けがある」
「仕掛けが・・・でもそれは、どこに・・・」
「それはね・・・・・・」
「ご、ごくり・・・」
「・・・」
「?」
「・・・」
「あの・・・アーステール様?」
一向に返事のない様に手を伸ばした瞬間・・・彼女はベッドに倒れ込んでしまった。
「すぅ・・・」
毛布のテント内に小さな吐息の音だけが規則的に・・・
その毛布も様が倒れた事でテントの形を成さなくなって・・・
「あ、危ない・・・」
慌ててランタンを隣のサイドテーブルに避ける。
危うく火事になってしまう所だった。
「にゃあ」
ベッドの上で丸くなったアーステール様の元へ、その隣に寄り添うようにしてサフィールが丸くなる。
飼い主が眠るまで待っていたのか、律儀な子だ。
ひと抱えほどの黒い毛玉は、程なくしてその主と同じように寝息を立てた。
(・・・サフィールがいれば暖かいもん)
ふとアーステール様の言葉が思い出された。
丸くなって眠るサフィールの姿は、とても安心しきっていて、無防備で・・・
「わ、私も・・・眠くなってきた、かも・・・」
もう随分遅い時間だ・・・つい眠気に負けてしまうのも、仕方ない・・・よね?
私はゆっくりとベッドに、アーステール様の隣へと身体を預け・・・
「ふしゃーっ!!」
「いたっ、いたいいたいいたい・・・や、やめて・・・」
安眠を妨げられたサフィールの怒りを買ったのだった。